ゴヴィンダさんのチベット
密教の真理のご紹介〜その1
〜チベット密教と古神道とかを音で
つなげてみる〜

だらだらとした、だらしないブログですが
よろしければよんでみてください🙏
ホトケをほっとけない

ラマ・アナガリカ・ゴヴィンダさんは
ヒッピーの頃のアメリカとかでモテた
チベット密教のお坊さんなんだけれども

ゴヴィンダさんは本名がヘルムート・
ホフマンで1898年生まれのドイツ人なの
でした🇩🇪

ゴヴィンダさんは若い頃からなんでだろ?
スゲーまじめに比較宗教学の研究したり
インドとかネパールで初期仏教をまなんで
たりもしてて
仏教にバリバリ興味があったんだろね🙏

チベットへゴー

いろいろ研究しているうちに
チベット密教のコトが気になってきて
チベットに行ってみた足あと

http://kopilychee.info/?p=3189👈画像はコチラ
のサイトからお借りしました🙏

カギュ派のスゲーお坊さまの
トモ・ゲシェ・リンポチェに気に入られて
弟子にしてもらい、
ドイツ人気質が功を奏したのか?
長い修行ののち秘儀まで伝授されている
超本格派のお坊さんなのだ。


忍者のようにとび走る

中沢新一さんの著書(チベットの
モーツァルト)でも風の行者として紹介
されている。


ゴヴィンダさんが瞑想歩行術で
トランス状態になって、
矢のような異常な身軽さと速さで 
飛び跳ねながら風のように疾走する姿が
描かれていてスゲーインパクトがあった。





インド人の画家と結婚したのち、
ヒマラヤでチベット密教の啓蒙を行ったり
晩年はカリフォルニアで亡くなっている。
 
秋田の特異点のチベット僧

あれ?秋田出身のチベット密教僧の
多田等観さん(詳細はコチラ👈)も
1890から1967まで生きた同時代の人で、
アメリカのカリフォルニア大で昭和26年から
28年まで教師になっているな!

どこかで会ってたりして?
後で調べてみよう。

あーめんど

この本は、ドイツ人らしい緻密さで書かれて
いたり、哲学的な書きかたもあり、
なんか重めの雰囲気もあったりして、
読むには体力のいる本なので
ショージキめんどーな本である。


日本デビューにいたるまで

この本が日本に紹介されたきっかけは

現在の高野山館長である松長有慶さんが、
研究員で1970年にインドにいったんだけども

現地のチベット密教寺院を訪問したときに
日本人はいない中、欧米人の姿はみられるし
現地で交流したアメリカ人のヒッピーが 
もってたのがゴヴィンダさんの書いた
この本だった。

当時の欧米ではメジャーなテキストだった
らしい。

1959年にイギリスで出版されてたこの本を
松長さんも知ってて、
英語の原文で読んだけど
初見ではしっくりとこなかったらしい。

その後インドでチベット密教僧と交流して
いろんな話を聞いたり、
チベット僧の儀式をライブで体験したら

この本の謎が解けたし、
内容もスゲーもんだ!と気づいたし、
なんとか日本語訳を出したいと熱望して、
やっと日本語訳が出版されたそーだ。


それにしても、
わかったようなわからないような本で、
ワタシごときがとても紹介できる本では
ないけど、

ダラシないしょーかい

テキトーな印象のみで本の内容を紹介して
しまうと、

チベット密教の観音菩薩の真言である
オム マニ パドメ フーム順番で
それぞれの真言で、チベット密教のコトを
説明しながら、
全体的には菩薩行のコトを
説明してる
気がする。

オムは根源に至る聖音のことだから
南無と同じだし

マニはものと心の一体化で宝珠だから
妙法ともいえるし

パドメは蓮華の象徴的機能だし

フームは道とか菩薩道だから経だし

なのでこの真言カタチは
日蓮宗のお題目に近かったりするし

天台宗の止観による中観のテクニックでも
たましいを落ち着けて、ちゃんと道のりを
見れば菩薩道に行き着くというところも
近い気がするし

神道の大祓の詞の構造も
オム
さいしょ神々で陣を組んで鎮魂して
コトバを言ってた岩木草葉までがコトバを
やめて鎮まるところ

マニ
ミズノミアラカの中で昇降する気を
アマツミヤゴトで練るところ

パドメ
アマツカミ クニツカミが現れて
清めはらいしてくれるところ

フーム
祓戸の神々の御用が救済の道であるところ

などなど似てる気もするな。

なんか悟りの構造は入り口は違っても
たどり着く方向は同じということかも。

ランスロット・ロウ・ホワイトさんなら

オムは
もともとのカタチからあふれる愛の音🌱

マニは
その音がラセンで脈動して🌀
普遍的な愛のエネルギーを
カタチにしたもの❤️

パドメは
オクターブの虹でステップしていって
全体につながりながら調和と秩序に
向かって咲く花🌈

フームは
複雑さの中の軸をたどって
愛の根源に還る道⚡️ 
とか言いそうだな。

4このしくみ

バックミンスター・フラーがたどり着いた
究極の宇宙のシステムも三角形4個で
できてる正四面体だったから
パーツが四つだし
古神道の一霊四魂にも当てはまる気もするし
そんな東西南北のマンダラみたいなシステム
ならいくらでも出てきそうだけど

オム マニ パドメ フームの真言は
東西南北のマンダラの根本的な
四つのカタチと言えそうだ。 

オームーな音

最初のマントラであるOM オム

聖音 とか

心の鎮まり とか

根源を感じる とかのイミになる。


なんか古神道の音霊とピッタリじゃね?

とかおもった。


いずれも道教でいう東側の青龍の

位置にあって、

音霊も OM

根元へと至る鎮魂感を感じる。


OMAUMでもあらわすことができるけど

この場合


Aは主観で五感とかの意識

Uは思考とか欲動で夢の意識

Mは身分化の統一とかで深い眠りの意識

AUMの全体は宇宙意識だという。


瞑想で意識を鎮めていく方向を➡️

教えてくれている感じがする。


オムの意味は

🔵根源的響きで

 無始であり心のうちに響いている音 で


🔵意識というのは

 その根源の響きを写す鏡 で


🔵根源の音は一切の現象と事物を

 不可分で自他の区別なく作り出す


🔵その音は根元の自由で明るい生きた音☀️


🔵自ら何かを表現する音ではなく

 無欲で宇宙全体を受け入れるような

 与えると同時に欲なく得る、

 ミロク様のお働きのような音☀️


◯その根源の音から今のイノチに創造的な

 影響力をもらうのが行☀️🙏


◯オムの真言は

 歴史、記録、文字、論理の方向に向かう

 左脳的な意識を内向きに変える。


◯外側から五感を刺激するものが幻想であり

 自らの内側に普遍的な意識があることを

 直感させる。


◯瞑想で深ーいところに潜って、

 もともとの原初の音により

 生命を蘇らせる♨️


◯ココロを平静にして内的聴覚を磨き

 その音にひたるのだ。


🔵そのように音に従えば

 自分を解放してくれる。


☀️菩薩行は自分を解放することだし

 自我の克服することだし

 無我の観念を体験的確信に変えること

 という悟りの道が見えてくる➡️


☀️自らの存在の輝きは☀️

 他者の生命力を増大させるものであり

 これが生きた実践する答えである。


 これらがオムのカタチであると

 難しいけどゴヴィンダさんは

 おしえてくれているとおもった。



この辺の原初への還元していく感覚も

音霊法といっしょだな。


音といえば、中国南北朝時代の

茅山の仙人の陶弘景さん(456~536年)も

松が風で奏でる音を愛した仙人で


風が吹くと喜んで庭に出ていって

松風の音を聞いてたらしい。


陶さんは

松風はココロを幻想的な気持にするし

意識を変えてくれるし

魂が鎮まり松風の音と共鳴できるという。


♫♫ ♫♫♫ ♫♫♫♫ ♫♫♫♫♫


ワタシもけっこう変態なので

あまりヒトの視線が気にならないので


ちょうど職場の隣の高校に巨木のある林が

あるので、風の強いときに松もあるし

松風でも聴くかと

コンクリートの囲障に座って聴いてみた♫


なるほどサワサワする音が気持ちいいなと

思った♫♫


松と関わる歌に齋宮女御の古歌があるけど


琴の音に みねの松風 通ふらし

 何れのをより 調べそめけむ


という歌なんだけれども


琴の音と松風が空間でお互いに響き合ってる

けど、この音は琴の絃かな?松の音かな?

千年を生きる陛下に弾かれて時間も紡いで

いくし

という意味の歌らしい


松風には時間と空間を織りなす意味まで

あるのか!


松を使って降りてくる仙人も能代に

いるしね♫


琴はもともと天皇自身が弾く楽器で

木と弦からなるし

五行の木とか神道のアマツスガソとかの

深い意味もありそうだ。


古神道と音


古神道での音の考え方は


宇宙の一切の活動が音霊で起り

宇宙の一切が数霊で組織化される

と極端な言い方をする。


むかしの天皇陛下が礼楽をやって

マツリゴトをしたり


イワトガクレしたアマテラスオオミカミを

高天原の神々が笑い声で呼び返したのも☀️

音霊のはたらきによる奇跡であった。


電子よりも細かい究極の霊子が

一霊四魂(荒魂・和魂・幸魂・奇魂)で

それらが生命の源だし、


それが音霊(オトタマ)とか数霊(カズタマ)

なんだよともいってたりもする。


宇宙の一切の現象は

音霊で時間軸で経緯されて発動し♫

数霊で魔法陣的に空間的に組織される✏️


古神道の大先生は、

音と数は霊的根元の二つの姿だと言い切る。


普賢菩薩と文殊菩薩を常にカタワラに置く

釈迦如来のようでもある。




コトダマとオトダマの違い


言霊(コトタマ)も音霊だけども

人間の口からでる音霊が言霊

それ以外の音が音霊なのだ。


コトダマはマニの働きとなる気がする。


宇宙は音に満ちていて音霊そのものだし

耳に聞こえる音だけではなく

カラダ全体で感じるような振動そのもの。


聴覚とは単に五感(視・聴・嗅・味・触)の

一感覚ではなく、範囲の広い、根本感覚とも

全身感覚とも呼べるもの


だからこそ、音には浄化の力があるんだよ

というスタンスが古神道であった。


音霊法はすぐれた浄化の技法なのだ。


風水ともにてるな?


まてよ?

古代中国の風水学で堪輿(かんよ)と呼ばれた

ものと音霊 数霊 言霊は似てるな?


堪は天文擇日(時)を意味し

輿は地理(場所)のことで

易経でいう三才は天と地と人だし


孟子は天は時 地は利 人は和とかいう。


堪とは「天時」であり

輿とは「地利」であり

自然界の事象のバックグラウンドに

堪輿が働いているというし


この天時に当たるのが音霊で

地利に当たるのが数霊の気がするな


堪輿をうまく時空間に適用するのが

ヒトで「人和」であり、

和らぎ調和するコトであるという。


言霊と人和は関係している気がする。


摩多羅神と脇手の配置とも

関係してくる気もするけどあと回しにして


天時と地利に沿って言霊で笑わせると

イワトビラキもなるというコトかな?


お笑いにも、時節の話題と、地方ネタと、

ヒトのテクニックが要るということか!


やはり小遊三師匠からナニかを

学ばなきゃいけないな




また時間があればマニについても

ご紹介したいのですが

よろしければまた読んでみてください🙏


それではまた!👋