心からにっき@ASOBI -2ページ目

きょうのきょうみ[難易度]

私は難易度の高いものを好む。

難易度の高いものに挑戦している自分こそが

本当の自分だと信じる。


ある意味、修行僧。


☆          ☆          ☆


自動車で遠出をする事が多い私にとって

どのクルマで出掛けるかは非常に重要なポイントだ。

だから、色々試してみる。


小さい方が取り回しが「楽」だとか

大きな方が高速道路の運転が「楽」だとか

軽なら燃費が「楽」だとか…。

そして辿りついた答えは

「楽しいクルマが一番いい」だった。


私は「楽」であっても楽しくないクルマには疲れを感じる。

集中力は途切れるし、運転に飽きるし、眠い。

「早くつかないかな~」なんて考えて

運転に消極的な自分に気がつく。

到着後の感想は「やっと着いた…」だ。

そんな情けない自分を感じるだけでも疲れてくる。


そこで「楽しいクルマ」の登場だ。

楽しいクルマは運転に集中できる。

だから多少スピードを出しても安全だし

なにより自分自身が積極的に運転をする。

だからまた楽しい。

到着後の感想は

「あ~ぁ、着いちゃった…」になる。


しかしである。

しかし、そんな楽しいクルマは

基本的に難易度が高い。

難易度が高いから楽しいのかもしれないが

兎にも角にも難易度が高い。


やはり私は修行僧だ。


☆          ☆          ☆


私が仕事中にする時計は

スイス製の自動巻きだ。

文字盤はシルバー。

スーツに合わせると、ちょうどよく目立たない。

若い私にも、荷が重くない。
しかし、休日の私がそれを腕に巻くことは

極めて少ない。

きっと楽な時計過ぎるのだと思う。


休日の私の時計は

意味が不明な軍用時計か

手巻きで、少しごつめの時計だ。


どちらも重く、存在感がある。

ファッション的な難易度が高い。

手巻きの時計なんて

する度にゼンマイを巻いて

一日つけると

もう時間が狂う。

時計としての哲学は置いておくとしても

難易度が高い。

メンドクサイ。


それなのに

それをするのだから

私はやはり修行僧だ。


☆          ☆          ☆


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081229-00000041-mai-soci
世は不景気だ。

TVの中は失業者で溢れている。

私の近くには幸い同じ境遇の方はいないが…。

そんなTVを見ていて

少なからぬ「羨ましさ」を感じる私がいる。

理由を

これが全員ではない事を前提に書く。


TVに出てくる方の殆どが(つまり全員ではない)

独身だ。

そして家を持たない。

自動車も持っていないようだ。

つまり多額のローンはなさそうだ。

つまりは何も持たない方が殆どだ。


世の中には、そんな状況が作れるのであれば

やりたい事がある方は多々いらっしゃるのではないか。

社会的な責任を持たない状況で、

好きなことをしたいとお思いの方は多いのではないか。

実際、私はそう思うことがある。

社会的な話ではなく個人の話だ。


私なら…

今財布の中にある数千円か数百円のお金を持って

全財産を持って自転車に乗って旅に出たい。

自転車がなければ徒歩でもかまわない。

持ちきれないものは全部現金化する。

行き先は四国。

途中で多くの方と話をさせていただいて

軒先をお借りして野宿をさせていただく。

農村で手伝いをして大根を貰う。

漁村で手伝いをして魚を貰う。

場末のスナックで働かせて頂いてもいいし

その地域のホームレスの方の中に

混ぜていただいてもいい。

正直、四国までたどり着かなくてもいい。

行ったって何があるわけじゃないんだから…。


大学時代にそんな事の真似事をしたことがある。

ホームレス生活をした事も2晩だけだがある。

その時はホームレスの方が色々気を使ってくれて

ご飯には困らなかった。

あの時は本当に楽しかった。

そんな、自由気ままな生活に憧れる。


もちろん、難易度は高い。

しかし、なんとか村にいるよりも

社会的な責任に押しつぶされそうになりながら生きるよりも

ずいぶん楽しそうだ。


☆          ☆          ☆


難易度が高い生活とは

つまり

より人間的な生活であると確信する。

楽しさも辛さも悲しみも喜びも

より大きな生活だと確信する。


もう終わってしまったが

http://www.tv-asahi.co.jp/zeni/index.html

このTV番組が深夜放送だった頃の出演者が

私は好きだった。


「ある意味修行僧な生活」は結構楽しい。



きょうのきょうみ[髪]

先日来、とある方と

とある新規ビジネスについて

彼是打ち合わせている。


その中でよく「J-WAVE」なるラジオ局の話が出てくる。

ご存知の方も多いと思うが

関東ローカルの

ジョン・カビラやクリスペプラーがナビゲーターを勤める

カッコいい音楽中心のラジオ局の話だ。


しかし、今日の興味はそんなラジオ局とは

一切関係ない「髪」の話だ。。


☆          ☆          ☆


私は髪の毛が嫌いだ。

髪を切るのも

セットするのも

メンドクサイ。

洗髪だけは気持ちいいが

その他は

大抵、嫌いだ。

だからいつも

髪型はおざなりで

「適当」にブラシを通して

出掛ける。


だから

「髪を整えればカッコいいのに…」なんて

回りくどい批判を聞かされても
全然平気で、

「私がそんな事をしたら

カッコよすぎて話しかけれませんよ」なんて

軽口でいなしてしまう。


もし、仕事に不都合がなかったのなら

私はきっと、坊主にする。

もし、私の頭の形が良かったなら

きっと坊主にする。

本音は「是非、坊主にしたい」だ。


☆          ☆          ☆


髪と眉は

人の顔を随分変える。

もちろん目も耳も口も変えるが

髪と眉ほどではないように思う。


それに気が付いても尚、

私は私の髪にも眉にも

一切興味がない。

髪は付いていればいいし

眉はあればよい。


そもそも考えてみれば

髪は不要ではないだろうか。

眉なんか

何のためにあるのかまったくわからない。

きっと彼ら自身も

自身の存在理由がわからず

毎日、哲学的に考えているに違いない。

「僕は何のために存在しているのだろう」と。


しかしである。


そんな彼らだが、

そんな彼らのために

美容院や理容院、

眉毛カットの店なんかが

そこかしこにある。


口は虫歯等々の病気の時、

目も病気、

耳だって病気の時以外

人に触られもしなければ

じっくり見られもしないのに

髪や眉のためには

人々は大金を惜しまない。

その存在理由すらわからない彼らのために

お店があり、

そこに大金を落とすのだ。


☆          ☆          ☆


一般に

芸術家や博士、作家などは

ボサボサ頭だと決まっている。

勝手なイメージだが

そう決まっている。


なぜか。


それは、

私たちと同じ「存在理由がわからない」モノ

だからではないだろうか。

物事を哲学的に考えた時の相談相手は

「毛」。


何時如何なるときも

「毛」は私たちと共にそこにあり

私たちと同じように迷っている。

そんな「毛」を

自らが綺麗でいる為に

切ってしまおうなんて

あまりに可哀想だ。

そんな発想ではなかろうか。


☆          ☆          ☆


うんうん。

なかなか良い言い訳ができた。

これであと数週間は

髪の毛を切らずに過ごせそうだ。


明日もこんなボサボサ頭で

「カッコいい」話をする。

だから新規の話が進まないのかもしれないが

それでもそんな私を今、私は最高に面白い。

きょうのきょうみ[濃紺]

スーツを仕立てた。

毎年、春と秋に

一着ずつ仕立て

それを着回すのが

私の流儀だから

この時期に一着仕立てるのは

特別ではない。

が、

今年は少しの迷いがあり

悩んだ挙句の仕立てだった。


☆          ☆          ☆


昨今、スーツのトレンドが

大きく変わってきている。


ここ10年ぐらいの流行であった

着心地の良い

イタリアンクラシコ風なスーツから

スラントポケットが斜めで

芯地が硬いイギリス流のスーツへ。

とは言っても

イメージするほどの硬派ではなく

何となく細身でイギリス流に見えるスーツへの

トレンドの移行である。

野暮ったくないイギリスとでも言うべきか。


そんな変化を横目で見つつの仕立は

とても特別な

そしておっかなびっくりなものだ。


☆          ☆          ☆


イタリアンクラシコなスーツが

私は好きだ。

着やすく、

しかもカッコいい。

カッコつけずとも

カッコよくなる。

そんなイタリアンクラシコなスーツが好きだ。

しかし

時代は「イギリス」である。


今後数年は着回すであろうスーツを作るのに

時代錯誤は避けたい。


だからといって

流行を取り入れすぎると

数年後には古くなる。


しかも最近では

流行について行くのに

些か疲れを感じる私は

今、今年の流行を

完全には把握していない。


流行の大きな流れはわかっても

細かなディテールまではついていけない。


☆          ☆          ☆


スーツを仕立てる事と

細かなディテールで遊ぶことは

同義だ。

それなのに今回は遊べない。


わからない。

知らない。

無知とはなんと悲しいことか。


ベントをどうするかと聞かれても

「今の流行は??」と聞かざるをえない。

ボタンは??

袖は??

襟は??

ポケットは…??


無知な自分を恨む。


☆          ☆          ☆


これでは吊るしのスーツでも同じではないか??

いや、それの方がマシではないか??

生地がしっかりしていて

腕の感覚がしっくりくれば

それで十分ではないか??


そんな事を考える32歳の秋、

残念な私である。

きょうのきょうみ[クラシカル]

昨今、クラシカルがテーマの雑誌や

H.Pをよく目にする。


もう、今ブームなのか

ブームに火をつけようと躍起なのかはわからないが

至るところで目にする。


今日の興味はそんなクラシカルだ。


☆          ☆          ☆


クラシカル。

言葉の響きはとても良い。

秋=クラシカル。

今日のような晴天だと

クラシカルという響きはピッタリだ。


クラシカルと聞いて

私が最初に思い出したのが

音楽。クラシック。

単語がそのままなのだから

当然最初に思いつく。

自分の想像力の欠如に驚く。


次に考えたのが

スーツ。

茶色の三つ揃えをダンディに着こなすか

グレーや紺のジャケットを

お洒落に着こなすか。


そして靴。

私も履いていたイタリアンモダンな

ロングノーズは影を潜め

ジョン・ロブやクロケット&ジョーンズの

丸みを帯びたプレーンな革靴。

まさにクラシカル。


当然バックはダレス。

クルマはジャガーのXJ。

あるいはメルセデスのW111か。


となれば

隣りに乗る女性にも気をつけたい。

男が好む小難しい話しを

ウィットに富んだ会話で切り返し

それでいて真直ぐ。


そんな女性との行き先は

軽井沢、箱根、奈良あたりか…。

ホテルは万平、富士屋、奈良ホテル。

ラウンジで飲むのは

スコッチ。

う~ん。まさにクラシカル。


シガーは

キューバ産のコイーバやモンテクリスト。

料理はイタリアンは敢えて避け

シガーに負けないバシッと味のついたフレンチ。

ここで大切なのは

笑顔ではなく眉間の皺。

クラシカルダンディの風格だ。


☆          ☆          ☆


さて、

ここまで書いて気がついたが…。


私にクラシカルは無理そうだ。

なによりつまらなそうだ。

つまらないだけでなく

疲れそうだ。

カッコいいけれども

ウィットに富んだ話しをする女性に対して

私自身が切り返せそうにない。


だから、そう、

クラシカルについては

クラシカルな自分になってから考えることにした。



きょうのきょうみ[プリンシプル]

「秋」である。

ジャケットを常に羽織るようになれば

かなりの「秋」である。

秋刀魚やきのこが食卓に並べば

もう完全に「秋」である。

だから先日から「白州次郎」について考えている。


白洲次郎については色々な文献やHPがあるので

そちらに任せるとして

私の今日の興味は「プリンシプル」についてだ。


プリンシプル・principle=主義、原則。

辞書を引くとこうなっているが

本来的な意味合いは少し違う様。

日本語に訳せない英語は数々あるけれど

そのひとつということのようだ。

脊椎動物の背骨と言う意味もあるから

何となくイメージは沸こう。


☆          ☆          ☆


白洲次郎が生前寄稿した文章を纏めた

「プリンシプルのない日本」なる書物が手元にある。

プリンシプル…。

原理、原則、自然の法則、主義、道義、節操…。

考えるだけで2008年の秋が終わりそうだ。


しかも「のない日本」の話である。

読めば「その通り」と思う箇所が随所にあるが

私自身も日本人の一人である。

私の背骨はどこにあるのか。

私たちの原則はどこにあるのか。

しかも「背骨」の話であって

「肋骨」や「大腿骨」の話ではない。

只の「頑固親父」については考えていない。


プリンシプル…。
自分の背骨…。

自分達の背骨…。


☆          ☆          ☆


勘違いせれそうなので

あえて書かせていただくが、

戦後から高度成長期。

酒を飲みながら

眉間に皺を寄せて

話す光景があった。

評価される男性像は

皆一様に一生懸命風。

真面目な顔をして仕事をこなし

社内での笑い話は

仕事をしていないと見られた。

そんな時代があった。

私は

そんな時代のプリンシプルを

考えているわけではない。


今の時代にプリンシプルを通すには

柔軟性が必要だろう。

迎合でも馴れ合いでもなく

柔軟。

柔軟なプリンシプル。

茶目っ気のあるプリンシプル。

眉間に皺が寄らないプリンシプル。

そんなイメージを考えている。


☆          ☆          ☆


秋である。

読書、食欲、睡眠…。

どれをとっても

人生には潤いが必要だと教えてくれる秋である。

そんな秋にこんな本を読むのも悪くない。


「プリンシプルのない日本」

おすすめする。

きょうのきょうみ[鞄]

休日の私は

鞄を持たない。

持ちたいと思ったことはあるが

欲しいと思ったことはない。


「鞄は邪魔くさい」

それが私の鞄への評価だ。


そんな私だが

今秋は

鞄を持とうかと考えている。


今日の興味はそんな「鞄」だ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


男のおしゃれには

多少のやせ我慢や潔さが必要だと思っている。


少しのモノなら手で鷲掴みにし

そもそも必要がないモノは持たない。

それがおしゃれだと思っている。


大きな鞄を持つ人を見ると

おしゃれを知らない

「オノボリサン」的な

寂しさを感じる。


マネークリップに

小さな小銭入れ。

それで入りきらなけりゃ

パスポートケース。

休日はそれで十分だ。


と、去年までは思っていた。


しかしである。


最近の私の休日の持ち物は

意外にも多い。

そして最近の私の休日は

徒歩や電車を使うことが意外にも多い。


と言うわけで

「鞄」である。

「オノボリサン」ではない

なんでも入る鞄の話である。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


マネークリップ、小銭入れ、携帯、眼鏡ケース、タバコ、ライター…。
これらをポケットにしまう。
パンツやジャケットの上から
そこに何かが入っているのが
わかる。
凸凹凸凹…。

鞄を探しに行く。
可愛い皮で出来たトートバックが売っていた。
手に持つ。
おばさん??

ポシェットが目に入る。
ナイロン製の高価そうなポシェット。
両手が空いて使いやすそうだ。
肩からかける。
学生??

そんなことが続く。

☆          ☆          ☆

鞄だけではないが
身に着けるものの多くは
サクセスアイテムだと思っている。

私が欲しいと思うモノは
近未来の私に
限りなく近い。

カッコいいと思うものがあって
それを手に入れるという行為は
自分自身をそこまで引き上げる努力をする事と同義だ。

それを夢と呼んだり
理想と呼ぶのだろう。

だからそこには
価格の高い事や
高級なブランドであることは
関係がない。
夢は千差万別だ。

差別的だと批判されそうだが
男が素敵な奥さんや彼女を作る行為も
同じかもしれない。
必要だからではなく
欲しいからという意味においてだ。

☆          ☆          ☆

だから
今、私が思う鞄が欲しいと言う行為は
あまり面白くない。

夢や理想、

恋愛的なドキドキ感はまったくない。


どうしたものか。

悩むのもまた面白い。

そんな秋がやってきた。

きょうのきょうみ[竹]

残暑厳しい中

わざわざ外にテーブルと椅子を並べ、

鰹節の効いた汁で素麺を食す。

薬味はたっぷりの浅葱、

その場でおろした生山葵、

そして

これまたたっぷりの茗荷。

おかずはナスの煮浸しと

トマトと生ハムのサラダ。

飲み物はもちろんビールだ。


そんな初秋の暑い一日を

心待ちにしている私だが、

先日、その予行練習をしてみた。

そんなASOBIの話が

今日の興味だ。


☆          ☆          ☆


♪昔の友は今も友~

俺とお前と…♪


お盆の時期になると

そんなお酒のCMを

思い出す。


昔の友と会い

特別ではない日常が

特別になる。


いつもなら素通りするような

なんでもないことが

やけに心に染み入り

下らない事で笑い合える。

そんな友が私にも少なからずいる。


そんな友たちと先日、

流し素麺を楽しんだ。


工事現場で働く友が

竹を採ってきて


力自慢の友が

それを切る。


細かいところまで気が利く友が

素麺を茹で


お金を稼いでいる友が

色々買ってくる。


そして…

私と子供と共に

何もしない友は

それを食す。


そんな

お盆の一日だった。


「流し素麺」。

ただ素麺を流して食す。


それだけの事が

どうしてこんなにも楽しいのだろう。

どうしてこんなにも美味しいのだろう。


☆          ☆          ☆


今回、はじめて知ったことだが

流し素麺をする時

水は少しだけ流せば

素麺は流れる。


角度を少しつければ

素麺は流れる。


竹の節を

しっかり処理すると

しっかり流れる。


竹で作った食器で食すと

事実、美味しい。


一番下で笊を持つ人が

一番多く食べることになる。


素麺を流すと

ビールがすすむ。


☆          ☆          ☆


夏の終わりで

心も身体も

シャキッとせずに

なんとなくだらけている方には

私は

流し素麺をおすすめする。


しかも、食すだけではなく

準備する作業も含めると

よりよい。


飽きたら

流しそばや

流し冷麦、

流しうどんなんかも

楽しいかもしれない。


うん。

次回はそんなこともやってみよう。


楽しみになってきた。

きょうのきょうみ[反]

どうやら私は

主流派になれないようだ。

比較多数の主流派が

中途半端な勝者になっているように見えて

主流派に身を置きたくないと常々感じている。

だから、きっと、多分

自分で会社を興したんだと思う。


自分の事なのに「多分、思う」のは

なぜ会社を興したのかという明確な本当の理由が

わからないからだ。

ちなみに

私の前職はこの国の主流的な組織だったが

そこをやめた明確な本当の理由も

そこに就職した明確な本当の理由も

未だにわからない。

つまり

私の行動に

明確な本当の理由なんて

いつもないので

そのつもりで読み進めていただきたい。


兎にも角にも

私は主流派に身を置き続けることが出来ない。

だから私と同じような

主流派ではない芸能人や政治家や

コメンテーターや実業家などが

TVで叩かれていると

中途半端な勝者が

ここぞとばかりに彼らを痛めつけているように見えて

イライラしてくる。

戦っている者を

戦わずに主流派に身を置いているだけの者が

とやかく言っているように見えて

ムカムカしてくる。

とは言っても

軽いイライラやムカムカで

次の日には忘れている。


さて、

忘れてしまいそうだが、

今日の興味は趣味のクルマの話だ。


☆          ☆          ☆


ご存知の方も多いと思うが

私はクルマを数台所有する。

「お金持ちだから…」ではなく

「クルマが好きだから」である。

断言できる。

お金持ちが乗るクルマを一台も持たないし

実際、お金持ちではない。


過去に私が乗っていたクルマを考えてみても

やはりお金持ちが乗る車は一台もない。

お金持ちが乗るクルマを一台も持たないどころか

私が乗るクルマは

何故かいつも「少し」違う。


この国で買えるクルマの中で

予算や大きさ、見栄え、性能などを考慮したとき

多くの方が出すであろう答えと「少し」だけ違う。

人と違うクルマが欲しいなどとは思わないが

なぜかいつも「少し」だけ違う。

理由は… ない。

明確な本当の理由なんていつもない。


オリコンの調査によると

「乗りたい車のメーカー」の男性の1位は「トヨタ」だそうだ。

以下「ホンダ」「日産」「BMW」と続く。

「男性に乗って欲しい車メーカー」を女性に聞くと

「トヨタ」「BMW」「ポルシェ」となるらしい。

「売れているメーカーランキング」ではなく

「乗りたいメーカー」「乗って欲しいメーカー」なのに、だ。

つまりはトヨタの一人勝ちである。


そのトヨタのクルマを私は一度も

所有したことがない。


そして考えた。


私の中には限りなく政治色の薄い

反体制が宿っているのではないか、と。

アナキズムと表現するべきか、

あるいは反対にアナルコ・キャピタリズムと表現すべきか。

限りなく政治色の薄いそんなモノが成立するのかは知らないが、

私はそんな人なのではないか、と。


ブルジョワジーの仲間入りをしたいと頭の片隅で考えながら

プロレタリアートである自分を誇り

新自由主義を支持しつつ

社会民主主義的な発言に耳を傾ける。


そんな私が、だ。


☆          ☆          ☆


私は 無意識に多数派から身を遠ざけ

いつも反論ができる体勢を整えている。

「寄らば大樹」を恥ずかしいとさえ感じ

「鶏頭になるも牛尾になるなかれ」という

教えを頑なに信じ

腐ったら鯛ではないと感じる。

そんな人なのではないか。


考えてみれば

私はこの考えの下に

従業員を教育してきたし

それを肯定できるだけの理論武装もしている。


もちろん私の可愛い子供達にも

同じように教える。


だからと言って

何故そうなのかと問われても…

明確な本当の理由なんてひとつもない。


いつでも私は

そんなモノなのだ。

きょうのきょうみ[中産階級]

中産階級や中流階級という言葉を聞かなくなって久しい。

労働者階級や資本家などの言葉も近年聞かない。


それには色々な理由があろうが

そのひとつ。

お金以外の価値の増大が今日の興味だ。


私は

ニートやアキバ系、引き篭もりなどの

近年、生れたとされる人々に

興味を持っている。

特にアキバ系と呼ばれる人々に興味を持っている。

一纏めにする気もないし

全員が違う個であることは承知した上で

グループ化した彼らに興味持っている。

しかもそれは、少し好意的な興味だ。

もちろん全肯定ではないが

しかし好意的な興味を持っている。


☆          ☆          ☆


世の中には色々な価値観がある。

それは時代によって違うし

人によっても違う。

同じ人でも月日が経てば

その価値観は変わる。


この国は一般的に

お金や資産を中心とした

金銭的な豊かさに価値をおく。

お金を持っている人は勝ち組といわれ

敬われ、嫉妬され

そして嫌われる。

そんな価値観が氾濫し

歪を生んでいるのも事実だ。


しかし彼らの中の一部は

その「お金」や「資産」という

我々がごく当たり前に考える価値あるモノを

ごくごく普通に飛び越える。


それが私が彼らの一部に

好意的な興味を持つ理由だ。


もっと言うなら

お金に限らず

「品物」に価値を示さない事もある。

目に見えるものより

見えないモノに価値を見出そうとしている。

我々がよく使う「バーチャル」という言葉とは違った

「バーチャル」がそこにはあるように感じる。


☆          ☆          ☆


日本人は良くも悪くも

物質優先・拝金主義で現在の世界的地位を獲得した。

良くも悪くも、だ。

物質的には豊かで金銭的にも豊か。

そんな日本人が今後、

人間として何を求めるかを考えれば

彼らの一部を「進化」と言うことができるかもしれない。

マズローの欲求段階説には基づかない。

生物的な欲求が満たされ

社会的な欲求が満たされ

そのあと…。

きっと知的欲求とでも言うべき欲望が

我々を襲う。

最近、「本」を読んだり「ネット」を見たりする方が

かなり多いのもその一部かもしれない。

知りたかったり、知識を蓄えたかったり…。


そんな欲求を満たそうとする彼らは

「進化」ではないか。


☆          ☆          ☆


何故こんなことを考えたかと言えば…。


一般的に昔から男子は

女子にもてる行動をする。

本当はカッコ悪くても

もてるであろうと思って行動する。

私の思春期なんて

それだけが行動の原理だった。


しかし…彼らだ。


20~10年前を思い出してみて欲しい。

当時「オタク」と呼ばれていた彼らは

明らかに女子からもてる対象ではなかった。

カッコいいとは誰も思わなかったし

今でもカッコいいとは思えない。

だから、そこに人が集まり

比較多数を形成するなんて事は本来ならありえない。


が、現在の状況である。


私が考えるに理由は3点。

1つ目は

実はカッコいい。

私が知らないだけで

実はカッコいいのかもしれない。

2つ目。

女子の目以上に引きつける魅力がそこにある。

女子なんかよりもよっぽど興奮する

楽しく気持ちいいことがそこにあるのではないか。


そして3つ目が

「進化」だ。

そこには社会学的な進化があり

それに気付くか気付かないかに係らず

人がそこに集まり

そして比較多数を形成した。

つまり人間の進むべき、

進んでしまう道がそこにあるのではなかろうか。


どうだろう。


そう考えれば

無職だって良いじゃないか。

金銭を中心とした価値観がすべてではないではないか。

二次元しか愛せなくたって

ケミカルウォッシュを履いていたって

コミュニケーション能力が不足していたって

社会に貢献していなくたって

バンダナを巻いていたって

いいではないか。


どうだろう。


ただ、

たった一つ私が言い忘れたことは

「私には無理だ」と言うことだ。

きょうのきょうみ[夏]

「夏に欠かせないモノ」は数多いが

その数多い「夏に欠かせないモノ」のひとつ。

「アルコール」が今日の興味だ。


☆          ☆          ☆


夏になると私は

無性に「泡盛」が呑みたくなる。

とは言っても

本格的な泡盛ではなく

瓶がきれいですっきりと呑みやすい

泡盛の話だ。


水を撒いた庭にテーブルを出して

燦々と降り注ぐ太陽の下で

トマトやキュウリ、苦瓜、茄子

虹鱒や鮎などの夏の川魚

それらをスッパくしたり辛くしたりして

食べながら

呑む。


最高の贅沢だ。


☆          ☆          ☆


それとは別に

当然の事ながらビールも飲みたくなる。

ビールは人気があり

嗜好もハッキリするので

他人様に言うと押し付けになりそうだが

私は、苦味とコクの効いたモノが好きだ。


最近、見かけなくなったが

私が一番好きなビールは

「クラシックラガー」だ。


原料や製法の事は詳しくないが

このビールに出会ってから

私のビールに対する考え方が変わった。


まずは

値段と満足度は比例しないという事。

クラシックラガーの値段はラガービールと変わらない。

つまり、スーパードライや黒ラベル、モルツといった

各社の基本商品と同じ価格帯だ。


クラシックラガーを販売するキリンにも

その他のメーカーにも

値段の少し高いプレミアムビールは存在するが

それで必ずしも満足するかと言うと

そうではない。


たまに美味しく飲みたい私に

高かろうが安かろうが

好きなモノは好きという当り前の事を

教えてくれた。

それが「クラシックラガー」だった。


そして

新しいモノが良いモノだという

前世紀的な発想から抜け出させてくれたのも

「クラシックラガー」だ。


古いモノは総じて

新しいものに取って代られる。

それでも残る古いモノは

郷愁や哀愁などの「味わい」や

「趣味性」が高くて生き残るのが一般的だ。


京都には街としての使い勝手や華やかさよりも

「味わい」を求めるから皆、遊びに行くのだろう。


しかし、

「クラシックラガー」は違う。

新しいモノを凌駕するだけの

パワーを持っている。

新しいモノが良いモノで

古いものは「味がある」のではなく

古いモノでも、

今、生きているモノがあるという事を

教えてくれた。


☆          ☆          ☆


さて、

このブログをお読みの皆さんは

どんなビールが好きだろう。


ビールは嗜好品であり

どれを好んで飲むかは

人それぞれだ。


私の知り合いには

ビールよりも発泡酒の方が美味しいと

ハッキリ断言する人もいるから

まったくもって

嗜好は人それぞれだ。


だから、難しいのは

多くの人とバーベキューなどをする時に

買っていくビール。


私は、とりあえず、

スーパードライかラガーを買っていく事にしているが

それでいいのだろうか。


嗜好品は本当に難しい。