中学時代は、かなり尖っていたような | kuwanakenのブログ

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前を向いたり、しゃがんだり、
振り返ったり、無理をせず、
幸せレンガを、積んでいこう。

 中学校の同期の同窓会がありました。10年ごとに開催されます。今年の参加者は100人を優に超えました。何しろA組からK組まで11学級数という、いわゆるマンモス校です。物故者も増える中、450人中100人参加は上出来。

 

 卒業から55年とあって、さすがに先生方の多くは亡くなっています。今年のご臨席は3人。そのうちの二人が「あ、御園座の蕎麦屋の・・」と覚えていてくださいました。ただ、名前よりも蕎麦屋が先に思い出されるようです。

 

 先生方は3人とも御年79、当時は20代前半。つまり、そのくらいの方しか生き残っていないということになります。九つの違いは、この年になればあってないようなもの。並んでみても、歳の差は感じられません。誰が生徒か先生か。

 

 担任だったN先生に「教室の扉を開けると、黒板消しが落ちてきた。あんたでしょ」となじられます。これは10年ごと、同窓会で繰り返される常套句。そういえば、教室の中から鍵をかけて、N先生が入れないようにしたことも。

 

 一緒にバスケットボールをしたEちゃんからは、「いつも我が道を行く。とんがっていたね」と、褒めているのか貶しているのか。「迷惑をかけてすみませんでした」と謝っておきました。これも、毎回の思い出話のようなもの。

 

 マンモス校の一番の自慢は広い運動場です。400メートル6コースの陸上競技公認コース。運動会の4×200メートルも、最後までセパレートコース。スタートが得意だったので、内側から抜いて行く快感は今でも忘れられません。

 

 その運動場の一番奥にあったのがバスケットコート三面。当時は外でするスポーツでした。一年生の時は一日も休まず練習に明け暮れ、さらに二年生からは一人で早朝練習。夕立にもめげず、ずぶ濡れで続けることも。

 

 先生方からは「バスケットと勉強の両立を」と、口を酸っぱくしてのお小言も効果なし。三年時点で数学は落ちこぼれ、科学者の道は絶たれました。それでも、「僕にはバスケットだけでなく、文学の道も残されている」と尖っていたような。