廃校した小学校は、日本語学校和心学園が使用権を得て、開校準備を進めています。社長のTさんは、ミニバスケットボールの練習に参加したり、ジュースを差し入れてくださいます。何より、体育館が使えるのはありがたいことです。
先日は練習を早く切り上げて、子供たちも机の組み立てなどをちょっとだけ手伝いました。みんなでワイワイとにぎやかに作業をするのは、とても楽しかったです。Tさんは「大変大変助かりました」と、腰を90度に曲げてお礼。
僕は翌日も暇だったので、朝から棚の組み立てを手伝いました。その日はTさんのご両親もお手伝いに参加。二人で教室の掃除をこまめにされていました。まるで、息子の門出を心配する親御さんの雰囲気を醸し出しています。
おかしいな。Tさんはいくつもの事業を展開する企業家です。それが、親御さんや、今や友人扱いの僕の手助けを求めるなんて。まるで、個人経営のような生業の様相を呈しています。
僕は蕎麦屋を始める時に、企業にするか生業にするか悩みました。企業ならリスクを恐れず多店舗化を目指す。生業なら絶対に失敗しない安全策を選ぶ。つまるところ、生業を選んだお陰で楽しく三十年過ごせました。
生業なので、開店準備から家族親戚をはじめ、友人たちにも大いに手伝ってもらいました。人手不足の時は、美しい妻はもちろん、従姉妹の子供やら、友人の嫁さんやら、大学の後輩やら、誰彼構わず助けてもらいました。
娘や息子が成長すると、長期休みにバイトしてくれたことも。蕎麦屋は、大都会名古屋の栄のど真ん中にありました。それが、まるで田舎町の家族総出の蕎麦屋みたい。それもこれも楽しい思い出になっています。
Tさんの親御さんは黙々と掃除をこなす。12時を過ぎた頃「そろそろ昼時かな」とお父さんがつぶやく。「まだ10時だよ」とTさんが時間を誤魔化す。「昼休みなしで親をこき使うつもりか」と僕がツッコむ。和やかに時間が過ぎました。
