一つの作品を何度も楽しむ方法 | kuwanakenのブログ

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プラス思考は、好きじゃない。
前を向いたり、しゃがんだり、
振り返ったり、無理をせず、
幸せレンガを、積んでいこう。

 東野圭吾さんの「危険なビーナス」を読んでいる間に、テレビドラマで見た記憶が蘇ってきました。そうなると、主人公の伯朗は、妻夫木くんの困った顔ばかり浮かんできます。楓は吉高由里子さんの不敵な笑顔が現れます。

 

 小説「人間の証明」を原作とした角川映画のコマーシャルで、「読んでから観るか、観てから読むか」という宣伝文句が話題になったことがあります。本を読むか映画を見るかの二択ではなく、どちらも売り込む見事な作戦でした。

 

 恋愛ものなどは、どちらが先でも大した変わりはありません。しかし、アクションやスペクタクルは悩ましいところがあります。なぜなら、小説を読んで想像した場面の迫力が、映画では生かされていないことがあるからです。

 

 脳内で作り上げたスペクタクルシーンが、映画で実際に観る映像よりも優っている場合。そんな時の映画は、ありふれたつまらないものに見えてきます。そんな場合は、絶対に映画を先に観た方が良いと思うのです。

 

 今回の「危険なビーナス」は、先にドラマを見たはずなのに、物語の展開をすっかり忘れていました。記憶にあるのは、妻夫木くんや吉高さん等、登場人物の顔ばかり。読み進めても、さっぱり話の先が思い出せません。

 

 物語の根幹に関わる「後天性サバン症候群」は、おぼろげながらも思い出してきました。そういえば、トラボルタさんの「フェノミナン」にも登場します。脳腫瘍によって脳が活性化され、科学や語学に飛び抜けた才能を発揮する話です。

 

 角川映画の「読んでから観るか、観てから読むか」の選択は、記憶があって初めて比べられます。ところが、僕の場合は意味がありません。なにしろ、ほとんど覚えていないんだから。どちらでも楽しめるというわけです。

 

 その証拠に、今回の「危険なビーナス」、大どんでん返しには「おおっ」と声が出るくらい驚きました。一つの作品を何度も楽しむ方法は、忘れることに尽きます。これなら、アルツハイマーになっても読書や映画を楽しめそうです。