あなたもココロとお友達。
心理カウンセラーの かとちゃんです。
読者登録数が800行ったと思うと
すぐに数人が登録解除するという
イクトヘリー現象
にザワザワしています。(;´Д`)
今日は
みなさんの共感ポイントが
あるかどうかわかりませんが
病気に関して
感じたことを今は綴っているので
自分メモとして書いときます。

↑まずはひと押しヽ( ´¬`)ノ
嫌いな人、イヤな人
それがみんな自分を映し出す鏡だ
ということが腑に落ちてくると
そういう人たちに会うのが
ちょっと楽しみになってきたりします^^
「おー、自分って
そんなことイヤって思ってるんだ。」
「えー、自分って
そんなこと禁止してるんだ。」
って感じに、
ブーメランのように
すべて自分に戻ってくるので
自分大好きな性格であるがだけに(笑)
とても楽しい。^^
まあその人が自分に実害を及ぼす場合は
そんな悠長なこと言ってらんないけど
それでも
そうやって生きられるようになったら
対人関係における
“問題”と言えるものが
ほとんどなくなってきた。
それで、
幼少期より
アトピーで嫌悪されたり
頸性神経筋症候群での体調不良を
サボりと言われたり
というような
過去に
嫌だ、キライだ、ヒドい!
と思っていた人たちのことも
そういう目で見てみると
自分が病気であることを
受け入れられていないからこそ
そのように
見えていたものなのだな
ということが分かります。
子供が受け入れるには
過酷で理不尽な現実では
あったけどね。
そうやって過去を振り返ることで
ツラかった幼少期も癒えていき
そんなイヤだった人たちや
病気である自分を受け入れることが
できるようになった。
そんなことを
ここしばらくは
ココロの中で感じていたんだけど
思わぬ盲点があったことに
気が付いた。
生きていくことが
まだまだ辛かったころ
いろんなココロの勉強などを
していくと、
「相手には相手の都合がある」
「コチラのことに
まだまだ配慮することができないような
ココロの段階なんだ」
「あの人も苦しいんだ」
というように
病気に対して理不尽なことを
言ってくる人たちを
「許す」
って事をするようになった。
仏教でもキリスト教でも
「許す」ことが最重要なカギのように
言われているしね。
前述したように
明確に
嫌い、イヤだ、ヒドい
って思った人たちと違って
こうやって、
「許した」人たちについては
そこで終わったものとして
ココロに封印していたみたいで
今になって
忘れていたそんな人たちを
いっぱい思い出すようになった。
でもね、
今考えてみると
そんな「許した」はずの人たちが
実は「許して」いなくて
たんに「都合よく考えることで」
ココロにフタをしていただけなんだなぁと
思うようになった。
「許す」
というのが
そもそも「上から目線」であったことと
結局「あのひとと自分は違うから」
という理屈を付けて
遠ざけていただけなんだな、
ということがわかった。
「あの人は病気の人に
気を配ることもできない
かわいそうな人だ」
ぐらいに自分を上に置く
傲慢さでもって
ただ単に
その人を「分離」していた。
そんなふうに
感じるようになったんよ。
これは
仏教やキリスト教などでいう
本当の意味での「許す」を
自分が実践できていなかったのだと
思うのだけど
間違ってしまった
この「許す」よりも
やっぱり
そんな人たちも
自分を映す鏡だと
「同一視して受け入れる」
という考え方の方が
すべてを解決に導く答えだな
って思いましたとさ^^
やっぱりみんなは一つなんだね。

↑かとちゃんを応援ひと押しヽ( ´¬`)ノ

病気に限らず
ものわかりの良いフリして
その場をやり過ごしてると
それは本当の解決には
至ってないかもね。
アナタの
そんな気付きになればいいな^^
ボクはもうちょっと
過去を洗って
過去と仲直りしていきますわい。
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