☂㉗ 世の中は無駄で出来ている | 世の中の色々なことについて思うこと・神吉雄吾のブログ

 動物として生きてゆくためには、本当は水と食べ物くらいしか必要ない。昔の人間は裸で獣を狩り、木の実を食べ、川の水を飲んで暮らしていただろう。今でも人間以外の動物は殆んど、必要最低限の暮らしをしている。

 

 人間だけが沢山の贅沢を生み出してきた。誰かがパンツを履くことを始めたから、今ではパンツを作る仕事があり販売するお店がある。

 

 ちょっと考えれば、贅沢から生まれた「無駄なもの」は世の中に山ほどある。エスカレーターも自動ドアも、単に人間の横着から生まれたものだ。

 

 映画やゲームなんて無くても生きられるし、ネクタイもハイヒールも生存に必要不可欠な物とは思えない。でも今ではそれらの全てがちゃんとした産業となっている。

 

 ネクタイだけを見ても、繊維や素材の研究開発にデザインの専門家も加わる。大きな工場が稼働して、出来上がった製品を運ぶためには流通も要る。販売する店舗も必要だし、店舗を構えるためには、そこにまた建築や不動産や金融もかかわって来る。

 そしてそれら全ての業界に多くの労働者が職を得て働いていて、賃金をもらい沢山の家族が養われているのだ。

 こうなるともう「無駄なもの」なんて一つもない。全てのものは誰かを支える必要な産業であって、無くなっては困る存在となっている。ネクタイを無駄と言った僕は謝るしかない。

 

 食品ロスの削減とかエネルギー消費の削減とか、最近はよく耳にするけど、本当にそれは可能だろうか。聞こえは良いけれど現実的でないのかもしれない。

 

 人間の強欲を満たすために生まれた贅沢な一連のしくみは、それ自体が社会を支える産業の集まりであり、現代社会に生きる我々はもう、そこから逃れることは永久に出来ないのではないかなと思う。

 

 悪い言葉で「無駄」と言ったけど、悪いことばかりではない。ネクタイやハイヒールを選んで買うのは楽しいし、映画を観るひと時は色んな事を忘れて、心をゆすぶられて感情も知識も豊かになる。そもそも贅沢をしている感覚そのものが、人間の欲求を満たしてくれているのだから、人生を豊かにしてくれる重要な役割を担っている。

 

世の中は「無駄」で出来ているのだ。