心からにっき@ASOBI -4ページ目

きょうのきょうみ[タバスコ]

私が出演させて頂いているラジオは

番組名を「タバスコな夜」と言う。

そのこころは?と問われれば

「ピリ辛な夜にしよう」という事になるのだが

実はまったく「ピリ辛」な番組ではない。

そもそも何故「ピリ辛」だったかと言えば

打合せをしていた喫茶店にタバスコがあったからであり

ピリ辛だからタバスコなのか、タバスコだからピリ辛なのか

ピリ辛が先か、タバスコが先か

よくわからない状況にある。


今日はそんなラジオな話だ


☆          ☆          ☆


私が出演させていただいている放送局は

コミュニティーFMと呼ばれる小さな放送局で

基本的には21時以降の放送がない。

いや、

あるにはあるが、自社製作の放送を流していない。

深夜枠は年間契約で買っている他局の

放送を流すのがこの放送局の方針で

「タバスコな夜」だけが例外として25時から放送されている。

金銭的なコストや管理体制を考えれば

深夜枠を自社製作にするメリットは

現在のところほとんどないという局の言い分にも

「コミュニティーFMだから致し方なかろう」と

私は感じている。


だから例外である「タバスコな夜」という番組も

「JAZZ VOCALターンテーブルの夜」という他局製作の

音楽だけの番組の間に割り込む形で放送されている。

しかも「タバスコな夜」は局のタイムテーブルにも書かれていないので

幻の番組といっても過言ではない。

そんな番組だからやっているこちらも結構フランクで

打合せ約2分。

収録は30分程度話して

ディレクターのOKの合図で終了。

という極めて合理的な収録をさせていただいている。

もちろん、だからといって適当なわけではなく

議論の末に「フランクに話した方が面白い」という結論に達し

この形にさせていただいているわけだ。


先日、そんな「タバスコな夜」の次週分の収録後、

私と一緒に出演されている「ヤマちゃん」と

前4週のMDを聞いた。

深夜25時という深夜帯の放送だから

実は私は一度も放送を聴いたことがなかった。


☆          ☆          ☆


番組の企画当初の基本的なコンセプトは

もちろん「タバスコ的なピリ辛トーク」であった。

「深夜帯の放送だからこそ許される

辛口に斬ってしまう番組にしよう」との事だった。

それにあわせて、我々も一生懸命「ピリ辛」を学び

「ピリ辛」なトークを心がけてきた。


しかしである。MDを聞いてみるとそこには

それはそれは「いい人」になっている私がおり

ピリ辛のピの字もございません。

多少内容がきつくても話し方で調整し

「いい人」になっているわけだ。


世の中で活躍されている「辛口評論家」なる人々は

どれだけ辛口なんだろう。

ピリ辛にしようと思っても出来ない私たちがいるわけだから

「辛口」といわれる人々は並大抵の努力ではないだろう。


ここからは宣伝になるが

ひとつ言える事は

それでも「タバスコな夜」は面白い。

ピリ辛でもなんでもないアンニュイな番組だが

本当に面白い。

ついでに言うと「カッコいい」番組でもある。

これはディレクターのセンスの良さに由来するので

私がカッコいいわけではない。


静岡県東部にお住まいの方で

家にラジオがない方や

聞こえが悪い地域にお住まいの方は

毎週水曜日の深夜は「ドライブの日」と是非決めて頂きたい。

御夫婦やカップル、お友達同士で

週に一回くらいそんな日があるのも

「大人の楽しみ」の一つだと思って

是非「タバスコな夜」を聞いていただきたい。


☆          ☆          ☆


私は「美味しいモノ」を作ると

「美味しいよ」と勧める。

「いいモノ」は「いいモノだよ」と伝えるし

「綺麗なモノ」は「綺麗だよ」と伝える。

ちなみに美味しくないモノを作ってしまった時は

何も言わずに食卓に出す。


そんな私が今日は言う。

「面白いから聞いてみな!!」




▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

「タバスコな夜」

毎週水曜日25時から

FM77.7にて

絶賛放送中!!

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

きょうのきょうみ[ワイン]

私が友人を自宅に招いた時の飲み物は

多くの場合、ワインと決まっている。

もちろん大好きなスコッチも飲むし

芋焼酎も飲む。

が、断然多いのはワインだ。


もちろん

シャトーや品種には拘らない。

友人と飲むわけだから

拘ったら美味しい会話ができなくなる。

そもそもワインは嗜好品だから

決まった通りに飲まなければいけないでは

つまらない。

その日の嗜好に合わせて

飲みたいように飲む。
そして笑う。

今日も私は健康だ。


今日はそんなワインの話だ。


☆          ☆          ☆


私が最近飲んだワインは

イタリアのカベルネ・ソービニオン。

とても美味しく頂いた。

その前に飲んだのは

オーストラリアのカベルネ・ソービニオン。

その前はチリのカベルネ・ソービニオン。

その前はボルドーの…


私の中では何故か

赤ワインはカベルネ・ソービニオンって事になっている。

メルローだってピノ・ノワールだって美味しいが

何故かカベルネ・ソービニオンって事になるから不思議だ。

ちなみに

カベルネ・ソーヴィニヨンって書く文献をよく目にするが

ワインに酔った私にそんな素敵な発音はできないので

今日はカベルネ・ソービニオンで通す。


シャルドネ種で作ったワインがある。

オーク樽で仕込んだフレーバーの強い白ワインや

シャルドネだけで作ったシャンパンなんて

最高に美味しい。

有名なのはフランスのシャブリだが

世界中にありふれている葡萄なだけに

様々な味が楽しめる。

たまにはリースリングも飲みたくなるが

白ワインが飲みたい日の多くは

何故かこれになる。

本日2度目の不思議だ。


☆          ☆          ☆


さて、

今日の本題は

日本ワインの「赤」についてだ。

何故「赤」かと言えば

「白」なら十分に美味しいモノがあるから。

十分どころか

世界でも一級のおいしさを持つモノまである。

数年前に義兄に貰った広島産の生牡蠣と

合わせて飲んだ山梨のシャルドネの味は

今でも忘れられないワインのひとつだ。


しかし「赤」…。


私が今まで飲んできた日本産の赤ワインで

「美味しい」と思ったモノは

残念ながら、ない。


少し前のワインの爆発的ブームの影に

健康志向があった事はご存知な方も多いだろう。

その中心には「ポリフェノール」なる抗酸化物の存在があり

そのポリフェノールは赤ワインに多く含まれる。

にもかかわらず、日本産の赤ワインに美味しいモノがない。

これは本日3つ目の不思議ではないか。


☆          ☆          ☆


少し前に

私の住む街からクルマで40分くらいの小高い丘

にあるワイナリーでワイン作りをしている方と

お話をさせていただいた。

そのワイナリーでの結婚式の客として訪問した私を

居酒屋まで覚えていてくださったようで

隣のテーブルで五月蝿く話す私に

「先日の結婚式でワイナリーにお見えになりましたよね」と

声をかけてくれたのだ。


その頃から上記の事を考えていた私は

失礼ながらそのままお伝えし

理由を聞かせていただいた。

その時、本日の不思議①②については

早々に答えが出た。


「いつもどこで買うか?」と聞かれ

「○○酒店や××リカー」と答えた。

「であれば、品質の良いモノを揃えているはずだから

カベルネ・ソービニオンやシャルドネが多くなるのは当然ですよ」

との事。

普段飲む程度の金額で品質が良いモノは

それが一番多いのだそうだ。

自分でも薄々気がつきながらの不思議なので

納得する。

本当に早々だ。


しかし3つ目の不思議については

「否定はしないが理由はわからない」という

極めてまどろっこしい状況。

こんな失礼な質問をする私も私だが

それに答える彼も彼…。

葡萄の出来なのか、品種なのか

寝かし方なのか…。


結局、その日も理由はわからず

焼酎で乾杯した。


☆          ☆          ☆


そんな事を思い出して

今日は日本産の赤ワインを飲んだ。

やはり美味しくない。

これだけワインが低価格で流通する昨今、

2,000円も出せば

普通はどれだって美味しいはずなのに

美味しくない。

こうやって美味しいワインを探すのも

ひとつの楽しみだから問題はないが

できれば美味しく楽しみたい。

アルコールが回ってくれば

「これだから、日本は…」なんて

文句のひとつも言いたくなる。


しかし私は日本人の好奇心を信じたい。

あれだけ美味しい「白」を造れて、

あれだけ美味しいビールを造れて、

あれだけ美味しいスコッチを造れるようになったのだから

きっと美味しい赤ワインだって造れるに違いない。


少し不安だが見守りたい。

もちろんケチもつけるが

信じたい。

きょうのきょうみ[めがね]

言うまでもなく

メガネは顔の一部だ。

私の実感でもあるし

CMでもそう言っていた。

それが正しいとすれば

メガネを変えることは

顔の一部を変えると等しい。

そして、顔の一部が変われば

印象は大きく変わってくる。


私は今、メガネを探している。


パスカルの言う

「クレオパトラの鼻。もしもそれがもっと低かったら、

大地の全表面が変わっていただろう」

という程は変わらないにしても

私の生活くらいは変わるかもしれない。

それを期待して

私は今、メガネを探している。


☆          ☆          ☆

私の愛用しているメガネは

3つある。


ひとつは仕事の時にするメガネで

横幅がほんの少し大きい。

理由は

「顔が大きいから」ではない。

「知的に見えるのではないか」という

淡い期待からだ。


あとのふたつはプライベート用のサングラス。

ひとつはフレームやレンズが茶色で

いかにもプライベートらしい少し尖った厭らしいメガネ。

もうひとつは全く壊れていないのに

その茶色のメガネを買った為に殆ど使われなくなった

可哀想な薄水色のレンズがついた可愛らしいメガネだ。


☆          ☆          ☆


先日、とある美術館へ足を運んだ。

もちろんプライベート用の

茶色い厭らしいメガネをかけてだ。


その美術館は辺りに広い自然公園があり、

その中をゆっくり散策する事が出来る

森の中に佇む気持ちのいい美術館だ。


だが、残念ながら私は絵画や彫刻に詳しくない。

学校の美術の時間は、いたずら書きをして

出来る限り後の席で時間を潰した。

だから、私が美術館に足を運んで楽しむことといえば

もっぱら「雰囲気」だ。

場所の雰囲気、作品の雰囲気、同伴者との雰囲気…

そして私自身の雰囲気。

それらすべてを楽しみたくて

美術館に足を運ぶ。


その美術館の作品は

一人のフランス人作家の作品がすべてで

力強い黒の描線と鋭いフォルムが印象的だった。

「サブカルチャー的なテイストを含む」と感じて

ポップアートを連想しながらの鑑賞は

何億もするような作品をいくつも所蔵する

いかにもハイカルチャーな美術館より

よほど楽しめたし

その日の私には心地よかった。


天気にも恵まれ

館外のタイルに落ちた枯葉にも

味を感じた。

なにより辺りの自然が嫌味なく

「ただそこにある」だけなのが

心地よかった。


本当に楽しい時間だったが、

ただひとつ

少しだけ引っかかる事があった。


「自分の雰囲気」だ。


☆          ☆          ☆


出掛ける前に鏡の前で自分の姿を確認する。

あるいは、身に着けるものを選びながら

その日の自分の雰囲気を無意識に作る。

それが、その日の自分の行動とずれていると

気持ちのどこかに引っ掛かって

心から楽しめない。

そんな経験はないだろうか。

私には、ある。

そんな日はとても残念だ。


私も今では一応、大人として見られる。

目じりに皺もあるし

肌理も細かくなくなった。

精神年齢なんていう

見た目でわからない年齢では

他人は判断してくれない。

そんな私が

精神年齢と同じ程度のメガネしかかけないことは

明らかに自分の行動を狭めている。


だからそろそろ

自分の実年齢程度の

色の入っていないメガネで

自分の雰囲気をつくりたい。


☆          ☆          ☆


今まで、プライベートはおざなり

にしてきた私だが

今、メガネを探している。

プライベートでかける為の

レンズに色が入っていない

雰囲気を作れるメガネを探している。

できれば私が少しだけ大人になれるような

そんなメガネが見つかれば最高だ。


そしてそれをかけて

「大地の全表面」を変えてみたい。

それが今の願いだ。

きょうのきょうみ[イギリス]

今、私はイギリス紳士になりたい。

休日はクリケットに興じ

レディーには必ずファースト。

家庭での食事は

食卓の上で各人味付けをし

霧雨の日は物思いに耽る。

もちろん魔法学校を卒業している。

そんなイギリス紳士になりたい。


☆          ☆          ☆


日本人はイギリスに友好的だ。

そんなに悪い感情を持っていないように思う。

しかし、

その日本人である私は

実はイギリスについて何も知らない。

イギリス人がどんな生活をして

どんな音楽を聴いて

どんな文化を持っているのか。

ビートルズからほとんど進んでいない。


イメージの中では

イギリスと少し前の日本がかぶる。

少し前のイギリスと

少し前の日本がかぶるのかもしれない。


時計なら文字盤に時、分、秒針だけの

シンプルな機械式の時計を好む。

革靴のトゥは丸く短い。

派手さはないが

全体にシッカリと仕立てられ

見えない部分にまで拘っているスーツを着て

伝統と礼儀を重んじる。

少し前の日本とかぶる。


翻って現代の日本を見回すと

先日来、世間を相撲が賑わせている。

外国人力士が活躍する現在の角界において

横綱の品格が問われている。

品格を問う姿勢にこそ日本人としての誇りがあると

言わんばかりだ。

しかし他方、

オリンピックやワールドカップで勝利したときの

日本人選手の喜びようにこの国の人々は心を熱くさせる。

ガッツポーズを決める姿に

「よくやった!」と声を枯らす。

苦労して勝ち取った勝利を見て涙する。

そこには肩を落とす敗者への礼などは皆無だ。

それでも「下品だ」「恥知らずだ」などと批判されることなどありえない。


相撲などの明らかな自国の土俵では日本人の品格や誇りを語り

外界へ出て行ったときには、日本人の品格や誇りは必要ないらしい。

角界の品格論は

実は日本人自身が失っているものを

如実に表してはいないか。


☆          ☆          ☆


イギリスに詳しいわけではないが

私の知る限りのロンドンに住む方は

「Thank you」や「Sorry」「Cheers」などをよく使う。

イギリスに行った事がある方はご存知だろう。


政治的には両国とも

色々な歴史を経て

議院内閣制に基づく立憲君主制を敷く。

80年代イギリスで

構造改革路線を急進的に進め

その後、市場化一辺倒の政策を修正した第三の道へ進んだことは

その評価は別として現在の日本の立位置とかぶる。

また、

立地的には島国。

隣の国と感情的な軋轢を生んでいることも

否定は出来ない。


両国には共に

他の国々を圧倒するだけの

国力を持った歴史がある。

結果、勝者と敗者に別れたとはいえ

両国ともに疲弊しきった。

しかし戦後の両国の発展の道程には

大きな違いがある。

戦後の強大国アメリカとのバランスの中で

イギリスは福祉国家を標榜し、日本は経済を追求する。

それが今日の経済的な

東京の凋落と

ロンドンの繁栄。

皮肉としか言いようがない。


☆          ☆          ☆


私はイギリス紳士になりたい。

それはもちろん

休日は競馬三昧。

関白宣言のつもりが関白失脚。

食事はいつも冷凍食品。

スモッグの日は憂鬱になる。

そんな紳士のことではない。


だからまずは

魔法学校を探すことから始めたい。

きょうのきょうみ[和]

私は和のテイストが好きだ。


とはいっても、

和服で歩くのには躊躇いがあるし

下駄や雪駄では仕事ができない。

襖や障子で仕切る純日本住宅に住むのも

無理がある。

そもそも鍵のない家に住めるほど

治安がよくはない。

しかし和のテイストが好きだ。

できれば「和」の生活がしたい。


☆          ☆          ☆


私は普段着る洋服に頓着がない。

色々考えるのがメンドクサイ。

カッコよくいたいとは思うが

思って終わりだ。

そんな私だが

一応、お気に入りの店や

ブランドは存在する。


例えば

「ちきりや」の服。

和柄で和のテイストの洋服だ。

洋服だけではなく

例えばメッセンジャーバックやスニーカー、

帽子なんかも和柄だ。


H.P を見るとわかるが

現代にあった和の使い方が面白い。

CHIKIRIYAってローマ字で書いてあったりする。


☆          ☆          ☆


日本人は長い間、

季節と共に歩んできた。

季節を身に纏い

季節を食し

季節を愛でながら歩んできた。

それと共に

季節を畏れ

季節を尊びながら歩んできた。


もちろん今でも

春になれば桜を見るし

秋になれば月を見る。

冬には雪見をし

その度に魅了される。

しかしそれを持ち帰り

身に纏ったり、食したりする事は

ずいぶん減った。

現代の社会活動の中で

現実的にそれをすることが難しくなったことも

否めない。
だからこそ私は

社会生活の中での和のテイストを考える。


すべてを和式にする事は

無理に近い。

私もそろそろ大人だから

現実的な社会生活の中に身を置いておきたい。


和服や雪駄で歩くのではなく

鍵のない家に住むのではなく

季節と共に歩んできた和のテイストを大切にしたい。


☆          ☆          ☆


ちょうど昨日、

桜の枝に目が留まった。

まだ固いが

確実に綺麗な花を咲かせる蕾がついていた。


つるし雛を見かける機会が増えてきた。

玄関で、その家の奥様が作ったであろうつるし雛が

可愛らしく微笑んでいる。


そうだ。間違いない。

春はもうすぐそこまで来ている。



きょうのきょうみ[スコッチ]

多くの方は飲みたくなるお酒があると思う。

日本酒だったり、

芋焼酎だったり

ワインだったり…。

なかにはそれが

マッコリやジン、

テキーラの方もいるだろう。

今の私のそれは

スコッチだ。


☆          ☆          ☆


私は

外に飲みに出かけると

最後はバーで締めることが多い。

理由は簡単で

私の住むマンションから

一番近くの締めにむく店が

バーだからだ。

バーと言っても

色々な形態のバーがあるので少し説明する。


私が締めに使わせて頂いているバーは

この街では老舗に近い。

古くから営業されていて

内装は完全にオーセンティック。

中に立つのは若い男性のバーテンダーが二人。

ここ数年は変っていないらしい。


若い頃からスコッチを飲んでいた私だが

何百種類の中から

今日、飲みたい銘柄を選ぶほどの

知識は当然ない。

だからいつも

その日に食べてきたお店や料理、

酔い加減を伝え

バーテンダーに選んでもらう。

ロックで3~4杯。

つまみはチョコレート。

最初にその店に入った時から

ずっとそのスタイルだ。


苦味が強くカカオの多いチョコレートは食べられないので

今では皿に盛られてこない。

私の趣味を覚えていてくれるバーテンダーだから

スコッチも安心して任せられる。

それが私の締めのお店だ。


☆          ☆          ☆


さて、

私はお酒に限らず

嗜好品の好き嫌いは極力言わないようにしている。

今日、ここでスコッチが好きだと書いてしまうと

「スコッチが好きな人」になってしまいそうだが

もちろん、

ビールもバーボンも焼酎もウォッカもワインも好きだ。


ただ、一人で飲む時や

友人と語らう時には

スコッチが多い。


そんな私は昨日、

仕事終わりに少しだけ

スコッチを飲んだ。

タリスカーの10年だった。

なんだか突然飲みたくなって

買ったままになっていた瓶を開けた。


潮の風味がイッキに口の中に入ってきて

自分の今の立位置に気付かされた。

もう弱ってはいない。

前に進む気力や体力が十分にあることに

気付かされた。

タリスカーが美味いと

久々に感じた。


タリスカーはよく

「舌の上で爆発する」と表現される。

スモーキーで刺激的、

後味が少し塩っぽく個性的。

しかし、多くの人から愛され、

スコッチをあまり飲まない方にも

お勧めできる。


二重人格の小説「ジキルとハイド」や

冒険小説「宝島」を書いた

ロバート・ルイス・スティーヴンソンが愛飲していたと聞くと

少し奇妙な気分になる。


☆          ☆          ☆


ひと口にスコッチと言っても

実は多くの種類がある。

シングル・モルトやシングル・カスク

ブレンデッド・モルトやブレンデッド・ウィスキーなどである。

タリスカーなどの私がよく飲むスコッチはシングル・モルトだが

一般にスコッチと言うと

ブレンデッド・ウィスキーの事を指す事が多いようだ。


ブレンデッド・ウィスキーは

モルト・ウイスキー(大麦)やグレーン・ウイスキー(とうもろこし等)を

ブレンダーと呼ばれる職人さんがブレンドし

瓶詰前に加水することが多い。

だからクセが少なく飲みやすいものが多い。

ある蒸留所を見学させていただいたことがあるが

数百のウィスキーをブレンダーがテイスティングして

数十のウィスキーをブレンドしていくとの説明を受けた。

そんなにウィスキーが飲めるなんて少し羨ましいとも思ったが

本当に大変な仕事だろう。


とは言っても

なぜか私が飲むスコッチはシングル・モルトが多い。

もちろんシングル・モルトでも一つの蒸留所内の樽を

ブレンダーがブレンドするので、その大変な仕事は介在している。

ただ、モルトだけから出来ているから

味や香りが強烈で、飲むこちら側の肉体や精神が弱っていると

ウィスキーに負けてしまって

美味しくいただけない傾向にあると、実感している。


☆          ☆          ☆


という事で

今日も家でグラスを傾けた。

ツマミは長泉にあるチョコレート専門店で買った

丸く可愛らしいが本格的なチョコレートだ。


ウィスキーが出来上がるまでの

十数年の過去を感じながら

雑誌を見ながらゆっくりと

未来の事について考えた。

心から幸せな時間だった。


美味しかった。

きょうのきょうみ[GT-R]

数ヶ月前から気になっていたGT-Rに

やっと乗ることが出来た。

試乗程度だが運転ができ、

2時間程度だが

実物を触ることが出来た。

雑誌で「動力性能が云々」と

高い評価をされながらも

一般に興奮するほどの興味を示されることもなく

777万円という破格プライスにも

本気で食指が動いた方はゴク僅か。

「マルチパフォーマンス・スーパーカー」という

メーカーの説明にも説得力を感じない。

そんなGT-Rについて

少し書こうと思う。


☆          ☆          ☆


私の中でGT-Rと言えば

1989年発売のR32 スカイラインGT-Rだ。

時代はバブルの真っ只中。

世の中では

「CIMA」や「CROWN」などの高級車が

売れに売れ

スポーツカーやスペシャリティーカーの世界も

このGT-Rを中心に

スープラ、RX-7、GTO、NSXなどが盛隆を極める。

日本車各社が持っている技術を惜しげもなく投入し

まさに世界最強の自動車大国といった雰囲気だった。

もちろん外国車も日本での販売に積極的で

BMWは「六本木のカローラ」などと揶揄され

少しずつだが日本に知れ渡って行った。

とは言っても私の住む田舎では

外国車に乗る人は少なく

世界の自動車はTVや雑誌の中でしかお目にかかれず

「日本車は名実共に外国車に引けをとらない」というアナウンスを

頑なに信じた。

このGT-Rに日本の未来が詰まっている様な気がして

子供心にワクワクした。


そんなGT-Rが

昨年、復活した。

名前からは「スカイライン」の文字がなくなり

世界中で販売するため左ハンドルも用意された。

エンジンはV型6気筒ツインターボで

完全武装の480馬力でも環境にも配慮。

ミッションはセミAT。

ブレーキはブレンボの対向6ポット。

サスペンションはビルシュタイン製だ。

ドライブトレインはGT-Rお得意のアテーサで

力を4輪すべてで地面に伝える。

カタログを見るだけで

完全に「イマドキ」のスポーツカーだ。

田舎にまで外国車が溢れるに至った昨今の我が国では

あの頃とは仮想敵も違うのだろう。

そんなR35GT-Rに乗った。


☆          ☆          ☆


このGT-R。

一言で言うと

よくできている。

よく曲がり、よく止まる。

そして速い。

誰でもがレーサーになれる。

眉間に皺を寄せなくとも

本格的に速い。

スカイラインのスポーツバージョンではなく

これ一台だけのための専用設計にしたのは

正解だろう。


もちろん乗り心地が良いとは言えないが

ハンドルの重さはBMWのセダンと大差ない。

ミッションは2ペダルなので

ATに慣れた私の運転でも綺麗にギアが上がっていく。

甲高い金属的なエンジン音が気持ちを盛り上げ

轍に乗り上げた音までも心地良い。

ブレーキは完璧に近い。

本当に「イマドキ」のスポーツカーだ。


☆          ☆          ☆


さて、

機械としてのクルマの性能はさておき

私が気になっているのは

「マルチパフォーマンス・スーパーカー」という

聞き慣れないキャラクターである。

その意味は日産のHP に書いてあるので

読んで頂ければお判り頂けると思うが

そうは言っても「スーパーカー」である。

スーパーカーと名乗った以上

本当にスーパーカーかどうか試したくなるのは

当然の欲求であり、

私自身の購入検討の目安にもなろう。


☆          ☆          ☆


世にスーパーカーを名乗るクルマは数々あるが

誰もが認めるスーパーカーは相当絞られる。

もちろんメーカーがスーパーカーだと言うモノが

スーパーカーだと言う人もいるが

私はそうは思わない。

私にとってはポルシェ911ですら

スーパーカーではない。

ポルシェ911の機械としての正当性は十二分に認めた上で

その正しさが仇になる。無駄が無い。

そもそもポルシェはスーパーカーと呼ばれる事を

求めていないんではないかと思う。


私の独断と偏見いっぱいのスーパーカー定義はこうだ。

「無駄に速そうで、無駄にカッコよくて、

無駄に赤くて、無駄にイタリア製」。

しかし今回はこの定義を変更。

そもそもこの定義ではGT-Rは

絶対にスーパーカーになれない。

日本製なのはどうしようもない。

そこで今回は「無駄にイタリア製」は削除する。

そして新しいGT-Rには

「無駄に赤い」ボディーカラーが存在する。

それはそれで素敵だが、

その色を選ぶのは相当勇気がいると思う。

そんな「無駄な赤」が存在する。

ここは早々と合格だ。

なので、残る「無駄に速そうか」と「無駄にカッコいいか」で話を進める。


まずは「無駄に速そうか」だ。

実物の外観は写真よりズット速そうに見える。

写真ではわかりにくいが

随分、筋肉質だ。

後ろに回ると4本出しの太いマフラーが

随分綺麗に収まり、テールランプは伝統の丸。

タイヤは283/35/R20のランフラットタイヤ。

大きめのウィングが速さを物語る。


横から見るとスポーツカーなのがよくわかる。

写真では箱型っぽい雰囲気を醸し出すが

実際は綺麗なラインのクーペだ。


内装に目を移すと

まずはインパネ中央にあるディスプレーに目がいく。

その下にはセットアップスイッチ。

走行しながら車両のセットアップが行える。

インパネ全体の雰囲気は機械的であり

質感も高い。

サイドブレーキが運転席の隣にあるのも

スポーツ走行には適しているだろう。

その他にも、多くのトピックスがあるが

兎にも角にも

これらはすべて無駄ではない。

無駄に速そうではなく

本当に速そうなクルマだ。


つぎに「無駄にカッコいい」かである。

「カッコいいか」という主観論を書くのはとても難しいが

そもそもスーパーカーとは

主観なしでは語れない「生き物」なので

意見がちがくても許して欲しい。


このクルマははっきり言ってしまうと

カッコいい。

日本製だけあって

ガンダム的な機械っぽいカッコよさだ。

でも、ポルシェデザインの哲学である

「デザインは機能から生まれる」とは少し違う気がする。

「デザインは機能の一部」とでもいえばわかりやすいか。

機能を優先するが、その機能の中にはデザインも含まれるとでも

いえばわかりやすいか。

どちらにしても

このデザインを「無駄」と賞する人はいないだろう。

まったく無駄ではない。

このクルマにはこのデザインが最適だろう。


☆          ☆          ☆


長々と書かせていただいたが

とどのつまり

このクルマは「スーパーカー」ではない。

「ピュアスポーツカー」でもない。

ストレートに「マルチパフォーマンスカー」と呼ぶべきだろう。

それも

とびきりなマルチパフォーマンスカーだと感じた。


私はR35GT-Rを凄いと思う。

このクルマが777万円は破格の安さだ。

速い、安い、美味い。

三拍子揃う凄いクルマだ。

欧州のクルマにも負けない絶対性能を持つ事は

間違いない。

私が知っているどのクルマよりも

私を快適に高速移動させてくれたし

エンジン以外の音まで気持ちいいクルマは本当に久しぶりだった。

そんなクルマを日本の自動車メーカーが作ったことを

私は一日本人として誇りに思う。


ただひとつ付け加えると

私は購入しない。

ただそれだけのことだ。

きょうのきょうみ[旧体制]

私も、今ではもう

旧体制派の人間なのかもしれない。

新しいモノや新しい変化に

ついていけない事が多くなってきた。

そう思い出したのは

先日、とある料理店へ行ってからだ。


☆          ☆          ☆


私の住む三島の小路を

奥へ入った所にある

テーブル4つが窮屈に並んだ

小さな小さな洋食屋は

ここに住みだしてから3年の間で開拓した

数十店の中でも

特にお気に入りのお店だ。


そのお店のメニューには

ハンバーグやカキフライ、

エビフライにコロッケが並ぶ。

コロッケって洋食?っていう疑問は

隣の席においといて

その日、私は

クリームコロッケを頼んだ。


そのクリームコロッケは

俵型の衣の中に

熱々のタネが入っている。

そのタネは

正に洋食の味付けがしてあり

その上には

クリーミーなホワイトソースがかかり

これまた正式な洋食らしさを醸しだす。

付け合せは

人参のグラッセ。

この甘さも洋食の王道だろう。


その皿をゆっくりと運んできてくれる奥様の

料理の説明はゆっくりと聞き取りやすく

気負わない姿が清々しい。


もう若くはないご夫婦が

お2人で磨いているのだろうか。

皿やコップは綺麗に拭かれ

テーブルクロスは多少使い込まれても

生地の厚さでそうとわからない。

全体をエンジ色で覆い

その上を白のクロスが斜めに掛かる。


私にとってここは

とても居心地がいい。


奥様がそうだからか

客である私も気負わなくていい。

食事も安心して食べられる。

美味しい。

ワインも高級ではないが

気を使わないものが揃い

財布にも安心だ。


☆          ☆          ☆


さて、

こんな私でも年に数回程度は

高級と呼ばれるレストランへ行く機会がある。

今、人気の店につれていって頂く機会もある。

最近では、ミシュランガイドに載ったという

若い方に人気のある

都内のとあるレストランへ連れていって頂いた。


そのお店は、

所謂、フランス創作料理風で

フレンチなのに

イタリアンや和食のエッセンスが滲む。

内装は鋭角を多く用い

都会的なセンスに富む。

金額的にも庶民的で

人気があるのも頷ける。

若いウェイターさんは

きちんとした身なりと手付きで

料理の案内までしてくれる。

ワインは

こちらもきちんとした身なりの

若いソムリエが

しっかりと説明してくれて

どの料理にはどれ

という具合に

セレクトしてくれる。

すべてが白黒はっきりしていて

美味しい料理や

美味しいサービスに貪欲だ。

本当に美味しかった。


きっと、このお店は

モダンな新しい価値を創造することに全力を傾けている。

美しく、そして正しくあろうとしている。

いや、

きっと正しい。

正しく美味しい。

そう思った。


☆          ☆          ☆


しかし

私はこのお店に少々疲れた。

潔癖な方と御一緒させて頂いた時のような

疲れを感じてしまった。

美味しいし、正しいとも思う。

それを認めたうえで

完璧であろうとする姿勢に反発を覚えてしまう。

ほんの少しだが反発をしてしまう。


私が好きな小道を奥に入った所にある

小さな小さな洋食屋さんは私に優しい。

新しくないところが私に優しいのか

正しくないところがやさしいのか…。

取り澄ました冷たさがない、そんな姿が

私を包んでくれる。


そんな事を肌で感じた時、私は気がついた。

私も、今ではもう

旧体制派の人間なのかもしれない。

新しい価値観を正しい姿で提供する姿は

元々、私自身が目指してきた所そのもの

なのにも係らず

それに疲れてしまう私は

今ではもう

旧体制派なのか…。

それとも

ほんの少し大人になったのか…。


☆          ☆          ☆


明日、小路を奥に入った所にある

あのお店へ行ってみようと思う。

正しいことや

取り澄ました冷たさを横目に見ながら

笑っている

あのお店へ行って

少しだけ

息を吐いてこようと思う。


うん、そうしよう。


きょうのきょうみ[コート]

寒い冬の夜。

お客様の家からクルマまでの数秒の間に

身体が凍る。

乗り込んだあとも

なかなか車内が暖まらず

暖かくなった頃には

家に着く。

そんな事を

もう、何年も続けている。

しかし

それでも苦にならないのは

そんな自分でも

少しカッコいいと思えるからだ。


「チェスターフィールドコート」

聞き覚えのある方もいるかもしれない。

英国紳士ご用達の

由緒正しいコートだ。


私が愛用しているのは

カシミアの黒の無地でロング。

膝丈よりも少し長い。

茶色、濃灰色など色は様々あるが

生地はやはりカシミアがいい。

ジャケットの上に着るから

重いと辛いのだ。


☆          ☆          ☆


私がこのコートを買ったのは

もう4年も前になる。

その頃見た映画の中で

ハードボイルドなマフィア達が着ていたのが

チェスターフィールドコートだった。

もちろんカシミアの黒の無地でロング。


自分も他人もストイックに攻めるマフィア達が

英国紳士然とした美しいコートに身を包む姿には

憧れるより他に方法がなかった。

要するにパクルしかなかった。

だから買った。


そのチェスターフィールドコートのお供といったら

マフラーと手袋と相場が決まっている。

その映画のマフィア達もしていた。

画像でしか見ていないので自信がないが

あのマフラーは多分シルクだ。

色は白。

白に限らないが

上品な色使いのマフラーをして

はじめてこのコートは完成する。


今年、そのマフラーを新調した。

茶色のカシミアだ。


最初はオフホワイトのマフラーを買おうと思い

コートを着たままお店へ入った。

長さや太さを考慮し

やっと見つけたマフラーを

巻いてみた。

するとどうだろう。

これは…

ビジネス的には…。


私はまだ、

チェスターフィールドコートに

白のマフラーを巻くほどの人格を

持ちあわせていないらしい。

映画に出てくるマフィア達とは雲泥の差。

30過ぎのおっさんが

まるで成人式の若者になってしまった。

英国紳士やハードボイルドとは

一線を画すカッコ悪さ。

結局、茶色のカシミアを購入した。


☆          ☆          ☆


モノと人には

バランスがある。

自分より低いものも

高いものも

調子が悪い。

だから

私はいつも

自分よりチョットだけ高いモノを

身に着けていたいと思う。

もちろん金額の話ではない。


そんなモノを身に着けている時

私は忘れる。

寒いという事を忘れる。

だから今日もハードボイルドに仕事ができる。


ありがたい。

きょうのきょうみ[環境]

最近、環境について

考える機会が多い。

先日はMY箸運動の話を聞かせてもらったし

今日はCO2の削減問題についての

お話を頂いた。

TVでも特集を組む事が多くなってきたし

一般人である私が

日常の会話で聞くことも多くなった。


徐々に環境問題が

「問題」として浸透してきていることを

肌で感じる。


☆          ☆          ☆


さて、

その環境問題を

専門家ではない私が

何故ここに書くかというと

環境問題が

「錦の御旗」になってしまう危険を感じたからだ。



一言に環境問題といっても

色々な環境の問題がある。

CO2=地球温暖化の問題はもちろんだが

都市環境の問題や

住宅環境の問題、

河川の汚濁の問題、

砂漠化だって環境問題だ。


そのすべてを環境問題という

ひとつのくくりで纏めるのは

そもそも無理がありはしないだろうか。



数年前、某知事が

ディーゼルエンジンの有害性について訴え

その影響かどうかはわからないが

日本からディーゼルエンジンの乗用車がなくなった。

当時、

環境のことを考えてディーゼルエンジン車に乗っていた私は

非常に戸惑った。

クルマに詳しい方はご存知かもしれないが

ディーゼル車は呼吸器系の病気を引き起こす

NOx等々の有害物質を出す。

それが都市環境に悪いという某知事の訴えだった。

そんな車に環境の事を考えて乗っていた。


乗っていた理由はCO2。

一般にディーゼルエンジンは熱効率がよく、燃費もいい。

つまりCO2の発生が少ない。

ついでにエンジン自体が頑丈。

壊れなければ買い替えないので

その分、クルマを作るエネルギーが必要ない。

そんな車に環境のことを考えて乗っていた。


どちらが優先されるべきことかを

本当に考えての動きなのだろうか。


ちなみに、

今、環境問題といえば

基本的にはCO2の問題だろう。

☆          ☆          ☆


私はクルマが好きだ。

でも、

環境についても考えている。


さて、

TVで盛んに

「消費電力が少なくなれば

環境負荷が小さいから

冷蔵庫を省エネタイプに買い換えるだけでも

環境に優しい事になる。」

というような事を言っている。

一見真実だが本当に真実か?


一定年数を過ぎた自動車は環境負荷が大きいから

自動車税が高くなる。という訳のわからない税制がある。

本当にこれでいいのだろうか。


モノを作るときや捨てる時の

環境に対するインパクトについて

考えているのだろうか。


今、持っていないモノを買うなら

当然、環境負荷が小さいモノを選ぶ。

しかし、今、持っているものを捨てて

ローインパクトな商品を買うことは

本当に環境に優しいといえるのか。


☆          ☆          ☆


私はクルマが好きだ。

でも、

環境についても考えている。


さて、

私は、大きいクルマよりも

小さい車が好きだ。

足として使っているクルマは普通の大きさだが

趣味や遊びで乗るクルマは

小さい車って事になっている。

その小さい車について考えたい。


小さい車は燃費がいい。

これは多くの場合、真実だ。

しかし

小さいクルマは

人が多く乗れない。

これも多くの場合、真実だ。


では、

小さくて、燃費が良くて、多くの人が乗れないクルマと

大きくて、燃費が悪くて、多くの人が乗れるクルマは

どちらがローインパクトだろう?


何が言いたいかといえば

すごく燃費が良くても

一人で乗るクルマが

環境負荷が小さいっていうのは

嘘っぱちではないかという事。


自分で乗っているからこそ

実感する。


☆          ☆          ☆


私はクルマが好きだ。

でも、

環境についても考えている。


10年以上経った中古のクルマで

カッコいいと思うモノのほとんどは

外国製だ。

日本製のモノもあるが

一般に外国製のモノの方が多い


20年以上前のメルセデスに乗っている知人がいる。

彼は本当にそのクルマが好きで

彼が買ってから彼是5年、

会うたびに自慢をする。

非常に迷惑な人だが

その彼が言っていた。

「このクルマは俺が飽きてもきっと次に欲しい人がいる。

だからそれまでは俺も大切に乗ると決まってる。」

そう思って乗っている彼を羨ましく思う。

そしてクルマも幸せだろう。

決して、オンボロではなく

嫉妬するくらいカッコいい。


この国の自動車メーカーは

どうしてそういうクルマを作らないのだろう。

これだけ技術と資本力があると豪語するのなら

20年でも30年でも乗って下さい。ってクルマを

一台くらい作ったらどうだろう。


この国に住む我々は

目先のデザインや

目先の技術に

今まで散々付き合ってきたのだから

そのくらいのクルマを作っても

良いんではないかな。

本質的に良いモノを

作ってみたらどうだろう。

それも環境に対するひとつの答えなんじゃないかな。

環境に熱心な

とある最大手メーカーに言いたくなる。


☆          ☆          ☆


よくよく考えてみると

現代の消費行動は

どれもこれも環境に負荷がかかる。

だから

環境負荷が0なんて事は

今すぐには誰にも出来ないわけで、

環境団体を正義と呼ぶのには無理がある。

その意味で言ったら正義とは

自殺をして

少しでも人間を減らすことって

危険な発想になっていく。


環境って言葉は

ずるいけど

人が生きていくための環境

っていう意味だから

そもそもそこに

本質的な正義なんて

存在しないのかもしれない。

だから環境を

「錦の御旗」にして

宗教団体かのような態度をとる方々には

鬱陶しくなる。


☆          ☆          ☆


ちなみに今日

このにっきに書こうと思ったが

話が長くなりすぎそうだったので

やめた話がいっぱいある。


だから近いうちに

また

環境については

書こうと思っているので

そのつもりで…。