謎多き八幡神様(4) | Just One of Those Things

Just One of Those Things

Let's call the whole thing off

前回の『謎多き八幡神様(3) 』より。


宇佐神宮では、古来より「放生会(ほうじょうえ)」が執り行われています。数多い神社の中で初めて「放生会」を行ったのは宇佐神宮が始めです。


明治維新以前の古くでは、宇佐神宮の境内に弥勒寺という神宮寺 というものがあったこのからも、初めて「放生会」を執り行われ続けたことからも、この神事に仏教との深い関係がうかがわれます。


天平年間(729-749年)の東大寺大仏鋳造に際しては託宣を発して協力して、中央に進出しました。このことから、八幡大菩薩といった称号をいただいている宇佐神宮の八幡神です。以後、代表的な護法神として、有力寺院の鎮守社として勧請されました。


天応元年(781年)には菩薩号が贈られ、また貞観元年(859年)、都を鎮護する「石清水(いわしみず)八幡宮が創建されm平安末には伊勢神宮と並ぶ皇室の第二の宗廟として尊崇されました。



一方、源治氏の氏神ともされ、鎌倉に鶴岡八幡宮が創祀された系においては、敷神として武士階級、さらに庶民の信仰も集め、全国に勧請されました。しかし、八幡神の、『八幡神の出目 』から考えると、或いは、『謎多き八幡神様 』、もしくは、『謎多き八幡神様(3) 』からみると、ロジックの繋がりがないんですね…(-"-;A


「八幡神は戦の神」と考えられている型もありますが、その由来というのも、それより古来の寺社より八幡神を崇拝する陣営が力を持っていたから、という理由からにすぎず、学問的にも科学的にもロジックが繋がらない、つまり、『八幡神の出目 』やこれらの理屈(物事の道理)から言えば、個人の思想にすぎない、と思えてなりません。


何しろ、それを示す古代の文献がないんですね・・・。


現在、全国に四万社ほどあります、八幡神の神社。ほかに、母子神信仰や山岳信仰との関わりも見られます。また、空海とも関わりがあった八幡神です。


いわば、八幡信仰は神仏習合的な複雑性を背景に持ちつつも、その神威の強大さを示すことで、皇室から庶民までの広範囲な階層に浸透していったのです。