京阪電車開業100周年記念 「京阪ミュージアムトレイン」 その3 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんばんは。
前回からの続きです。
「開業100周年」を迎えた、京阪電車の移動式鉄道博物館こと「ミュージアムトレイン」を見学しています。
 
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今日は「2号車」からです。
 
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この車両のテーマは「なつかしの駅風景」。
 
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かつての駅風景の様子と、現在の様子をパネルで全駅、展示していました。
 
全部はとてもアップ出来ないので、京都・大阪それぞれのターミナル駅を取り上げたいと思います。
 
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まずは、京都方のターミナル駅「三条(さんじょう)駅」です。
 
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大阪へ向かう「京阪本線」、大津・琵琶湖へ向かう「京津(けいしん)線」の乗り換え駅で、乗り換え客でごった返していたと言います。
 
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現在は両線とも地下駅になっいて、当時の面影は知る由もない状態なのですが、この「三条駅」、乗り換えコンコース内にこのような「のれん街」と称した京土産を扱う店や食堂、喫茶店などが十軒近くあり、ある種その店舗街自体が「名物」だったと言います。
 
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風鈴の装飾でしょうか、涼しそうですね。
 
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さて、こちらは先日も当ブログで取り上げました「ひらかたパーク」の最寄り駅、「枚方公園駅」の様子です。昭和30年代のものかと思われますが…
 
「宇宙博云々」という看板の文字が見えます。
 
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さて、画像は一気に変わります。
ここは、大阪の東の玄関口「京橋(きょうばし)」と言うところです。
 
もちろん、京阪電車の駅もあり、さきほどからご紹介している「京橋駅の古い駅舎の写真」も列車内に展示されていたのですが、「当時の風景と現在の風景、比べてみたらどう違うんかな」と、ひそかな疑問が出て来ました。
 
というわけで、「京橋駅」周辺のパネル展示と、現在の様子を「定点観察」してみたいと思います。
 
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「総合レジャービル グランシャトー」とありますが、実はこれは「関西人なら知らない人は居ない」と言っても過言ではない「大型レジャー施設」です。
 
何を隠そう、この「グランシャトー」が建っているビルの場所に、かつての「京阪京橋駅」があったという訳です。
 
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では、パネル写真に移ります。
 
現在は高架駅の京橋駅ですが、昭和44(1969)年12月まではこのように地上駅でした。踏切の中まで人があふれている、なかなか衝撃的な、高度経済成長の時代のものです。
 
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現在の同じ位置です。
右手の高架は「JR大阪環状線」で、右手上に見えているのが現在の「京阪京橋駅」と「駅ビル」です。
 
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続いてはこちらです。
上の写真の場所から、少々北へ移動したところで撮影したもののようです。
 
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現在の様子です。
アーケードはそのままなので、何とはなしに面影がありますね。
 
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続いてはこちらです。
2枚前の写真の場所から、踏切をはさんだ等間隔の位置のものと推測されます。
 
乳飲み子を抱いた割烹着のお母さん、昭和そのものですね。
 
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現在の様子。残念ながら、全然面影もないですね。
ちょうど、ゲーセンの入口になっています。
 
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さきほどの「踏切」から、大阪市内方向に「JR大阪環状線」の高架をくぐったところの写真ですが…
 
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現在の様子です。
これ、結構そのままの状態ではないかと思われます。レンガ積みを白くペイントしてはいますが、同じ場所だというのがよくわかりますね。
 
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さて、最後は「淀屋橋(よどやばし)」駅です。
 
昭和38(1963)年4月に、それまでの大阪のターミナルだった「天満橋(てんまばし)駅」からこの駅まで、地下線で延長されました。
 
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ホームに停車しているのも同じ「特急」なのですが、地下駅といえども開業から50年近くも経過しるとやはり変わるものなのですね。
 
次回に続きます。
今日はこんなところです。