いざ平城京へ その3 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。
こちらは今日も梅雨の中休みといった感じで、蒸し暑いったらありゃしないという状態です(^^ゞ
 
さて、今日はオランダ戦ですね。
夜の8時半からとのことなので、前回、爆睡してしまったというリベンジも兼ねて(笑)声援を送りたいと
思っているブログ主です。
 
さて、前回からに引き続きまして「平城遷都1300年祭」の「平城宮跡会場」のレポートです。
 
小雨になって来たので、もったいないようですが天候の許す限りいろいろ見て帰ろうかと思います。
 
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シャトルバスのターミナル横には、土産物店などが並んでいますが、これは後回しにします。
(また後日の回でちゃんと報告しますのでご安心ください)
 
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「探訪ビジターセンター」なる建物を見つけました。
 
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いまはやりの「iPod」を利用した、会場の案内システムだそうです。
会場内のポイント15箇所の解説つきだとのこと。
「iPod」ほしいです(笑)身の回りの人は持ってますんで余計に。
 
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ビジターセンターの隣に、平城宮跡の航空写真が展示されていました。
 
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会場に入る前に、ちょっと事前学習です。
 
「平城京」は、西暦710(和同3)年にここから南に存在していた「藤原京」から遷都されました。
 
「何と(710)びっくり平城京」などという文句は、あまりにも有名です。
 
「平城京跡」と言いましても、この記念祭の会場周辺だけが「平城京」ではなくて、東西に6キロあまり、南北
に5キロ近い面積を誇っていたといいます。
この敷地の中には、後ほどご紹介する「朱雀門」「大極殿」などの宮廷の館だけではなく、一般庶民の住居、
また宮廷に仕える役人の住居、寺社仏閣などもこの中に存在しています。
 
奈良時代の姿に復元されていたり、建物の礎石が保存されているのはごく一部で、現在、敷地の多くは
一般住宅、商業施設など、ごく普通の街並みに姿を変えています。
 
ちなみに、この時代に隆盛を誇った「長屋王」の住居は、現在「イトーヨーカドー奈良店」になっています。
 
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この「平城宮跡」は現在国営公園として、当時の姿を復元すべく事業がなされています。
今回のメインである「朱雀門」「大極殿」の復元などは、その一環だといいます。
 
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昔の人になった気分で、隣にあった模型をローアングルから眺めてみました。
この時代、どんな生活だったのでしょうか。
 
さて、次回はこの時代で有名な「遣唐使」についてです。
 
今日はこんなところです。