罪悪感の塊だった私が、自己肯定感を得るまで その① | 手書きの文字とぬりえで自分の取説と心の課題を見つけ、本来の自分を取り戻す 

手書きの文字とぬりえで自分の取説と心の課題を見つけ、本来の自分を取り戻す 

OL時代と現在の人事総務という立場から見ている従業員の人間関係の対処法、大震災後鬱の一歩手前から抜け出し、更に高校生から小学生まで4人の子育てでぶつかった壁を乗り越えた経験から、しなやかな心と考え方を持つことが生きやすさにつながることをお伝えしていきます。

 私は東日本大震災の津波により、自宅を流されました。


震災後、避難所から関西へ行き母子生活をしていた時、


ずっと心の中にあったのは、私達だけが震災と全く関係の


ないこの場所で、こんなに普通の生活送っていいのだろう


か…という罪悪感でした。



 避難所にいた時、たまたま関西で被災者向けに市営住宅


を提供している事を知り、3番目は歩き始めたばかりの


乳飲み子で、避難所はプライバシーもないし、主人や義両親


は職場も被災していたためそちらの立て直しもあり、今後の


住まいも決まっていない今、逆に私や子供達がいては動きづらい


し住む場所があるならそっちの方がいいとむしろ義両親


関西行きを勧めてくれたのです。それは優しさゆえなのです


が、当時の私には却ってそれはある意味重荷でもありました。
 
 また避難所には親類や知り合いがたくさんいたのですが、


周りの目もあったため、誰にもさよならを告げず、唯一持って


いた1日分の着替えと息子のランドセルを持ち、逃げるように


避難所あとにしました。前日までお友達と遊んでいた子供達。


本当は残りたかっただろうし、きちん挨拶したかっただろうけど、


それすらさせてやれなかった罪悪感。


 関西に行ってからも、所詮罪悪感の塊の私ですから、表面


では普通を装いながらも、心の奥底では毎日自分を責め続けて


いました。自分では気づかなかったのですが、関西に行って


数か月後、避難者が一堂に会する機会があり、その当時の


私を知っていた方が、1年後私達が宮城に帰る時に「あの時


は本当にこちらが声をかけるのも躊躇するくらい憔悴していて、


今とは全く印象が違う」と言われたくらいひどかったようです。


 そんな日々を送りながら半年…心は既にパンパンになって


いたのでしょう、その日は突然やってきました。朝起きられない、


やる気が出ない、何もできない…自分でも一体何が起きたのか


分かりませんでした。

                             (その②へ続く)