阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その3「紀伊中ノ島駅」 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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前回からの続きです。
阪和線で「気になっていた駅」というのがこれです。
 
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和歌山駅から阪和線で大阪方面にひとつ戻った「紀伊中ノ島」という駅です。
 
以前、この駅を通る電車に乗っていたとき、グニャっと曲がっているピンク色の鉄柱が大変気になっていて、近くで見てみたいと思っていたのと、和歌山の鉄道史で歴史のある駅だということなので、ぜひ訪問してみたいと思っていたのです。
 
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和歌山方面のホームです。
近くで見てみると、古いレールを再利用している代物のようです。
 
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アップの画像です。
私自身、これまで結構あちこち旅をして、駅などで古レールを使った柱などを見たことがあるのですが、ここまで凝ったものを見るのは初めてです。
接続部分もきっちりデザインを考えられているように思います。
 
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賑わっている和歌山駅の隣なのですが、無人駅でした。
錆びた鉄製の改札がポツンとたたずんでいました。
 
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駅舎の外観です。自転車が多かったのですが…
 
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特徴のある、白い菱形の格子枠。かなり、朽ちているようです。
 
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駅舎内からの画像です。レトロな美しさを感じます。
 
帰宅してから調べてみますと、この駅舎は、1935(昭和10)年1月に「阪和電気鉄道」により建設されたままの姿で残存しているとのこと。
昭和初期のその時にはハイカラな建築物だったのですね。
 
阪和線沿線には、こういった昭和初期の面影を残す駅舎がいくつか残っています。またご紹介したいと思っています。
 
さて、冒頭にも触れましたが実はこの駅、和歌山の鉄道史で注目すべきこと、そして「重要な遺物」が残されているのですが、その報告は次回に…
(ヒントは5枚目の画像です…)
 
今日はこんなところです。