宮澤賢治と法華経についての
ご紹介〜その35
農民芸術概論綱要8
宮沢賢治はとても有名な作家ですが✍️
法華経の菩薩のエネルギーにあふれる
羅須地人協会(以下ラス)で
テキストとして使われたとゆー📖
農民芸術概論綱要(以下綱要)
について
ひさしぶりに綱要の続きを
ブログにしてますけど
よろしければ読んでみてください🙏
農民芸術概論綱要を読むどー!
それにしても
綱要はムズカシーし
言ってるコトがよくわからないので
急がずにゆっくりと読み解きたいけど
🟦が原文です
🟥が私のテキトー読みです
8章 農民芸術の批評
🟦正しい評価や鑑賞は
まづいかにしてなされるか
🟥「評価」は
外界を自分のココロや
知性とかで言語化するよーなモノで
(内→外)
🟥「鑑賞」は
外界の現象を五感で受け取る方法
のコトで
(外→内)
🟥「批評」は
内外を合わせる行為
のコトのよーだ
(外=内)
🟥この内外を合わせるあたりを
賢治さんが8章で教えてくれている
みたいで
🟩この辺り
ウィトゲンシュタインさんの
論理哲学論考(以下論考)に似てる
よーな気がするなー
1 批評について
🟦①
批評は当然
社会意識以上に於て
なさねばならぬ
🟥①
批評(評価と鑑賞)の理想のカタチは
法華経で言うよーな
1️⃣フワッとしたココロになって
(評価:外←内)
2️⃣現象の受け取り方を工夫する
(鑑賞:外→内)
ヒツヨーがあるとゆーコトかな?
(当然社会意識以上に於て)
🟩ウィトゲンシュタインさんなら
鑑賞は世界の原子的事実で
評価はコトバの要素命題で
批評はその中心で心を整えて
鏡に映るよーになる写像のコトだよ
とかいいそーだな
2 まちがい批評
🟦②
誤まれる批評は
自らの内芸術で
他の外芸術を律するに因る
🟥②
批評(評価と鑑賞)をまちがう
とゆーのは
🟥準志のよーな評価における
言語化が強く働いて
(準志は一般化:社会化:記号化:経済的格差:利便性:流通性:商品化のコト)
鑑賞がゆがんでしまうコトかな?
(自らの内芸術で他の外芸術を律する)
🟩ウィトゲンシュタインさんなら
評価(要素命題)が勝って
鑑賞(原子的事実)が歪んで
写像がきちんと映らない
とかいうかな?
3 内的批評について
🟦③
産者は不断に
内的批評を有たねば(持たねば)
ならぬ
🟥③
メッセンジャー(産者)としては
社会意識以上の真善美のエネルギー感を
メッセージで伝えるヒツヨーがあるし
🟥伝えるためには
良い批評(評価の言語化と
鑑賞の現象の受け取り方の一致)を
常に内的に持つよーにする
ヒツヨーがあるとゆーコトかな?
🟩ウィトゲンシュタインさんなら
批評は写像だから
鑑賞(世界の原子的事実)と
評価(コトバの要素命題)を
批評としてキチンと鏡に映している
不断に論理操作を繰り返して
高次元の直観の大元を
心の鏡である写像に映し出す
コトが大事だね
とかいいそーだな
4 批評の三段階
🟦④
批評の立場に
破壊的創造的及観照的の
三がある
🟥④
そーゆー
メッセンジャー(産者)が行う
③のよーな批評には
以下の三つの段階があるね
と賢治さんはいうんだけども
5 わるくない破壊
🟦⑤
破壊的批評は
産者を奮ひ起たしめる
🟥⑤
メッセンジャー(産者)として
社会意識以上の真善美の
エネルギー感や精神性とか創造性とかを
メッセージで伝えるために
現次元のせまい枠で語る評価や
貧弱な鑑賞を破壊して
意識を高次元に向けるよーに
フワっとさせてみる
🟩ウィトゲンシュタインさんなら
破壊とゆーのは
現次元の誤った鑑賞と評価を
無くすコトで
示されるがままひとつの神秘として
受け入れるほかない
高次元の直観を得る方法でもあるし
そのよーな高次元の直観が
得られるなら
そりゃ奮い立たされるよね
とかいいそうだな
6 自然な創造
🟦⑥
創造的批評は
産者を暗示し指導する
🟥⑥
メッセンジャー(産者)が
⑤のよーな破壊的批評ができるなら
批評はその背景にある
高次元のエネルギーを感知して
創造的(改善)な方向に
ムリせずに自然に導いてくれる
よーになるとゆーコトかな?
🟩ウィトゲンシュタインさんなら
生の真の価値や意味は
人が捻り出して考えるのではなく
写像で神秘的に写り込んだモノを
そのまま暗示的に受け取るもの
とかいいそーだな
7 創造的批評家
🟦⑦
創造的批評家には
産者に均しい資格が要る
🟥⑦
⑤の破壊的批評で
高次元のエネルギーを感知して
⑥の創造的批評で
ムリせずに自然な方向へと
向かいながら
高次元のエネルギー感を
言語化したり現象を受け取る
ときに
その背景にある高次元のエネルギーを
感知できるメッセンジャー(産者)の
メッセージを批評するのは
メッセンジャー(産者)と
立ち位置や方向性や感性がおなじで
高次元の真善美のありがたみが
直観でわかるコトがヒツヨーだよね
とかかな?
🟩ウィトゲンシュタインさんなら
写像が研ぎ澄まされて深化して
論理操作を繰り返して
映し出されていく
立ち位置の深化のことだね
とかいいそーだな
8 ただ見るだけの観照
🟦⑧
観照的批評は
完成された芸術に対して
行はれる
🟥⑧
固定観念の破壊する批判と
心を純化する創造批判の
後にでてくる観照的批評
とゆーのは
メッセンジャー(産者)の感知した
ものを
自然に純然とただ見るだけ
(観照)となり
真善美のエネルギー感や
神秘性に近い立ち位置で
法華経の真髄のよーな
フワッとしたメッセージが
内外で明らかになる
よーなもの(観照)
🟩ウィトゲンシュタインさんなら
自然な立ち位置により
高次元の真善美のエネルギーが
写像に神秘的に写り込んだ
モノをそのまま受け取るコト
とかいいそーだな
9 批評に対する産者
🟦⑨
批評に対する産者は
同じく社会意識以上を以て
応へねばならぬ
🟥⑨
ここでいう批評は
⑤固定観念の破壊と
⑥心を純化する創造と
⑧ただ見るだけの観照の
三段階で深化する批評のコト
をいってるだろーし
🟥こーゆー批評に対応できる
メッセンジャー(産者)とゆーのは
高次元の真善美のエネルギー感を
ラスのよーな集団の中で
精神性とか創造性とか活動とかで
現次元にフワッとして示せるよーな
産者がバージョンアップした
「産者2」となるヒツヨーがある
🟩ウィトゲンシュタインさんなら
語るコトのできない
真善美の領域からの
直観や神さまからの恩寵を
得るコト
とかいいそーだな
10 産者2について
🟦⑩
斯ても生ずる争論ならば
そは新なる建設に至る
🟥⑩
産者2が導くエネルギー感に
ついてもなお批評があるのであれば
産者2
🟥そりゃーもーすげー論点だろーし
新しいアイデアにつながるよーな
モノがでてくるだろーね
とゆーコトかな?
🟥まあ誰でもそーだけど
完全には真善美のエネルギー感
をとらえることができないから
🟩天才ウィトゲンシュタインさんが
論考の最後で
「語りえないことについては
人は沈黙せねばならない」
といってるトコロだろーし
🟪ホントーに月が池に映るよーに🌕
高次元の存在にゆだねて
自分を超えた何かから
鏡に映し出されるモノを
素直に受け入れる
よりほか🌕
高次元のエネルギー感を
感じとる方法はない
であろーし
🟪現次元のワレワレを超えた
高次元のフワっとした世界観
とゆーのは間違いなくあるし
🟪そーゆースタンスを法華経ならば
🟥瞑想で鎮まり(南無)
🟥宇宙的なモノと一体化して(妙法)
🟥みんな同じである立ち位置
で小我が抜けて(蓮華)
🟥神仏と共にあるコトで(経)
達するよーな
フワっとした
あたたかな
にこやかな境地
🟥そーゆー
フワっとしたエネルギー感を
垣間見たのが賢治さんや
ウィトゲンシュタインさんであったろーし
🟥そーゆーエネルギー感を
伝えるコトが大事だね
とゆーのを
ここの8章で賢治さんが
伝えたかったのかな?
とかテキトーだけどおもったし
🟩ウィトゲンシュタインの
論考のカタチと
🟥綱要のカタチは
なんだか似ているよーな
気がするのでした
とまあテキトーですが
次回も綱要の続きを書きますので
よろしければよんでみてください🙏
ダラダラしたブログにお付き合い
くださいましてありがとうございます
それではまた!👋