あなたのココロの
パーソナルトレーナー
メンタルコーチの
かとちゃんです。
先日、
ゲシュタルト療法のワークを受けた。
(ゲシュ療法では、
セッションのことをワークと言う)
ゲシュタルトと聴くと
「ゲシュタルト崩壊」という言葉を
思い浮かべる人が多いと思うけど
そうその、ゲシュタルトのこと。
ゲシュタルトとは
「形」や「形態」をあらわすドイツ語。
つまりゲシュタルト崩壊とは
「形が崩れる」という意味。
心理学で言うなら、
このゲシュタルト=「形」とは
「思い込み」や「固定観念」
といったところ。
ゲシュタルト療法では
これを「図」という言い方をして、
私の見ている、
「思い込みで凝り固まった
偏った世界の見え方=「図」」を、
「今ここ」を感じることで、
「背景や全体像もある
フラットで新しい世界の見え方=「地」」
に、気づかせてくれる。
とまあ、ここまで読んでも
全然意味わからんよねww
*
ボクは小さい頃から
「集団」が
すんごいニガテなのです。
集団になじめず
集団が苦痛で
集団で働くことができず
社会人となって20年間苦しんできて、
「あ、これは自分には無理だ」と
やっと気づいて
会社(集団)を辞めました。
HSPや自閉気質、
病気で体調も安定しないので
マイペースで自分のやり方じゃないと
いろんなことができないから、
集団がニガテなのは
しゃあないのです。
だからいまは
「ニガテなもんはニガテでいい!」と
自己肯定して
集団に所属せず
「ひとりで働くワークスタイル」を
つくりあげて
めちゃめちゃ快適になりました。
だから全然これでも
いいんだけど、
いいんだけど、
やっぱりそれでも
昔ほどではないにしても
「集団」がニガテなままだし、
「集団」の場所には
行くと思うだけで気分が重い。
だから飲み会にも行かない。
遊ぶのは一人か、特定の人と二人。
それで快適だし
「ひとりが好き」ではあるんだけど
「普段はひとりサイコー」
でも
「みんなでもいられる」
そういう人になりたいと
ずっと思っていました。
ニガテなものはないほうが
人生はラクに暮らせるし
可能性もひろがる。
「みんな」でいられる”みんな”が
実は羨ましい。
先日の
ゲシュタルトワークの中では
「飲み会で、
集団になじめない自分」
という場面を再現してもらった。
みんながワイワイ
話している中にいて
自分がどんな気持ちを感じるか。
みんなの話が速い。
耳の聴こえも悪くて
みんなの言ってることがよくわからない。
飛び交う会話のスピードについていけない。
話に入れない焦り。
自分が入ったらテンポが壊れる。
みんなをシラケさせる。
自分も一緒になって笑いたいのに…
無理やりテンションをあげなきゃ…
いやそんなこともしたくない…
忘れ去られている自分…
自分のこともわかって欲しい
楽しい気持ちが一瞬出てきても
すぐ気持ちが萎えて、
めんどくさく、さびしく、なって
そして消えていく。
集団についていけない。
集団は怖い。
集団は嫌い。
…結局、ひとりぼっち。
集団を前にして
下をむいて、口を紡いで
孤独の中にいる自分に
「じゃあ、
目の前の人にだけ話かけてみたら」
とファシリテータ(セラピスト)から
促される。
目の前の人とだけなら話せる。
で、
またみんなでワイワイ
話している場面に戻ると。
みんな(集団)には
どう入っていいかわからない。
じゃあワイワイしてる中で
隣の人に「○○くん」と呼びかけて
話しかけてみると
話せる。
個人とは話せる。
けど集団とは話せない。
そう、ボクは
個人とは話せるのだ。
じゃあ集団役の
みんなにも聴いてみる。
みんなはどうやって
集団の中で話しをしてるの?
「そーいえば、話してるときは、
それぞれ個人に向けて話してるよ」
え、そーなんだ!?
「てか、個人としか話せなくね?」
「みんなに話すときでも
それぞれの顔を
ひとりひとり見ながら話してる」
「”みんな”、という
存在には話してない」
「みんなに話すときは、
「みんな聴いて—」って言うかも」
「話してるその瞬間は、
「誰か個人」に話してると思うな」
あれれ?
そっか、会話するには、
相手が必要で
それが集団の中であっても
相手は基本「誰か個人」なんだ。
ボクは個人とは話せる。
ていうか個人となら
面白おかしくも話せるし
深ーい話しもできる。
でも
ゆっくりじっくり考えるから
話すのも自分のスピードやペースで
しか話せないから
いつの間にやら集団から
置いていかれることが多かった。
集団で会議なんてあると
自分の意見が言えず
集団に従わねばならないことが苦しかった。
だから、
集団についていかねば
入らねば、なじまねば、
そのうちに
みんなも自分も
「個人」であったことを見失い
「集団」という
謎の「おそろしいカタマリ」に
あの高速で弾が飛び交う戦場に
入っていかねば
怖い、苦しい、シンドい、、、
無理、めんどくさい…
となっていた。
幼稚園から学生、会社員
つい最近の仲間の飲み会の場面まで
自分の長い長い戦いの歴史が
ザーッと思い浮かんだ。
「集団」に入ろう入ろうとして
「集団」に入れず、を繰り返していた。
「集団」には ”顔” がない。
集団とは話せない。
自分のペースで
「個人」と話せばいいんだ。
みんなワイワイしている中でも
目の前の「個人」と話してみる。
したら、話せる。
そしてそこからまた
話しが広がっていく。
次は、隣の「個人」とも
話してみる。
ああ、話せる。
そうしたら今、
みんなの ”顔”が見えるようになった。
話してることもわかるようになった。
なるほどボクはこうやって
「集団」という謎の "カオナシ"と
勝ち目のない闘いをしていたのだ。
そう、これがボクに
起こっていたこと。
気がつけば今、
知らぬ間にみんなの
仲間に入ってお話している
自分がいました。
*
「集団」とは、ただの「個人の集まり」だった。
「思い込み(図)」から「地」が見えた瞬間。
まあそれでも
集団が得意ではないことは
変わらないけれど、
そんな恐れるものでもない。
「ひとりが好きで
ひとりで働ける自分」と
「みんなとも楽しめる自分」は
無理ない範囲で共存できる。
長年の「幻想の恐れ」から解き放たれて
また自由を手に入れました。
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