父さん母さん、この夏、大阪港近くのテーマパークに修行に行った折にY君と会ってきたことは以前お伝えしました。
その続きです。
Y君によれば、Y君が母さんの弟のY叔父さんから相続していた倉橋島の空き家は、千葉県内に住む釣り好きの不動産屋の人が「どうしても譲ってください。」と頼み込んできたため、交渉の末まあまあの良い価格で売却したということでした。
Y君の話によれば、叔父さんは生前、倉橋の家を2000万円ほどかけて改装していたそうです。
なぜそんなお金を掛けて直したかというと、要するに叔父さんは、仕事を引退したら、神戸の空襲で焼け出されてから大学に進学するまで暮らした倉橋の家に住み、のんびり余生を過ごすつもりでいたのです。
叔父さんは戦後の食糧難の時代に自分の力で倉橋の山林を開墾し、幾ばくかの農地も取得していました。
それら諸々を含めて、倉橋で第2の人生を過ごすつもりでいたそうです。
しかし、元々叔父さんと叔母さん(叔父さんより先に癌で死去)は余り仲が良くなく、実は何度も離婚話が持ち上がっていました。
叔母さんの実家からも「我慢しないでもう帰って来なさい。」ということを何度も言われていたようです。
しかし叔母さんは、子どもたち(従兄弟のY君を含めて3人)が大きくなるまで、と思って我慢していました。
そんなわけですので、夫の引退後に夫と2人で倉橋で余生を過ごすなど叔母さんにとっては考えも及ばないことだったので、結局倉橋の家はずっと空き家のままで、従兄弟たちが夏休みに別荘代わりに使っていました。
この点、従兄弟のY君も叔母さんとY叔父さんの確執をずっと見ていましたから、父親であるY叔父さんに対してはいろいろな思いがあったようです。
それもあってY君とY叔父さんの間では、断絶・没交渉が長く続いていたと想像します。
ただ、今回思い切ってY君にそのことを尋ねたら、「いや、ほんまオヤジとは別になんも無かったんや。めんどくさいから実家に近付かなかっただけやし。」みたいなことを言っていましたが。
しかしそれやこれやあってか、Y君は「わしゃ倉橋のお墓とか倉橋での釣りとか、余り思い入れが無いんや。せやから、あの家も売れる時に売りたいと思うてたんで、何か吹っ切れたような感じがするなあ。」と正直に話してくれました。
もしかすると、あの倉橋の家は、Y君やそのほかの従兄弟たちにとっては複雑な思いが籠った一種の棘のような存在だったのかもしれません。
Y君は、「わしも人生第2ステージやし、倉橋にこだわる部分はもうほとんど無いしなあ。」とも言っていました。
一抹の淋しさはありますが、従兄弟の気持ちも分からないではありません。
そんな訳で、従兄弟のY君と倉橋に行くことはこれでほぼ無くなりました。
従ってまた、倉橋のお墓や街並みを子①(10歳長男)に教えておく計画は、子①と2人だけで実施に移さざるを得ない見込みです。
調べてみると、私が生まれた集落にも民宿みたいなものはあるにはあるようです。
ただ、明け方や夜中に自由に釣りに出る、というわけにはいかないかもしれませんので、どんな形で子①を倉橋に連れて行くか、これから少しずつ計画を立てていかなければなりません。
私が生きて歩けるうちに誰か子どもを連れて行かないと、母さんのご先祖様のお墓の場所や僕が生まれたあの懐かしい島の風景は僕の記憶の中だけにとどまり、いずれは誰にも伝承されることなく忘れ去られてしまうことになるでしょう。
そう考えると実は時間は余り無いのかもしれません。
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