八幡神の出目 | Just One of Those Things

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Let's call the whole thing off

和銅五年(712年)に示現した宇佐八幡は、最初、身体は一つですが頭が八つもある、まるで八岐大蛇みたいな鍛冶の翁で、かれに近付こうとした者の大半は死亡しました。


大神比義(おおがひぎ)という男が見に行くと、翁の姿は見えず、翁は金色の鷹、ついで金色の鳩に変化しました。


これを神の化身であると感じた比義は、三年間、山中で修行していると、三歳の童子の姿で現れ「辛国(からくに)の城(き)に始めて八流の幡(旗)を天降して、吾は日本の神となれり」と託宣したといいます。


すなわち、「八幡」という神号はここから発しているわけでありますが、ここでも八幡大神は自ら<渡来の神>であることを表明しています。つまり、「辛国」とはインドのこと。インドの神(荒神)といえばシヴァ神です。頭が八つもあるとは、八大龍王か、十一面観音ならず(手前の)八面観音か?・・・ということで、類似したRD体験を持つことから我が家に頂点の神として鎮座してお祀りしております、「辛国之大御神之尊」。


しかも、のち、東大寺の大仏を鋳造する時、宇佐八幡が手伝ったように、もともとは鍛冶の神でもあったと考えられております。そこで、我が家には「八幡宮の"それ"」とは別に「八幡大菩薩」も鎮座されています。


東大寺のといえば、東大寺の毘盧遮那仏においては、中国や日本の高僧らがインドの高僧である菩提僊那(ぼだいせんな)に頼み込んで、開眼導師をしていただいたものです。・・・これについては、特注で頼んでいるので3ヵ月後あたりに当時の本来の実物が我が家の仏殿にお招きできるでしょう。


因みに、その出目となった場所が大分県は中津市です(参照:『大貞八幡宮薦神社(こもじんじゃ) 』『薦神社 』『中津薦神社(大貞八幡神社) 』)。したがって、龍神(あうんの一対の)ものも…ということで、これも特注で3ヶ月かかります。


10年間だけの約束で、在家僧職・職員であった当時、手厚い供養と苦行にて、「龍神」→「倶利伽羅不動明王」→「倶利伽羅大龍王」→「十一面千手千面観音」→「大日如来」となったはずのものですが、掛け軸から仏像になりました…A^^;


このような過程からもちろん、仏殿においては、「馬頭観音」(その前祐徳稲荷→馬頭観音→後に阿弥陀)も鎮座しており、「十一面千手千面観音」が中央に鎮座し、「虚空蔵」も鎮座しております。八幡大菩薩を筆頭とした掛け軸のご本尊がございます。その上には、大日如来を中心に、脇に薬師如来(に、特注で頼んでいる待ち受けの毘盧遮那仏)。もう片方の脇には倶利伽羅大龍王の掛け軸の本尊に倶利伽羅不動の仏像まで鎮座しております。神殿については、右側にて、辛国神を上の中心に、脇持に聖観音、片や、特注で現在待ち受け中の対の龍神が鎮座することになり、その下方では八幡宮の社に、祐徳の社が鎮座し・・・、祐徳さんがいるからってことで、密教ではゆかり深い三面大黒天を特注で頼み居間は掛け軸の本尊で待機しております。仏像はすべて座仏像です。よって、動き回るといった必要性は無い仏像です。この状態で、両界曼荼羅がかかっております。


神殿の場合、法具がいるだろうからって、神楽鈴や祓串も頼みましたし、それぞれ獅子狛犬や神狐が必要でしょうということで、木製等で、つまりは、陶器ではないものを頼んでいます…。灯篭も必要だって言うんで灯篭も頼み、神楽鈴や祓串も…、と、あるものからそろっています。仏殿のほうも厨子等、あるものからそろっています。



本当は、両界の大日がいましたし、辞職する前の最後の祈祷を受けている中、空海由来は四国の神仏さまも、お迎えに行かされましたが…。


確かに、すべての神仏の皆さんが出られまして、掛け軸にしてお祀りはしていました。しかし木彫りのあの仏像となると、です。御祀りするスペースが無いので、あとは「両界曼荼羅」で勘弁してください…(。-人-。)



ということで、我が家の床の間にある神殿と仏殿は、土台からして、超本格的となっており、80%が特注です。


ここまで来てしまえば、途中下車は無理なもので、本人はその道を歩み続けなければならなくなったと(普通の人間で平凡に暮らすことを)諦めています。その分、原因の解明や問題に対処するだけ、サイエンスマニア度がどんどん深く濃くなってしまいます。



さて。欽明天皇の御代の示現は、一説では「欽明天皇三十二年二月十日」だったといいます。豊前国宇佐郡馬城嶺(まきのみね)に奇しき光と共に示現したもので「筑紫の宇佐島」に凝らせている、今の御許山(大元山)です。その山頂付近には手を加えたらしい三個の巨石からなる磐座があり、その八合目には遥拝所としての大元神社が鎮座し、そこから上は禁足の聖地となっていて、宇佐八幡の摂社・奥宮として崇敬されています。


また、近くには霊水もあり、なかなか良い雰囲気の神域となっています。


すなわち、宇佐神宮も、この磐座を御神体とする神奈供信仰からも始まっています。


中津から宇佐へ移設された辛国の神というのも事実です。


私が両界の大日如来を抱えていたというのは、つまりはここから発しています。(。-人-。)



因みに、このあたりの部分、座禅等で出で来る、脳内のグラフィック理論現象で、脳内の仮想上に現れる"それ"で、古くからは「感得した」という言語で説明されます。この「感得」とは、必ずしもよい体験をするものではありません。何度も死に目を見ることもあります。圧力で押しつぶされることもあります。TNGのジャンリュック・ピカードのごとく、或いは、時の旅人のごとく、次元を飛んだり飛ばされることもあります。


このような体験ができる人は至極稀で、先天性、つまり遺伝で(遺伝子の流れ上でそれが)で生じえます。所謂霊媒体質とか、受けやすい対象がこのタイプで、宗教嫌いな至って現実主義の人間でもこの現象は生じえます。脊髄の弱い方、或いは自律神経失調症でもこの現象が体内で起こりえます。つまり、脳がそれに置かされてしまうといった状態の意味です。しかし、個人の努力しだいで(心身を浄化し鍛えるための禅や滝行などの苦行は勿論のこと、知識や技術やノウハウをえることによって)完治することは理論上では可能です。


すなわち、古来からあった、なかなか治癒できない特殊な病気とはこれです。この現象を治すには、実践仏道で苦行し、ノウハウを得ると、やった分だけ治ります(ゆっくりとですが、長い時間をかけることによって)その現象がなくなります)。