阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その13「富木駅」 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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前回からの続きです。
JR阪和線、「富木(とのき)駅」の駅舎、その周辺編です。
 
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やはり、茶色屋根が印象的です。
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改札周辺を外から見ます。
これだけみると、郊外の変哲のない駅のようですが…
 
駅前をぶらぶらしてみました。
商店街もあり、人もクルマの通りも結構あります。
 
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こんなレトロなホーロー看板を見つけました。
「舶来」って、最近耳にしませんね。
「西洋の舶来物」とか、うちのばあちゃんが言ってたのを覚えていますが…
(ちなみに「大阪銀行」も現在はありません)
 
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こちらはおもちゃ屋の看板でした。
駅名が「とのき」ではなく「とのぎ」になっています。
 
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駅前にあった、所在地の「高石市の歩み」なる看板です。
 
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大阪府内に住む私としても、同じ府内といえども、南部にはあまりなじみがありません。
 
「高石」という名前は知っていても(高石に限りませんが)なじみがないところでは、やはりどんなところかは知る由もありません。
 
帰宅してから市役所のHPなどを拝見しますと、全国的に面積の狭い大阪府の中でも、府内で二番目に面積が狭いところだそうです(一番狭いのは、府南東部の藤井寺市だとのこと)。
 
上の案内板の画像にもありますが、かつてはこの辺りは「高脚」などと呼ばれ(現在でも「高師浜」という地名が残存していますが)、氏名の由来になったそうです。
 
ところで、古来日本には「羽衣伝説」というのがあります。
静岡県の三保の松原などが有名ですが、この高石にも「羽衣」という地名があります。
 
高石市ととなりの堺市との境に面する臨海工業地帯の一帯には、「浜寺海水浴場」というのが明治の昔から存在していました。
往時は大阪市内からの海水浴客でごった返していたそうですが、現在は「浜寺公園」となっています。
 
この公園にも行ったことがあるのですが、「松林」が有名だそうです。
「羽衣伝説」はいろいろあれど、「松林」が昔からあるというと、なにか言われがありそうな感じがします。
 
ちなみに、大阪唯一の存在となった路面電車、阪堺電軌の終点もこのあたりにあります。
この路面電車の様子や、「浜寺公園」や「羽衣」については、後日、別の項を設けてアップしたいと企んでおりますのでお楽しみに。
 
今回はとりあえずこんなところです。
次回は、駅舎内とホームなどについての記事をアップする予定です。