闘病43日目 来望の病状紹介 | 13歳の娘が骨肉腫と戦った322日の記憶

13歳の娘が骨肉腫と戦った322日の記憶

2018年12月24日に突然の告知からの入院。
その日から小児癌に負けることなく笑顔と優しさを
持ち続けた中学生の記録です。父親の私の立場から
彼女の事を少しでも多くの人に知って貰いたいそんなブログです。

(ボランティアの『にこにこトマト』さんの手品)

 

2月5日は余程落ち着いていたのか

記録がありませんでした。

なので整理の意味も込めて

 

病気を発見した直後の

検査の状態を書き記しておきます。

 

 

この広い袋のようなものが

憎き「骨肉腫」という悪性腫瘍です。

 

縦の直径は12~13cmの大きさ

大人のこぶしぐらいの塊が

左骨盤の内部に入り込んでいます。

 

ただでさえ骨肉腫は若年者に

発生することが多く

骨に発生する肉腫は非常に数の少ない

希少がんの代表だそうです。

 

しかも、来望の場合は

四肢(手足)ではなく、骨盤内という箇所だけに

痛みもなく、このサイズになるまで

気が付かなったのです。

 

検査してもらった医師いわく、

発生から言えば3~4年は経過し

成長期だったので骨盤も腫瘍に

合わせて変形しているので

違和感もなかったかも・・・と。

 

そんな骨肉腫が悪さをしだしたのは、

この大きくなった腫瘍が

 

「左足の神経を圧迫した。」

 

からという事になります。

神経の事ですから、どこが、どういう風に

という事までは解りませんが

神経を圧迫する事で、

神経痛に似た激痛が襲います。

 

一度、手をグーにして

骨盤に当ててみてください。

考えられますか?

こんな大きな腫瘍が体の中に

入っているのです・・・

しかも悪性の腫瘍なんです。

 

 

骨盤付近の神経ですから

姿勢を変えようとも、足の位置を

変えようとも痛みが変わりません。

 

激痛が襲うようになりました。

 

ただ・・それが足の神経だっただけに

病状は足の肉離れか成長痛という

診断になってしまったのも

不幸ではありました。

 

そして、闘病の1年弱は

常に足の激痛と共に過ごさなければ

ならなくなってしまったのです。

 

時には、泣き叫ぶことも。

時には、医師や看護師さんに当たり

痙攣を起こし、意識が飛んだり、

暴れまわったりと・・・

 

本当に辛い想いばかりでしたね。

 

そして、その憎き腫瘍は

発見時に肺に遠隔転移していました。

 

長年体内に存在してしまった癌細胞は

躊躇なく肺に転移していたんですね。

 

骨肉腫などでは、最初に肺に転移する事が

多いのだそうです。

 

レントゲンでみる、その癌細胞は

小さく無数に左右の肺に飛び散っていました

12~14個ほどだそうです。

 

 

一番最初の診断の時に

なんの躊躇もなく娘にそのレントゲンを

見せた医師がいて、娘も知ってはいましたが

多分、この時は何かの影?程度としか

思って居なかったようです。

それが救いでしたね・・・

 

初診時に転移のない

四肢に発生した症例では

現在の5年生存率は70%程度。

手術における

患肢温存率(切断をしないで足を残すこと)

も約90%に達しているそうです。

 

ただ・・・残念ながら

転移がある場合や腫瘍が5cm以上だと

5年生存率は2~3割と。

 

そういった事から

治療の方針としては、

 

まずは化学療法の抗がん剤で

腫瘍を小さくします。

その事で後に骨盤に出来た

腫瘍を取り除く外科手術を

する際に安全の為に骨盤の骨を

削りるのですが、範囲が小さくでき

今後の生活の幅が広くなるからです。

 

そして同時に

肺の癌細胞も小さく、もしくは

無くなってくれれる事を期待します。

 

まずは約半年は化学療法として

抗がん剤を続けて、様子をみて

腫瘍を取り除く手術をしましょう!

という事になりました。

 

この話を聞く事で

当然、娘も目標ができ

治療に対して前向きになるはずですので

家族としても諦めない!という

方向を向く事ができました。