行雲流水的くっぞこ -247ページ目

ヴィム・ヴェンダース「都会のアリス」

 一昨年、レコード屋の売れ残り特価棚を漁っていて出てきたDVDです。「都会のアリス」、ヴィム・ヴェンダース(ドイツ映画)監督作品です。


 「都会のアリス」の音楽を担当しているのが、好きなミュージシャンのCAN(間違っても「愛は勝つ」のKANに非ず)だったので(CAN「サウンドトラックス」に収録されている)、値段が安かった事もあり、買ってみました。

 「都会のアリス」の内容はロードムービーです。アメリカで旅行記を書いているドイツ人のライター(主人公)が、うまく書けないので、ドイツに帰る事にする。空港でオランダに帰る母子と出会い、一緒に帰る事にするが、飛び立つ寸前に母が姿を消し、結局、二人でオランダに帰る。二人で少女の祖母を探す旅をする。という、話です(ロードムービーって説明しにくいです)。余り話の起伏がないのですが、しみじみ、ホントにいい映画です。いい映画としか説明できないんですが。


 「都会のアリス」は、私の好きな映画を10本挙げるとしたら、確実に入ります。(1973年、西ドイツ映画)

筋肉少女帯

 私をロックへ引きずり込んだ張本人、その後の誤解の元凶(笑)、筋肉少女帯です。


 筋肉少女帯といえば、一般的に「日本印度化計画」のカレーとか、「高木ブー伝説」とかの印象が強いと思います。あの頃が、バンド・ブームの絶頂でしたから。


 私の初ロック、初筋少は、1988年2月の深夜TV「11PM」での「イタコLOVE」のスタジオライブです。その時の印象としては、卒塔婆をマイクスタンドにした、髪を突っ立てたヴォーカルと、狂ったように暴れながらピアノを弾いてるピアニスト、でした。当時中1だった私は、「何なんだ?」と先ず思い、「見てはいけないものを見ているんじゃないだろうか?」と思って、隣にいた親とは何か気まずかったです。

 その時は、バンド名や曲名も覚えておらず、「イタコLOVE」と叫び続ける大槻ケンヂ氏と、狂ったようなピアノを弾き続ける三柴エディ江戸蔵氏の印象が残りました。


 次に出会ったのは、ラジオでした。

 その年の夏に親からラジカセを買ってもらい、ラジオを聴き始めました。当時地元のラジオ局では、水曜夜11時から幽霊話のコーナーがあり、その日はなかなか眠れませんでした。

 眠れないまま、深夜1時から始まったのが、たまたま1回目だった「大槻ケンヂのオールナイトニッポン」でした。大槻ケンヂ氏と内田雄一郎氏でやっていましたが、「この人達誰なんだ?」と思ってました。曲がかかって「イタコLOVEのあいつだ!」と分かりました。話はそれますが、別の曜日でオールナイトニッポンをやっていた鴻上尚史氏と声が似ていたので、はじめは混同していました。(大槻氏が、鴻上氏の弟をステージ上で飛び蹴りしたので、鴻上氏と会いづらいと言ってました。)

 番組は半年で終わりましたが、終了と同時期にピアノの三柴氏が筋少から抜けることになり、そこまでの、メジャー後2枚目までが、私の中での筋肉少女帯です。その後のアルバムも持っていますし、それなりに好きですが。

 

 話は飛んで、1999年、以前レコード屋でもらったチラシ(CDを買ったときに袋に一緒に入っていた新譜情報)を見ているとシングル発売の欄に、”「バンド名未定」元筋肉少女帯の大槻ケンヂが、内田雄一郎、元筋少の三柴理とパンクチーム(バンド名未定)を結成。シングルを発売する。”と書かれていました。発売日を見ると数日過ぎていたので、急いでレコード屋へ行き、特撮のシングル「アベルカイン」を購入しました。

 収録曲「アベルカイン」「テレパシー」「身代わりマリー」の3曲は、「11PM」での”違和感”とは違った、”違和感(期待を含めて)”を感じました。

 1ヶ月後、1stアルバム「爆誕」を発売日に買いました。ブックレットを開くと、レコ発ライブツアーのチラシが入っていて、私の地元には、2ヵ月後に来ることが書かれてました。

 当時、大槻氏のインタビューには、「特撮はバンドじゃない。パンクチーム=ユニットなんだ。」と載っていたので、特撮は続かないんだな、単発か、と思っていました。私当時、20代半ばだったのですが、ライブに行ったことがありませんでしたが、次、大槻氏と三柴氏がいつ一緒にやるか分からないので、ライブに行くことにしました。

 それから2ヶ月、待ち遠しかったです。ライブの事は、断片的に覚えています。ライブから帰って、その日の内に書いた日記(大学ノートに2ページ、びっちり書いています)に、演奏曲と大槻氏のMCの内容を詳しく書いています(何書いてんだろう、俺?)。

 上のチケットの写真も日記に糊で貼り付けていたものです。 2002年に大槻氏が出した自伝的小説「リンダリンダラバーソール」にそのライブの様子が書かれていました。杖代わりに木刀を使っていたのは、そんな理由だったのか、と2年前の状況をやっと理解しました。


 今聞いても新鮮ですが、筋肉少女帯の音楽からエマーソン,レイク&パーマーへ行き、そこからプログレッシヴ・ロック好きになった事は、やはり私にとって大きいです。私の原点です。

あの頃ペニーレインと

 音楽ライターの自伝的な映画。

 弁護士を目指していた少年が、ロックに目覚め、1973年に音楽ライターになる。ミュージシャンのツアーレポートを書くことになり、ツアーに帯同するが、追っかけの女の子に初恋をしてしまう。と言うストーリーです。


 いやー、切ないです。初恋ってどうしようもなくて。当時のライブの内側をかいまみれたりもするし、そこはそこで非常に面白いです。音楽好きなら是非見て頂きたい映画です。

 2000年アメリカ映画です。

任天堂ヒストリーコレクション ファミコン編

 食玩じゃないですが、近所の本屋の前にあるガチャガチャに「任天堂ヒストリーコレクション ファミコン編」というのがありました。


 3cm×3cmくらいの大きさのファミコンやディスクシステムやツインファミコン、ファミコンロボット、AVファミコン、ファミリーベーシックの6種類が入っていました。

 ちょっと、恥ずかしかったんですが、周りに人がいなかったのと、出来が良かったので、買ってしまいました。


 1回200円で6回やって、ファミコンロボットが1回ダブって、ファミリーベーシックが出ませんでした。小銭がなくなったので、やめて帰りました。

 翌々日に行くと、もうそのガチャガチャはありませんでした。中央手前の丸い灰色は1円玉です。


 ファミコン世代なもので、ついつい気になってしまいます。懐かしい、過去を回顧する気分ですな。△△くん、□□さん、○○しゃん(私の地方の呼称)何してんのかなぁ。 …なんて。

バーチャルボーイ

 1995年に任天堂から発売された、ゲームボーイの後継機、バーチャルボーイです。いまいちマイナーって言うか、思い切りコケたハードです。


 当時、プレイステーションやサターンが発売されて、見た目派手なゲームが話題になったいました。スーパーファミコンやゲームボーイは過去の遺物みたいな扱いになっていました。

 そこで、任天堂が発売したのが、ゲームが立体的に見えることが売りだった「バーチャルボーイ」でした。しくみは、左右少しづつ違う2つのゲーム画面をのぞき込む、事で立体的に見えます。何故売れなかったのか。画面がモノクロだったので、ゲーム画面が地味だった。携帯機じゃなかった(高さ3,40cmあります)ことでしょうか。


 ソフトは全部で19本出たそうですが、私は、ハードが終えたあと、売れ残りが1本100~300円くらいで売っていたので大人買いして、11本持っています。


 その中でも、個人的にですが、傑作と言うものがあります。

 「レッドアラーム」(3Dシューティング)「T&Eヴァーチャルゴルフ」(3Dゴルフ)、どちらもT&ESOFTのゲームです。立体的に見えるから3Dのものを選んだだけでなく、内容も素晴らしいです。手前のものが手前に、奥のものが奥に見えるわけですから、驚きます。衝撃的でした。


 実際のゲーム画面は、「レッドアラーム」の説明書から

こんな感じで赤色の濃淡で画面が描かれています。