紫式部と清少納言、藤原道長との仲はいかに | kuwanakenのブログ

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前を向いたり、しゃがんだり、
振り返ったり、無理をせず、
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 大河ドラマ「光る君へ」を観ています。大河といえば戦国時代劇という印象がありますが、今回はちょっと毛色が違うようです。刀を抜く場面はありますが、チャンバラはほとんど出てきません。もっぱら平安貴族の色恋と権力争い。

 

 興味深いのは、紫式部と清少納言が仲良く言葉遊びをしている場面です。「司馬遷の史記」と「春夏秋冬の四季」を持ち出して、史記と四季を掛けたりして。その流れで、紫式部が清少納言に「四季の歌をお書きなさい」と勧めます。

 

 次の場面では、清少納言が(春はあけぼの・・夏は夜・・)と「枕草子」を認めているではありませんか。まるで、紫式部が「枕草子」の生みの親であるかのように仄めかしています。実際には、二人が出会った記録はありません。

 

 お互いエッセイ集を出しているくらいですから、もし出会っていたら互いのネタを投稿しているはずです。仲良しの志賀直哉さんと武者小路実篤さんが、お互いの私小説に「M君が・・」とか「S君は・・」と登場させているように。

 

 そもそも、宮中で宮仕えをする期間は、5、6年の時間差があります。少なくとも、大河ドラマのような宮中でのやりとりはなかったようです。「紫式部日記」に清少納言への悪口が出てきますが、文章に対する批判に過ぎません。

 

 それにしても酷い言いようです。「清少納言こそ、したり顔に・・真名書き散らして・・足らぬこと多かり・・もののあわれにすすみ・・をかしきことも見過ごさぬ・・」(漢字を使いたがるけど能力不足、あわれやをかしと大袈裟に感動し過ぎ)筆者意訳。

 

 宮仕えに時間差があるとはいえ、1000年前の5年の誤差は、物の数には入りません。それも狭い都の内です。通りですれ違いざま、「感動し過ぎじゃありません?」「ストレスで八つ当たりですか」丁々発止があったかも。

 

 大河ドラマであるように、紫式部と藤原道長との出会いは事実のようです。「寝たる夜、戸をたたく人ありと・・」深夜に紫式部の戸を叩いたのは道長とか。寂聴さんの話では「三度目には戸を開けたはず」千年前の艶ごとさえ身近に感じます。