みなさんこんばんはー
今日は公休&気乗りがいいので、一気にアップしております。
どうぞおつきあいくださいませ。
前回からの続きです。
三岐線「伊勢治田(いせはった)」駅から員弁(いなべ)川を渡り、川向かいの「阿下喜(あげき)」にやって
来ました。
街の中心に近い立ち寄り湯「あじさいの湯」でひとっ風呂浴び、すっきりしたところです。

「あじさいの湯」から「伊勢治田」への道を少し戻ると、木造のオシャレな駅舎がありました。
さきほど乗車して来た「三岐鉄道」が運営するもう一つの路線、「北勢(ほくせい)線」の起点です。
これに乗車して、桑名へ向かうことにします。

もともとこの「北勢線」は「三岐鉄道」ではなく、長い間「近鉄」が運営していました。
ところが、モータリゼーションや並行する路線バス(三重交通バス)の整備、スピードアップが難しいことや
冷房車を導入出来ない…などの理由で、一時「廃止」が打ち出されていましたが地元の有志の方々の尽力
で、地元自治体から補助金が提供されるなど一転「存続」になり、運営会社も並行する「三岐鉄道」に委ねら
れることになったといいます。
会社の転換後は、軌道の高速化や駅の統廃合、また念願であった「冷房車」の導入が図られるなど、経営
努力が続けられているそうです。

実はこの路線に乗車するのはこれで3回目なのですが、「三岐鉄道」になってから乗車するのは初めてです。
どのように変貌しているのか興味深いところです。
この「阿下喜駅」構内にも、路線存続運動に携わった有志の方々が運営する「軽便鉄道博物館」という施設が
あります。
かつて近鉄時代、「北勢線」を走っていた「モハ220形電車」の補修作業が行われていました。

建物に近づくと、ボランティアの方から声をかけられました。
「三岐鉄道になってから初めて(の訪問)なのです」などと話をすると、存続運動のことなどを真面目な表情で
話してくださったのが印象的でした。
続いて「博物館」内の展示物を案内してくださいました。
壁一面に当時の行き先板、駅名板、ポイントの転轍機、写真などが所狭しと飾られています。
正面上はヘッドライトですね。

「活動としては、『モハ220形』の補修作業に重点を置いているのです」との説明が。
「貨物鉄道博物館」同様、スタッフの方は手弁当で作業にあたっておられるとのこと。
これはいまでは懐かしい「鎧戸」の扉ですね。
部品をすべて外して、痛んでいるところを丁寧に補修されているそうです。
お話を伺っていると「おらが町の鉄道」という感じで、地元を支えて来た鉄道に対する愛情を強く持っておられるのだなと感じました。

JR、近鉄線の「桑名駅」に隣接する「西桑名駅」ゆきの電車に乗り込みます。

この「北勢線」、実は全国でも大変貴重な「ナローゲージ」の路線でもあります。
私たちが日ごろ利用する鉄道、線路の幅は大きく2種類あります。
まずは「標準軌」。レールの幅が1435ミリのものです。
新幹線、近鉄線の大部分などで用いられています。
もう一つは「狭軌」。レールの幅が1067ミリのものです。
新幹線以外のJRの在来線はほぼ「狭軌」です。
日本全国の鉄道では「標準軌」と「狭軌」で全体の90%以上を占めているのですが、その他にも、この「ナロー
ゲージ」というカテゴリーもあります。
レールの幅が762ミリのもので、「標準軌」の半分近いレール幅しかありません。
上の画像を見て頂ければ幸いなのですが、まるで「遊園地の豆汽車」のようで枕木が大きく見えます。
ちなみにこの「ナローゲージ」の路線は、日本ではこの「三岐鉄道北勢線」の他に、ここから南へ下った四日市市内を走る「近鉄内部(うつべ)・西日野線」と「トロッコ列車」で有名な富山県の「黒部峡谷鉄道」の3箇所しか
ないという、絶滅寸前の貴重な存在なのです。
さきほど「スピードアップ出来ない」とか「冷房車の導入が困難」などと述べましたが、その理由は「ナローゲー
ジ」という特殊な条件があったから、とも言えるようです。
軌道幅が狭ければ高速での運転は難しいですし、車両も小型化しないといけないので屋根上に冷房装置を
取りつけるスペースや強度にも問題が出て来ると言います。

車内に入ってみますと、やはり通常の車両とは違う雰囲気です。
前の人と膝が触れあいそうな通路の幅でありますし、天井には扇風機がフル稼働し窓も全開です。
なかなか、他では体験出来ないものですね。
次回は「西桑名」へ向かいます。
今日はこんなところです。