小説に鉛筆でメモやふりがなが書き込んである | kuwanakenのブログ

kuwanakenのブログ

プラス思考は、好きじゃない。
前を向いたり、しゃがんだり、
振り返ったり、無理をせず、
幸せレンガを、積んでいこう。

 年金生活の身には本代も馬鹿になりません。今読んでいる「王妃の館」は1600円もします。蕎麦屋が儲かっていた頃は、お金を気にせず買い求めました。山本周五郎さんや宮沢賢治さんなどの全集も、平気で買いました。

 

 それも今は昔、遠い遠い昔のような気がします。当然のことながら、只今はブックオフに頼っています。それも、もっぱら100円か200円の棚を物色。上下巻の片方しかない時は、一つだけ買っておいて残りを待ちます。

 

 学生時代も古本屋へ足繁く通いました。当時の古本屋は、百年は続いているような店ばかり。風格があるという意味ではありません。古くさいという雰囲気です。本自体も傷があったり汚れていたり。書き込みがあることもしばしば。

 

 ブックオフに並んでいる本は、どれもきれいなままです。ところが、「王妃の館」を読んでいると、所々に鉛筆の書き込みがあります。何やら段落の区切りや番号、難しい漢字には読み仮名も。前の所有者が熱心に読んだ印か。

 

 読み仮名を打つということは、単なる律儀か、漢字が好きか。どちらにしても、読めない漢字をそのまま素通りしていないことが伺えます。僕も人一倍言葉が大好きなので、一言一句大切に読み取りたいと思っています。

 

 言葉には言霊があるといわれます。良い言葉を使うと良いことが起き、不吉な言葉を使うと凶事が起きると。でも、僕はそう思いません。平気で「最悪の場合があるかも」などと口にしますが、そうなったためしがないからです。

 

 友人の結婚式で、空手の試割りを良くやりました。「割れる」「切れる」などは、忌み言葉として縁起が悪いとされます。それなのに、「見事に板が割れました」などと忌み言葉を散々叫びました。でも、僕が試割りをした夫婦で離婚した人はいません。

 

 自分が発した言葉で、暗示をかける効果はあります。それは、言葉を利用するものです。決して、言葉に操られてはいけません。言葉に魂が宿っているのではなく、自分で言葉に魂を込めることが大事だと思うのです。偉いでしょ。