☂㉖ リヤカーで日本一周した男の話 | 世の中の色々なことについて思うこと・神吉雄吾のブログ

 野蒜の海岸付近で瓦礫を片付けていた時、リヤカーが流れ着いているのを見つけた。折り重なった瓦礫の上にちょうど乗り上げて、不思議なことに無傷だった。

 

 ある若いボランティア仲間が僕に言った。

 

「このリヤカー、もらっていいですか」

「いいんじゃないか。ここに山にして置いたら、あとつぶされてしまうだけだろうし」

 

 僕がそう言うと、彼はそのリヤカーを掃除して大事そうに宿舎へ持って帰った。

 

「そんなもの何に使うんだい?」と聞くと

「リヤカーを曳いて日本一周しようと思うんです。震災とかそういうのとは関係なく、夢を乗せてただ日本を一周する旅です」と彼は真顔で言った。

 

 まあた、馬鹿げたことを言ってやがる。日本一周だって?どれくらいの時間がかかると思っているんだ。どうせすぐに飽きるし途中であきらめるだろう。僕はそう思って笑い飛ばしていた。

 

 2011年の10月に旧野蒜小学校を出発した彼が、リヤカーを曳き日本中をゆっくりと歩き続けていたことは、友達のつてに聞いていた。沢山のボランティア仲間の手を借りて、一つ一つの都道府県を旅していたようだ。

 僕はすっかり忘れていたくらいだったけど、5年の時を経て夢の旅を終えたリヤカーは、2016年11月20日、仲間たちに見守られながら「旧野蒜小学校」にゴールした。

 

 この日、野蒜高台造成地の最後の引き渡し終了記念式典と、大きなお祭りが野蒜ヶ丘で開かれていたちょうどその頃「町の大事なお祭りに持ち込みたくないから」そう言って、彼はひっそりと日本一周を遂げた。

 

 後から知ったのだけれど、彼はずっと前にがんが見つかり闘病中の身だったらしい。僕のところに来た時にも、僕にはそんな素振りすら見せず、「元気です」と答えていた。その直後に天国に行き帰らぬ人となってしまった。

 

 僕は今後悔している。一度くらい少しくらい、仲間と一緒にリヤカーを引いてあげれば良かったと後悔しているんだ。

 

 リヤカーの長い旅が終わったら、すぐに天国に行っちゃうなんて思ってもいなかったから。優しい言葉すらかけることも出来なかった。僕は本当に後悔しているんだ。