去年、ブログで私が自己肯定感を得るまで…というのを書きましたが、
何だか尻切れトンボになっていたので、今更ですが少し書いてみたので
良ければお付き合いくださいませ。
以前の記事はこちら→罪悪感の塊だった私が、自己肯定感を得るまで①
当時の私が自己肯定感を得るのに必要だったもの、それは自分の
居場所でした。私はここにいてもいいんだ、という安心感。
実は震災後、私と子供達はこれまでよりも実家に近い所に住むことが
出来ました。元々遠くに嫁いだというのもあり、震災前は実家に帰る
のは2-3年に1回。普通皆さんが実家に帰るとどんな感じなのかは
分かりませんが、私の両親は子供の扱いが下手というか慣れていない
のと、けがをさせちゃいけない、という気持ちが強かったので、私は一時
も子供から目を離しちゃいけないと言われ、折角実家に帰っても、心の
休まる瞬間はありませんでした。でもこれまでは孫の成長を断片的に
しか見せられなかったのが、こうして1年間は案外近くで見せることが
出来るので、私としては実家に帰るのは親孝行のつもりだったのです。
しかし、ひとたび帰っても私は普段以上に子供の行動に気を配って
ばかりで全く寛げず、少しでも態度が悪いとくどくど言われ、一体実家
とは何なのだろうか…かつては心安らぐ場所だったのが、嫁いで
しまったらそれすらも許されないのだろうか…と。そんなこんなで、
最終的には月1回行くのが関の山でした。
関西に行って半年経った頃急に体調が悪くなったのですが、周り
には心配をかけたくなくて、誰にも相談もしませんでした。でも本音を
言うと、私は母から「頑張っているね」という一言がほしかったのです。
全く知り合いもいない東北に嫁いで10数年。どちらの両親とも関係は
良い方でした。ただ遠いというのもありますが、嫁に出た身なのだから
と帰省もほとんどせず、電話も用事のある時以外はせず、主人の両親
を実の両親以上に気にかけ、3人の子供を育ててきたつもりです。自分
で言うのもなんですが、そこそこ頑張ってきたと思います。だからこそ、
震災で自宅と共に嫁入り時に持って行った小さい頃の思い出から何から
何まで失くし、更に諸事情で1年間主人や義父母を被災地に残し、自分
はのうのうと県外で普通の生活を送っているという自責の念を抱えながら
過ごす毎日、そんなこんなの全てに対し、唯一心から甘えられると思って
いた実の親に、ただ労いの一言がほしかったのです...しかし、元々あまり
ほめることをしない母から出た言葉は「確かに震災で大変だろうけど、
どこにいてもみんな(母達も含め)大変なんだよ」と。
その④に続く