東野圭吾さんの句読点の打ち方 | kuwanakenのブログ

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振り返ったり、無理をせず、
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 東野圭吾さんの「危険なビーナス」を読んでいるうちに、句読点の打ち方で混乱するところがありました。「康之助の妻の康治や・・」ゲイカップルなのかと思いました。しかし、「に対する態度が」と続いています。

 

 つまり、「康之助の妻の、康治・・に対する態度」という意味でした。読点を打ってくれれば、ゲイカップルなどという誤解は生まれないのに。ただ、この文章は長いので、読点をたくさんつけると返って難しくなるのかも。

 

 友人で小学校の先生をしているM君は、「文は短く、読点はできれば一つ、多くても二つまで」と子供たちに教えるそうです。ダラダラと長く続く文は分かり辛いけど、読点だらけでぶちぶち切れる文も読む難いということです。

 

 そう思って東野圭吾さんの小説を読んでみると、短い文で分かりやすいと感じました。M君のいうように、読点が一つか二つに抑えられています。物語の流れがおもしろいのは、読みやすいという理由もあるようです。

 

 だから、たまに句読点の打ち方が違うだけで、違和感を感じるのでしょうか。「重箱の隅を突っつく」といわれそうですが、おいしいものは豆粒の一つまで突っつきたくなるのが当然です。それも、楽しみ方の一つ。

 

 そういえば、小学校の教科書に銭湯の話がありました。銭湯の下駄箱に「ここではきものを脱いでください」と張り紙がしてあります。それを見た人が下駄箱で服を脱ぎ始め、番台の人に「中で脱いでくれ」と叱られます。

 

 銭湯の人は「ここで、はきものを脱いでください」と書いたつもりです。お客さんは「ここでは、着物を脱いでください」と読みました。読点を正しく打てば、誤解を招くことはありません。「、」を侮るなかれ。

 

 M君は僕のブログを読みやすいと褒めてくれます。「先生が言うのだから間違いない」とも。僕は小学生の頃までは、先生の言うことをよく聞く優等生でした。小学校で教えてもらった句読点の打ち方を、ちゃんと覚えていたようです。