ちょっとしんみりした話 | バーテンダーoluoluのハワイ崖っぷち生活

バーテンダーoluoluのハワイ崖っぷち生活

バーテンダー歴3年。少しはさまになってきたかも?

最近の趣味はピアノです。
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くすっと笑えるブログを目指しています

今日はちょっとしんみりしたお話です。



実は1月2日の朝、父が急死しました。(ハワイは元旦のお昼)



母からメールが来たんですが、メールチェックをしていなかったので


全く気が付きませんでした。


って言っても、ただ、「電話ください」としか書いていなかったんですが。



1月2日の朝、仕事に行く途中で


何気なくiPhoneでメールチェックをしていたら、


母から2通のメールが来ていることに気が付きました。



2通目も


「お仕事お疲れさまです。時間のあるときに連絡ください。」


としか書いてなくて、


全く何が起こったのかわかりませんでした。



その時点でハワイ時間の1月2日午前9時半。


ってことは日本は1月3日の午前4時半です。



4時半じゃあ寝ているだろうから、


日本時間の午前9時頃に電話すればいいか。


とのんきなことを考えていました。



その後職場に着いたんですが、


「いや、何かおかしい。


やっぱり今電話してみよう」と思い立ちました。



というのは、


母から「電話ください」というメールが来たのが初めてなんです。



虫の知らせというのでしょうか。



電話口で父の死を知らさせたとき、



まさか。


そんなことはあり得ない。


としか思えませんでした。



というのは、


父は、まだ71歳で、


どこも悪いところもなかったんです。



全くの健康体で、


71年間医者に行ったことが一度もないのが


自慢でした。



風邪さえ引いたことがなく、


薬を飲んだこともないそうです。



晩酌が楽しみだったんですが、


お正月でいつもより飲みすぎたのかもしれません。



毎晩の晩酌の後でのんびりとお風呂につかるのが


大好きだった父。



この日も夜中の12時ごろお風呂に入ったそうです。



母が朝の4時にお手洗いに起きると


リビングルームの電気がつけっぱなしなのに


父がいないので、探したそうです。



父は湯船の中で亡くなっていたんです。



死亡推定時刻は1時だそうです。


死後3時間経っていたということです。



職場にすぐ事情を説明して、家に帰りました。


すぐに航空券を手配し、その日の夕方の飛行機に乗りました。



すぐにブログに書かなかった理由は、


気が動転していて、どう書いていいかわからなかったし、


第一こんなこと書いても


皆さんを暗い気持ちにさせるだけだしな・・・と。



でも今「やっぱり書こう」と思い立ったのには


理由があります。



私くらいの年になると、両親が健在な人の方が珍しいくらいです。



つまり、早かれ遅かれ肉親の死を経験するしかないわけです。


どんなに辛くてもこればかりは避けて通れないですからね。



父は私の実の父ではありません。



前に書いたことがあると思いますが、


私が19の時に母が再婚したのです。



でも私にとっては実の父以上の存在でした。



前にも書きましたが、


けしてうまく行っているとは言えない母との関係も


父のおかげでいつも助けられていました。



のんきで穏やかで、優しい父でした。


「僕は100歳まで生きて、


君の老後の面倒もみてあげるからね。」


といつも言ってました。



そんな父がもうこの世にいないなんて、


今でも信じられない気持ちです。



でも気持ちが落ち着いてきた今思うのは、


これでよかったんじゃないか


ってことなんです。



同じ経験をした方ならお分かりいただけるんじゃないかと


思います。



残された人たちがその後の人生をどう過ごすのか、


先に行く人達が教えてくれるんだと思うんです。



父は最後まで幸せな人生だったと思います。



71歳は少し早すぎたけど、


逆に母より長生きしたとしても


一人ではどうしていいかわからなかったと思う。



というのは、母は今77歳なんですが、


昔から体が弱く、病気ばかりしてるんです。



本人も周りももうそんなに先行き長くないんじゃないかと


思っていました。



父も母を看取る覚悟はしていたと思います。



私もいつも「母には父がいるから安心」


と思い込んでいました。


愚痴も言わず、怒った顔も見たことがないので


孤独や苦悩とは縁のないタイプに見える父。



でももし母に先に行かれたら?


その後で体悪くしたりしたら?



そう考えると、大好きなお風呂で亡くなったのだから、


幸せな最期だったと言えるんじゃないかな。



残された母のことは勿論すごく心配です。



でも、今回日本に帰り、


母と二人きりで数日過ごせたのは


よかったんじゃないかと思うんです。



こんなに母と二人で昔話をしたのは初めてです。



もちろん母も私も泣きましたが、


二人で泣いたなんて、最初で最後だと思います。



今回亡くなったのが母だったら、私は立ち直れなかったかもしれません。



こう書くと「お父さんは血がつながってないからどうでもいいのか」


と思う方もいらっしゃるかもしれません。



確かに血がつながってない分、


冷静に見れる部分もあるのかもしれないんですが、


父とは確執がなかった分、


後悔の気持ちがそれほどないんです。



私が父を大好きだったこと。


父も私を大好きだったこと。


お互いにわかってるから、大丈夫。



そんな気持ちなんです。



でも母とは・・・。


色々あったのは前にも書きました。



母が亡くなる前に何とか


大好き ということと


ありがとう ということ伝えなきゃ。


手遅れになる前に。



自分も後悔したくないし、母にもさせたくないんです。



ハワイに戻ってから、毎日母に電話をするのが


日課になりました。



母は、朝がいいというので


ハワイ時間の午後3時ごろにかけてます。


(日本の朝10時)



「ママ、元気?」が私の第一声なんですが、


「うん。元気よ。


毎日電話くれて、ありがとうね。」


と、母が言うんです。



母からありがとうと言われたことって


過去にあったかな?



私は母が「ありがとう」って言う度、


「だって、心配だから。


毎日かけるからね。」


と返します。



私も母に「心配」なんて一度も言ってあげたことがありませんでした。



年末に父の一周忌があります。


(繰り上げて年末にするそう)



「また年末に日本に行くからね」と言うと


「また○○ちゃん(私)に会えるまで


頑張って生きてるね。」


と言う母。



天国で見ている父は今頃にんまりしているかもしれません。