熊本地震「理想の避難所」 人のつながり、関連死防ぐ(災害考) | Just One of Those Things

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地震大国・日本列島。熊本地震で甚大な被害を受けたにもかかわらず、関連死を防いだ場所がありました。

 

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熊本地震「理想の避難所」 人のつながり、関連死防ぐ(災害考) 
社会2018/4/30 22:18日本経済新聞 電子版


 熊本地震で甚大な被害を受けた熊本県益城町に「理想の避難所」と呼ばれる避難所があった。無数の余震に遭いながらも避難者が互いに健康状態を気遣い、積極的に避難生活の改善に取り組む雰囲気をつくり救急搬送者を出さなかった。自身も被災した運営リーダーは仮設住宅でも人のつながりを維持する仕組みを展開。避難者の気持ちを前向きにしている。

 

 2016年4月14日夜と16日未明の2度、震度7の揺れに襲われた同町の中心部にある益城中央小学校は、同日午後から体育館を中心に避難所になった。校庭の車中泊を含め最大400人が身を寄せた避難所でリーダー役を担ったのが、自宅が全壊し夫と避難した吉村静代さん(68)だった。

 

 混乱の中、初日の夜は車いすや松葉づえを使う人もいるのに足の踏み場もなかった。吉村さんは床にテープを貼り、通路と各避難者が暮らす区画を分ける作業に取り組んだ。雑魚寝によるほこり吸引を防ぐため、段ボールベッドも直ちに発注。避難者には「自宅にいる時と同じように」を基本に毎朝布団をたたみ、粘着テープを使った清掃をするよう呼びかけた。

 

 プライバシー確保のために設置されるカーテンなどの間仕切りも昼間は完全に開け、朝のラジオ体操への参加を促した。

 

 避難者同士が苦楽を共に話し合える雰囲気づくりも。段ボールベッドを利用してコミュニティースペースをつくり、配られる食事を皆で食べる会食場とした。1992年から続けてきた町づくり活動の経験が生きた。

 

 避難所は6月20日から8月18日の閉所まで避難者が自主運営。吉村さんは「すべては日常に戻るための準備。外部支援はありがたいが、完全に依存しては元気は出ない。寝床で食べるのではなく歩いて会食場に行き、被災の痛みを話し共有することで、お年寄りも元気になった」と振り返る。

 

 ベッドの提供など支援した段ボール製造会社の社長で避難所・避難生活学会理事の水谷嘉浩さん(47)によると、益城町は特に家屋損壊が深刻で、指定避難所すら壊れたため避難所の人の密度は高まった。「極度の緊張で避難時の救急搬送は日常のおよそ100倍に増えるが中央小はゼロ。避難者同士が顔色を見あい、健康状態を気遣っていたことも奇跡を生んだ」

 

 仮設住宅「益城町テクノ仮設団地」に移ってからも、吉村さんは6区に分かれた団地全体の自治会代表に就いた。「子供には遊び場が必要」と団地横の荒れ地を住民に呼びかけて整備。立ち上げたNPO法人で寄付を集めて広場に山砂を入れて運動場をつくり、区対抗の運動会も開いた。

 

 「田舎だからできたと思われるが最初、避難所にいた知り合いはわずか5人。見知らぬ者同士でも日常に戻るための自分事として助け合い、取り組む気持ちがあれば大都市でもできるはず」。関連死を出さず、希望を持って避難生活を送る工夫について吉村さんは2年間で全国約100カ所で講演し、実践を伝え続けている。

 

(小林隆)

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素晴らしい方がいらしたものです。もしもの時のために、見習わないといけませんね。

 

講演の機会がある方は是非講演を受けにご参加ください。また、自治体や町内会で講演を頼まれるのもよいかと思います。

 

さて、次は、恒例のネイチャーを定時に取り上げます。

 

 

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