あなたのココロの
パーソナルトレーナー
心理カウンセラーのかとちゃんです。
多くの人は
「問題」が解決したら
悩みがなくなる、
と思っています。
え?違うの?
ってフツー思うじゃない。
違うのよ。
まずアナタが
「問題」だと思っていることは
本当に「問題」なのでしょうか。
だってその「問題」、
同じ「問題」を持っている人でも
「問題」だと思っていない人も
いるはずです。
たとえばアナタが
「太っている」
という「問題」があって
悩んでいるとする。
でも
「太っている」
を「問題視」していない人には
これは悩みにならない。
女性だと
そうは言っても的な
想いはあるかもしれないけど
男性だと
「太ってる」はそこまで
問題視されないですわいね。
ボクは運動神経が
まったくもってゼロです。
フルポン村上の「ヒザ神」ほど
ではないですが、
走るもの投げるもの打つのも
全部カラッキシです。
でも、
全然「問題視」していないので
劣等感のカケラもないし
悩みにもなりません。
とはいえ
人によっては
「自分は運動音痴でかっこわるい」
と問題視して
悩んでいる人もいるでしょう。
人間関係の「問題」で
あってもそうです。
それを「問題視」しない人には
それは悩みにはならない。
夫が家事を
手伝ってくれないんです。
会社にパワハラにあっています。
これひとつとってみても
「問題視」する人としない人がいる。
「問題視」してない人は
その「問題」を
そもそも問題とは思わず、
人生の中で当然あらわれてくる
【課題】と思っています。
「課題」とは
自分に課せられたものであって、
自分の一部として捉えています。
だから、
それをことさらに大ゴトにせず
どうやったら対処できるかな?
と考えて前に進むことができます。
課題なので、
保留してもいいし、
一時退避することも
できるでしょう。
一方「問題」とは
もはや自分の一部ではありません。
自分に課せられたものでなく
自分とは別の分離した
「悪」として捉えています。
だから
それをことさらに大ゴトにして
対処ではなく「排除」を目指します。
これは解決ではなく、
ただの争いです。
ボクはこれを
幼少期からかかえる
さまざまな病気や体調不良、
そしてうつから学びました。
学んだというか、
争って戦って疲弊して
ある日、
「問題視」するのを
あきらめました。
自分と分離して
自分と別のものとして
戦っていたから
全く解決していかなかった。
戦えば戦うほど
病気以外にも
「問題」ばかりが増えていっていた。
だから「問題視」するのをやめました。
人生の「課題」として
自分のものとして、
自らの人生の道程に組み込んだのです。
したら問題はなくなりました。
課題はたくさんありますが、
今世で解決できなくとも
しゃーないわなと
向き合うべき「課題」に
優先順位をつけながら
とりくんでいます。
「問題」は分離。
「課題」は統合。
これは、
「不便」と「不幸」の違いとも
同じです。
自分の人生に責任を
持って生きる時
「問題」は「課題」となり、
「モーマンタイ・無問題」=「大丈夫」
となるのです^^
☆かとちゃんの書籍