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最初のマントラであるOM オムは
聖音 とか
心の鎮まり とか
根源を感じる とかのイミになる。
なんか古神道の音霊とピッタリじゃね?
とかおもった。
いずれも道教でいう東側の青龍の
位置にあって、
音霊も OMも
根元へと至る鎮魂感を感じる。
OMはAUMでもあらわすことができるけど
この場合
Aは主観で五感とかの意識
Uは思考とか欲動で夢の意識
Mは身分化の統一とかで深い眠りの意識
AUMの全体は宇宙意識だという。
瞑想で意識を鎮めていく方向を➡️
教えてくれている感じがする。
オムの意味は
🔵根源的響きで
無始であり心のうちに響いている音 で
🔵意識というのは
その根源の響きを写す鏡 で
🔵根源の音は一切の現象と事物を
不可分で自他の区別なく作り出す。
🔵その音は根元の自由で明るい生きた音☀️
🔵自ら何かを表現する音ではなく
無欲で宇宙全体を受け入れるような
与えると同時に欲なく得る、
ミロク様のお働きのような音☀️
◯その根源の音から今のイノチに創造的な
影響力をもらうのが行☀️🙏
◯オムの真言は
歴史、記録、文字、論理の方向に向かう
左脳的な意識を内向きに変える。
◯外側から五感を刺激するものが幻想であり
自らの内側に普遍的な意識があることを
直感させる。
◯瞑想で深ーいところに潜って、
もともとの原初の音により
生命を蘇らせる♨️
◯ココロを平静にして内的聴覚を磨き
その音にひたるのだ。
🔵そのように音に従えば
自分を解放してくれる。
☀️菩薩行は自分を解放することだし
自我の克服することだし
無我の観念を体験的確信に変えること
という悟りの道が見えてくる➡️
☀️自らの存在の輝きは☀️
他者の生命力を増大させるものであり
これが生きた実践する答えである。
これらがオムのカタチであると
難しいけどゴヴィンダさんは
おしえてくれているとおもった。
この辺の原初への還元していく感覚も
音霊法といっしょだな。
音といえば、中国南北朝時代の
茅山の仙人の陶弘景さん(456~536年)も
松が風で奏でる音を愛した仙人で
風が吹くと喜んで庭に出ていって
松風の音を聞いてたらしい。
陶さんは
松風はココロを幻想的な気持にするし
意識を変えてくれるし
魂が鎮まり松風の音と共鳴できるという。
♫♫ ♫♫♫ ♫♫♫♫ ♫♫♫♫♫
ワタシもけっこう変態なので
あまりヒトの視線が気にならないので
ちょうど職場の隣の高校に巨木のある林が
あるので、風の強いときに松もあるし
松風でも聴くかと
コンクリートの囲障に座って聴いてみた♫
なるほどサワサワする音が気持ちいいなと
思った♫♫
松と関わる歌に齋宮女御の古歌があるけど
琴の音に みねの松風 通ふらし
何れのをより 調べそめけむ
という歌なんだけれども
琴の音と松風が空間でお互いに響き合ってる
けど、この音は琴の絃かな?松の音かな?
千年を生きる陛下に弾かれて時間も紡いで
いくし
という意味の歌らしい
松風には時間と空間を織りなす意味まで
あるのか!
松を使って降りてくる仙人も能代に
いるしね♫
琴はもともと天皇自身が弾く楽器で
木と弦からなるし
五行の木とか神道のアマツスガソとかの
深い意味もありそうだ。
古神道と音
古神道での音の考え方は
宇宙の一切の活動が音霊で起り、
宇宙の一切が数霊で組織化される
と極端な言い方をする。
むかしの天皇陛下が礼楽をやって
マツリゴトをしたり
イワトガクレしたアマテラスオオミカミを
高天原の神々が笑い声で呼び返したのも☀️
音霊のはたらきによる奇跡であった。
電子よりも細かい究極の霊子が
一霊四魂(荒魂・和魂・幸魂・奇魂)で
それらが生命の源だし、
それが音霊(オトタマ)とか数霊(カズタマ)
なんだよともいってたりもする。
宇宙の一切の現象は
音霊で時間軸で経緯されて発動し♫
数霊で魔法陣的に空間的に組織される✏️
古神道の大先生は、
音と数は霊的根元の二つの姿だと言い切る。
普賢菩薩と文殊菩薩を常にカタワラに置く
釈迦如来のようでもある。
コトダマとオトダマの違い
言霊(コトタマ)も音霊だけども
人間の口からでる音霊が言霊で
それ以外の音が音霊なのだ。
コトダマはマニの働きとなる気がする。
宇宙は音に満ちていて音霊そのものだし
耳に聞こえる音だけではなく
カラダ全体で感じるような振動そのもの。
聴覚とは単に五感(視・聴・嗅・味・触)の
一感覚ではなく、範囲の広い、根本感覚とも
全身感覚とも呼べるもの
だからこそ、音には浄化の力があるんだよ
というスタンスが古神道であった。
音霊法はすぐれた浄化の技法なのだ。
風水ともにてるな?
まてよ?
古代中国の風水学で堪輿(かんよ)と呼ばれた
ものと音霊 数霊 言霊は似てるな?
堪は天文擇日(時)を意味し
輿は地理(場所)のことで
易経でいう三才は天と地と人だし
孟子は天は時 地は利 人は和とかいう。
堪とは「天時」であり
輿とは「地利」であり
自然界の事象のバックグラウンドに
堪輿が働いているというし
この天時に当たるのが音霊で
地利に当たるのが数霊の気がするな
堪輿をうまく時空間に適用するのが
ヒトで「人和」であり、
和らぎ調和するコトであるという。
言霊と人和は関係している気がする。
摩多羅神と脇手の配置とも
関係してくる気もするけどあと回しにして
天時と地利に沿って言霊で笑わせると
イワトビラキもなるというコトかな?
お笑いにも、時節の話題と、地方ネタと、
ヒトのテクニックが要るということか!
やはり小遊三師匠からナニかを
学ばなきゃいけないな
また時間があればマニについても
ご紹介したいのですが
よろしければまた読んでみてください🙏
それではまた!👋