ウィトゲンシュタインさんの

論理哲学論考のご紹介〜その17


ウィトゲンシュタインさん(略して

ウィトゲンさんと書いてます)の

論理哲学論考(略して論考と書いてます)

とかの紹介を書いてますが


ダラダラしたブログですけど

よろしければ読んでみてください🙏


論考と要約福音書の比較〜その4


🟦論考とトルストイさんの

12個の悟りのカタチを

比較してみよー


🟥論考と要約福音書は

似ている


前回からのまたまた続きで、


とてもシンプルな論考のカタチには


ウィトゲンさんが惚れたトルストイさんの


要約福音書の12個の教えが


鏡のよーに反映している🔵


とゆー推理で論考をみてみると目


要約福音書のカタチが

鏡に映るかのよーに

論考と比較できるよーな気が 

してくるのだ🔵


画像はコチラからお借りしました👈



🟥トルストイさんの12個目

の教え〜ラスト



🟥ラストのカタチ


トルストイさんの悟りのカタチのラスト⑿は


ゆえに現在において

万人に共通する


生命であるところの

愛に生きるものこそ


父、本源、および基礎的生命

と一致するものである


とゆーものだけど



🟥論考との比較1


この⑿を論考のカタチと比較してみると



「現在において万人に共通する生命である


ところの愛に生きる」


とトルストイさんがいうのは、



論考でいう7️⃣のZ領域の直観1を✨


1️⃣の現次元に写すよーにする


コトを言ってる気がする



そして、


7️⃣から➡️ 1️⃣へのベクトルになるよーに


生活を正せば



写像以下の働きで


7️⃣の直観1が1️⃣に直観2として✨


親心で勝手に写し出される✨


コトをいってるし



過去と未来にエネルギーを分断されずに


7️⃣の真の生命である愛のエネルギーが


今の今、リアルタイムで


1️⃣に写し出されるので✨



7️⃣高次元の愛のエネルギーが


1️⃣の現次元にバンバン還元されてきて


愛に沿って生きられるコト


を言ってる気がするなー




🟥論考との比較2


「そーゆー者が、父、本源、および


基礎的生命と一致する者である」


とゆートルストイさんの最後の結論は



7️⃣の神聖な本源である直観1が


1️⃣に写し出されたモノが直観2だから✨


7️⃣と1️⃣が異なるワケはない

とゆーコトと



7️⃣の高次元から6️⃣から1️⃣への流れの中で


発生しているのが現次元だし✨



本源を同じくするそーゆー者とゆーのは


みんな同じ愛のエネルギーの

現れである


とゆーのを(7️⃣✨=1️⃣✨とゆーコト)


深ーいレベルで体現している


コトを言ってて



菩薩道をまったりと歩んでるよーな


キリスト様や、菩薩様や、賢治の言う


デクノボーみたいなヒトのコトだろーね




🟥論考との比較3


トルストイさんの悟りの最後のカタチは


写像の構造そのものを表すよーなカタチで


締めくくられているのが


奇跡的な符合だし興味深い



7️⃣=1️⃣とゆーよーな直観を得るには


自分を律する厳し目の生活


をするコトや



素朴で、質素で、助け合い、


穏やかで静かで、


まとまり感があって、


生命力があふれ出すよーな


生活をするコトで



7️⃣の奇跡的な光のエネルギーが✨


現次元に導かれるよーなベクトルのコト


を表しているし



7️⃣の愛に沿って生きるコトや


愛のエネルギーの大切さ


を教えてくれているんだろね✨



🟩結論:


なので最後の⑿は、


高次元の愛のエネルギーを


今の今、現次元に還元する


コトで✨


みんな同じ愛のエネルギーの


現れであるコトを体現できる


者になれるコト


を表してる気がする




なんか、やっぱり、論考と要約福音書の


カタチはスパッと合う気がするなー


画像はコチラからお借りしました👈


 🌱 🌱 🌱 🌱 🌱 🌱 🌱



🟥いろいろ比較12



🟥生活との関係


ここの12個目では、


今の今、真の生命に沿って愛に生きる


とゆーのは、



側から見ると、


スゲー厳し目の修行僧のよーな、


ウィトゲンさんのよーな生き方をしている


よーに見えるけど



本人からすれば、


自己主張が消滅して、


愛の光と共にあるので✨


生命をキチンと生きることができている



菩薩の立ち位置で悟りと共にあるし


悪魔のワナを遠ざけて完成しているカタチ


だから



そのよーな生き方は、


日常の生活が即悟りへの修行となっている



トルストイさんも、ウィトゲンさんも


目指したトコロはそこだったろーし



この12個目の悟りへと至るカタチは


🟩1️⃣2️⃣素朴で、質素で


🟧3️⃣助け合いのある


🟦4️⃣穏やかで静かな


🟥5️⃣まとまり感のあって

   生命力があふれ出すよーな、


そーゆー生活により、


真の生命の光のエネルギーが


現次元に導かれるよーな


ベクトル✨


のコトを表している気がする





🟥山上の垂訓との関係


この悟りのカタチは、


トルストイさんがいうトコロの


キリストの山上の垂訓で示した


🟦5️⃣直観

🟥4️⃣許し

🟧3️⃣平等

🟩2️⃣愛

🟩1️⃣融和


の5つのカタチとも関係しているし



この五つをマンダラに配置するよーにして


生活の中でバランスよく


践するコトが


悟りへと至る秘訣である



とキリストさんが教えてくれてる


よーな気もする


山上の垂訓のコトはコチラ👈





🟥真の生命の光との関係✨


7️⃣の高次元にエネルギーを


タマシイに反映させるための道筋が


12個の悟りのカタチなんだろーし



この生活の仕方こそが、


地味だけど悟りの究極の答えだし


派手じゃない分だけ真実味があるし


キリスト様の答えなんだろーし



その光は✨


あたたかで、やさしくて、穏やかで、


かたじけなく、ありがたい✨


鎮魂で現れるよーな神様の背景の光とか✨


整体奉仕会のシスターにあらわれた


光の十字架の結晶のよーな


ありがたい光のよーな気もする✨


光の十字架のコトはコチラ👈




🟥悟りへの流れ


ここの⑿は


⑴から⑾までの悟りのカタチを


以下のよーなチベット密教のカタチとか


禅のカタチが見えるよーな感じで


回収していく感もある



🟩1


1️⃣2️⃣の現次元における


7️⃣の真の生命が反映して


糧となるプロセスでは、


🟨7️⃣の光の本源から発して✨


🟦4️⃣の霊を通して


🟩1️⃣肉に至る


とゆーカタチ


三位一体🟨🟦🟩であらわしていて、


この7️⃣から1️⃣へのベクトルを


キチンと理解する必要がある




🟩2


2️⃣と1️⃣においては、


肉とかカラダを保存しよーとする生き方を

改めて、


過去や未来に意識を散らしてしまうよーな


自己本位的な肉主体の生き方をやめて、


愛のエネルギーにあふれる✨


みんな同じでつながり合う

よーな


融和のココロで生きる

よーにする




🟩3


🟩1️⃣2️⃣の現次元においては、


🟨7️⃣の真の生命の光が✨


構造化したモノ(糧)である

と理解する




🟩4


🟧3️⃣においては、


自己本位に生きる煩悩を


みんな同じであると悟り、


平等になるよーに意識する




🟩5


🟦4️⃣においては、


ココロから余計なものが


ふるい落とされて、


現次元は真の生命へと


つながる過程である🌈

と理解する




🟩6


5️⃣においては、


今の今、全ての生命に共通する


真の生命にむかって✨


自我や欲なんかが


抜け落ちていくよーな


菩薩行で霊性を磨かれるよーな


6️⃣7️⃣からの直観をゲットする




🟩7


そーすれば、


🟨6️⃣の光の入り口から


7️⃣の光のエネルギーが


降り注ぎ✨


光のエネルギーが


鏡のよーに現次元に


写りはじめる✨




🟩8


このよーな1から7の悟りは、


🟩1️⃣で融和のココロにより

天の父のために働き


🟩2️⃣で愛のココロにより

天の父に仕えて


🟧3️⃣で平等のココロにより

つねに天の父を外ではなく

身の内側に知るよーにして


🟦4️⃣で許しにより

父である霊の本源に向かって生き


🟥5️⃣で直観により

天の父からの恩寵をもらえれば


真の生命をもらうコトができるので


悟りを開くよーに生きていくコトが

できるよーになる


とトルストイさんが教えてくれている





🟥デクノボーとの関係


そーゆー生き方は、

ウィトゲンさんとか宮沢賢治のよーな、

自分に厳しくする、デクノボーの生き方

そのものだし、


賢治もまた幻視者として有名だったし

書いた作品は賢治がリアルに幻視した

モノがほとんどだったとゆーから


直観的にトルストイさんやウィトゲンさん

が直観した答えを、日本語で導き出した

よーな気がするなー



🟥トルストイさんの直観の

まとめ


🟩トルストイさんが聖書を研究して

 直観した悟りのカタチは

 以下のよーなモノで


①🟩1️⃣肉体と🟦4️⃣霊やタマシイを

 現次元に結びつけるモノは

 🟨根源の愛のエネルギーである


②🟨そのエネルギーは

 🟨7️⃣の高次元から与えられるもので 

 「生命の悟り」「神そのもの」

 「全ての本源」である


③🟨ここから、すべての次元で

 愛が展開してイノチが生まれる✨ 


④🟩ヒトは糧として生きるために信仰生活

 の中で修行すれば、そのエネルギーに

 触れるコトができる


⑤🟨この愛のエネルギーは

 真の生命とか真理の光をヒトに与える✨


⑥🟨この愛のエネルギーは

 暗黒を照らし✨

 暗黒は光を消すことはできない


⑦🟨その愛の真理の光は

 時空を超えて存在していて


 この生命の悟りの光を内側に持つコトで

 真に生きるコトができる✨


⑧🟩肉体は愛にあふれる光を通して✨

 🟨真の生命である父の霊に達する


⑨これにより、人は、

 今ここで真に生きるコトができる


そこでは、過去も未来を否定されて

 永遠の生命と一体となる✨


⑪🟨その悟りを受けた者だけが

 生命の本質と同じ者である✨


⑫🟨その可能性を実現したのが

 悟りの子であるイエス・キリストだ


⑬🟨キリストは人であるけども

 生命のはじめである


⑭父と同じ者の立ち位置にいるので

 父のよーな同じ生命のはじめである✨


🟩と、①から⑭のよーに


 トルストイさんは聖書から

 直観により悟りのカタチを理解したのだ



🟩このトルストイさんの宗教観は、


 「真の生命の宗教」


 とでも呼べるよーなモノだったのだ




🟥論考との関わり


ウィトゲンさんが論考の最後で


「語りえないことについては


 人は沈黙せねばならない」


と言ってるのは



単なる軽いコトバではなくて、


真の生命の悟りの光を表すのには✨


コトバでは限界があるし



5️⃣以上の真の生命は


ヒトの思考ではカタチにする


コトができないよ


とゆーコトを重ーいコトバで表したモノ


だとおもった




🟥禅との比較


道元さんが教えてくれる禅の悟りのカタチ


もまた同じで



自分本位の自我意識を忘却すれば、


身と心は自由なものになるし


存在が本来あるべき姿を取り戻すし


存在の真実が目の前にあらわれるし



それに気が付きさえすれば


迷い悩む心は消え失せて


不可思議な力や神秘的な能力と真逆の


目の前にあらわれている


あたりまえの世界が真実の世界だと


はっきり受け取ることができるし



ここんトコロが論考みたいなカタチだし



眼に映る存在の裏に何かが隠れている


のではなくて



不思議な力を求めるのでもなくて



禅はただ泰然とした安心の境地であり



現次元をクリアーにするコト


高次元を写し出すよーに


して悟りを得る道である


とするので、


どちらも盲目的な奇跡を廃して


今の今に生きるベクトルの教えだから


禅もトルストイさんの悟りのカタチも


論考のカタチも同じだなとおもった




🟥古神道との比較


古神道でも


「どうすることもいらぬ」


とかいってて


ヒトがなんか手をかけちゃうと


ダメになるので、


目の前の現実をそのまま見つめるため


鎮魂をして


ココロを落ち着けて、


ヒトによっては実践的に背後の真実の


エネルギーに触れるモノだから


なんだかみんな似ているとおもう



🟥最後に


ウィトゲンさんは、


制度化された教会や教義やマジカルな部分


には否定的だったし


トルストイさんも


ウィトゲンさんも奇跡を崇めないし、


カビ臭いよーな教義を廃するベクトル


を好んだし


今の今において


目に見える命の在り方とか


生活の在り方を変える実践を提唱したし


宗教とゆーのは、


コトバとか、たんなる伝統とか儀式の


カタマリじゃなく


精神と生活との関係そのものだし、



宗教は知識ではなく、


精神によって導かれるモノだし、



信仰は、


常に生活上の実践が伴わなきゃダメだし、



ならばむしろ


生きている世界の


様々な場面で織り成す


ライブ的な直観の方が大事


だし、



信仰とゆーのは、


ヒトとヒトとの間とか、


ヒトと神との間とかで、


生きる証しのよーな、


ヒトが神の存在を確信できる


よーな利他的な行動の背後に


あるよーなモノ


じゃないか?


と天才が直観で答えを出しているのだ



なんで宗教が必要なのかについては、


それは生命と同等のモノだから


切りようがないし、


答えは生活の中で示すべきモノだ


と気づいたのだ



そして宗教は、


精神(霊)と生活(生命)との関係を突き詰める


モノだし



生活の変革によって、


信仰の答えを得るのだとゆーのだから、


なるほど禅っぽさを感じるな!



そーいえば道元さんも、


悟りを開いたときに


「ヒトは仏性をもっているのに

修行しなければならないではなく、


ヒトは仏だからこそ

修行(菩薩行)ができる」


というよーに悟ったので同じなのだ



ウィトゲンさんの直観した宗教のカタチは、


生活とイコールで、


教義や知識や理論は薄まっていて、


生活において真摯な姿勢を保つコト


だったから、


「神を信じるとは、


生が意味を持つことを


見てとること


死は世界の事実ではない


幸福に生きるためには、


私は世界と一致せねば


ならない 


この時、私はあの見知らぬ


意志と一致している


これが、


私は神の意志を行なう


ということだ」


とウィトゲンさんはいっとるし、


このベクトルが論考で至った

究極の答えなのだ



トルストイさんも、ウィトゲンさんも、


の生命に向かって生活を改善するコトで

歩もう!と励ましてくれてる気もする



彼らの直観した、


かなり真実に近いとおもう宗教観は


厳し目のカタチであるし


お金にならないし


偉そーじゃないし


現行の宗教のカタチをまるで否定するし


なので世の中に広がるワケもないけど、



それにしても良くできたカタチなので


埋もれていくのは惜しー気もする



「命題は、

高貴なものごとを何一つ

として表現することは

できない


言い表せないものごとが

確かに存在する


事実など私にとって

重要ではない


にとって理論など

価値がない


理論はわたしに何も

与えてくれない


実践がコトバに意味を

与える


神秘的で絶対的な価値のある モノはたしかに存在する」


とウィトゲンさんがいうよーに


晩年はむしろ哲学というより


宗教者のよーな趣きを日記に記すよーになる



この辺りは次回ブログにしたいんだけど



なるほど、


哲学の枠の中でをよーく吟味すれば


結論として理性の限界がみえてきて



そこからふるいおとされる足場があって



中からポツンと真善美が現れるよーな


構造になっていて、



自我から脱して


知識からも脱して


ココロの立ち位置を転換して


生き方の立ち位置を転換して


その中心でスポンと抜けるよーにして


悟りを開く禅の世界観のシステムと


ごっちゃにしてはいけない


かもしれないけど


なんとも似ている


ので興味深いなー


 🐾 🐾 🐾 🐾 🐾 🐾 🐾


とまあ、ウィトゲンさんの写像のカタチに

長いコトはまって離れられなくなっちゃった

けれども


今回がウィトゲンさんの至った答えなので

ラストみたいなモノでした


次回は、

ウィトゲンさんが太陽から直観を得る☀️

よーにして、自身の思想と信仰を実践して

いたコトが書かれた日記について


軽めにテキトーな感じで紹介していきたい

なとおもいますので、


よろしければ読んでみてください🙏


訳の分からないハナシに

長々とお付き合いくださいまして

マコトにありがとうございます🙏


ご縁⭕️に感謝いたします🙏


それではまた!👋