創価三代の誉れ

創価三代の誉れ

創価三代の師弟の歴史的スピーチ等を紹介



      $創価三代の誉れ

Amebaでブログを始めよう!
最近はFBばかりでブログをさっぱり更新しておりませんでした。
楽しみにしてくれている読者の皆さん大変申し訳ありません。

前回の更新が確か、創価青年音楽センターで開催した広布楽雄会の2回目の記念勤行会だったとおもいます。

来週の日曜日、第三回が開催される予定ですので、もう一年が経とうとしております。

相当前からネット上では「自称25歳」なので年齢は変わりませんが実生活年齢は明らかに1歳積み重ねました。
なんとか時々は更新しようと思いますが、直近の状況はFBへ遊びにいらしてください。

埼玉音楽隊のOB会「広布楽雄会」の第2回勤行会が明後日

音楽隊の殿堂「創価青年音楽センター」で開催されます。


懐かしいメンバーとお会いできるのが楽しみです。




昭和38年。音楽隊に入隊当時取り組んでいたのが、歌劇アイーダの凱旋行進曲でした。
(現在所属組織名は「○○凱旋圏」です。~~~あまり関係ありませんが(汗)


はじめて行く「創価青年音楽センター」と懐かしいメンバーとの再会が楽しみです。





参加の模様は後日このサイトでお会いらせする予定です。
しばらく休止していた友好ブログ「スキンケアde素肌美人」を再開しました。

6年ほど前、1ケ月半で15キロのダイエットに成功し、

ほぼ、リバウンドもなく一定の成果を見ることができました。


スキンケアやアンチエイジング等にこだわらず、
肩肘を張らない、やんわりとした、日記風のブログを心がけていきます。

たわいもないことを「だらだらと」書きなぐってしまうかもしれませんが


時間がある方はぜひ!

時間の無い方は時間をこじ開けて!


是非!遊びにいらしてください。




スキンケアde素肌美人

カテゴリ:祈り
そもそも祈りとは、本来、未来に向けられるものです。変えようがない過去に祈りを向けても仕方ありません。亡くなった方のことを祈る場合でも、私たちはその人の生命が未来に向けて安らかであるよう祈るものです。

祈りは「未来をよい方向に変えようとする営み」ですから、私たちは祈る時、未来に心を向けます。将来かくありたい、かくあってほしいという願いが祈りなのです。だからこそ、祈りという営みの中で、人はおのずと展望的記憶を強化しています。

すなわち、脳科学から見れば、日常的に祈っている人ほど、展望的記憶をしっかりと持っていきいきと生きることができるのです。

それがポジティブな利他の祈りであれば、脳に与えるよい影響も強まって、なおのことよいでしょう。


【脳科学からみた「祈り」】脳科学者 中野信子/潮出版社
大聖人は、「王地に生れたれば身をば随えたてまつるやうなりとも心をば随えたてまつるべからず」(御書287頁)と悠然と仰せになっている。ユネスコ(国連教育科学文化機関)が編さんした『語録 人間の権利』にも収録されている。世界的に有名な一節である。“たとえ、身体の自由が奪われたとしても、心は、精神は断じて屈しない”――権力の魔性と戦い抜かれた大聖人の魂が凝結した大宣言である。そして、これからも、妙法流布の信念に生き抜くことを、自身を迫害した平左衛門尉の前で堂々と述べられるのだ。

死罪に等しいと言われた佐渡への流罪をもってしても、権力は大聖人を屈服させることはできなかった。

この大聖人の不屈の精神を現代によみがえらせたのが、創価の父・牧口初代会長である。戦争へと突き進む軍部政府によって、不敬罪および治安維持法違反の容疑で逮捕・投獄。しかし、獄中にあっても毅然と信念を貫き、看守や検事にも仏法の正義を堂々と語り抜いた。そして、崇高なる殉教の精神を遂げたのだ。

この先師の不惜身命の闘争によって、現代に正しく受け継がれた大聖人のご精神は、その後、戸田会長、そして名誉会長へと継承。創価三代の師弟闘争があったればこそ、世界広布への新たな時代が開かれたのである。



【撰時抄に学ぶ】創価新報2015.7.15

北海道をはじめ各地で大雪に見舞われ、冬本番の厳しい冷え込みが続いています。どうか、体調を崩さぬよう、また絶対無事故の前進をお願いします。
  わが愛する創価家族の皆様! 皆さんこそ御本仏から「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(御書1467㌻)と託された、誉れの使命の人でするしばれる寒風の中で広宣流布の行動を重ねゆくご苦労が、痛いほど胸に迫ってきます。
 御聖訓には「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群弧に笑わるる事なかれ」(御書1589㌻)と仰せであります。
 何があろうとも、師子王の心で、勇んで戦う生命こそが、仏となる。忙しいからこそ、宿命転換も早い。いかなる壁も、断じて打ち破ることができる。
  いよいよ勇気ある信心を奮い起こし、師子となって走り、叫び、広布と人生の大躍進を、断固、成し遂げてまいりたい。
                                        *  *
  日蓮大聖人は、大事な広布の戦いに挑む門下へ「但偏に思い切るべし」(御書1451㌻)と仰せになられました。そして、今こそ名をあげるチャンスではないか。“釈迦仏・多宝仏・十方の仏よ、集い来って、わが身に入れかわり、我を助け給え”と強盛に祈り抜いていきなさい――と励まされております。
 大聖人に直結して祈り戦う我らに、偉大な仏の力が出ないわけがありません。言うに言われぬ苦労に徹した分だけ、未来永劫にわたる大功徳が、厳然と、皆さんに現れないわけがないのであります。
 世界一の異体同心の団結光る同志の皆様方! 断じて油断なく、強く楽しく朗らかに、人間革命の勝利劇を示していこうではありませんか。「大切な宝の同志の皆様を、梵天帝釈、護り給え」と、祈り深く強く、題目を送っております」

                                       名誉会長と共に 新時代を開く 【43】
                                                                              12月7日付 聖教新聞より転載

名誉会長と共に 新時代を開く 【42】

皆さまの前進こそ世界の希望

間もなく、阪神・淡路大震災より20年。全世界に希望と勇気を送る兵庫そして大阪の奇跡の大復興を、私はあらためて讃歎申し上げたい。
その姿こそ、東日本大震災からの復興へ歩む東北と全国の同志にとって、何よりの励ましとなるに違いありません。
御本仏のお約束の通り、「極楽百年の修行」に勝る大功徳が、一日また一日、皆さん方の生命に無量無辺に積まれ、「陰徳陽報」の大勝利の実証が厳然と現われることを祈り、そして確信しつつ、題目を送り続けております。

*  * *  * *  * *  *

昭和31年の「大阪の戦い」で、一番苦しい局面にあって、私と関西の父母たちが共々に身読した御聖訓があります。
 「各各(おのおの)師子王の心を取り出して・いかに人をどすとも をづる事なかれ、師子王は百獣におぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干(やかん)のほうるなり日蓮が一門は師子の吼(ほ)るなり」(御書1190㌻)との一節です。
 いかに過酷な試練が襲いかかろうとも、絶対に怯まない。一人一人が「師子王の心」を取り出して、正義を勇敢に叫び切る。そして何ものをも恐れず、何ものにも負けない金剛不壊の団結で、人類の悲劇の流転を大転換しゆく民衆の大城を、私たちは築き上げてきたのです。
 我らが負けじ魂で悪戦苦闘を突き抜けて進んだ分だけ、仏縁は広がり、人材が育つ。社会は栄え、世界の希望となる。
 どうか、題目を唱え抜き、「信心しきったものが必ず勝つ」──この常勝腐敗の金字塔を、従藍而青(じゅうらんにしょう)の誇りも高く、断固と永遠に輝かせていってください。
 幸福勝利の「春の曲」を轟かせながら、最高に晴れ晴れと、新年を迎えようではありませんか! 体を大事に! 風邪をひかれませんように。

「躍信」の明年へ さあ出発!


創立の日から「世界広布新時代 躍進の年」の明年へ、勢いよく出発した広布のりリーダーの皆さんの勇姿を、牧口先生、戸田先生も、「さすがだな」と会心の笑顔で見守っておられることでありましよう。     
 両先生が広宣流布へ走り、語り抜かれた足跡は、不滅の輝きをいや増しております。
 広宣流布大誓堂が立つ信濃町32番地に隣接する地も、戦時中、弾圧の直前に、戸田先生が・足を運び、折伏した学会員の家があった場所です。
 今、我らが不軽菩薩のごとく大誠実を尽くし結んでいる仏縁も、やがて、どれほど人材と福徳の花を咲かせゆくことか。
 我らが勇敢に奔走している地域も、どれほど妙なる三変土田(さんぺんどでん)の実証を示しゆくことか。
 信心の世界だけは、ありがたいことに、いささかの無駄もありません。
 日蓮大聖人は池上兄弟に「石はやけばはいとなる金(こがね)は・やけば真金(しんきん)となる、此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ」(御書108ページ)と仰せになられました。



 いざという時に「やらんかな」の勇気で戦う生命は、金剛不壊の大境涯を開くことができる。大変であるからこそ、大福運を積むこともできるのです。

                * *

 皆さんこそ、広布の大道の栄光の第一走者です。今こそ題目の師子吼を朗々と唱え、明るく楽しく励まし合いながら、足取りも軽く、未来永遠に輝きわたる師弟誓願の「力走」を頼みます! 先師の殉教70年に、断固として、自身と学会の、目の覚めるような「発迹類本)」を成し遂げ、最高に晴れやかな「躍進」の新春を迎えようではありませんか!
 

大切な大切な皆さん方が、1人ももれなく健康で、絶対無事故で、仏の力を出し切り、大功徳を受け切られるよう、私は祈り抜いていきます。





名誉会長とともに 新時代を開く 【41】 聖教新聞より転載







第8回本部幹部会で紹介された、名誉会長の指針





「SGI総会」の意義を込めた「世界広布新時代第8回本部幹部会」(8日、巣鴨の東京戸田記念講堂)の席上、「第23回本部幹部会」(1998年6月)での池田名誉会長のスピーチが紹介された。栄光の11・18「創価学会創立記念日」に、躍進と勝利を期する友の指針として掲載する。

一、弘安元年(1278年)の7月3日のことである。日蓮大聖人は一人の婦人の門下の質問に答えて、丁重なご返事を出されている。
 病気の夫を看病しながら、真剣に仏法を求め、行じていた婦人であった。
 今で言えば、学会の婦人部である。
 大聖人は、まず、婦人に対して、「仏法について質問してきた」こと自体を、最大に讃嘆しておられる。
 どこまでも耳を傾ける。言い分は何でも受けとめる。これが御本仏の大きな慈愛であり、大きな心であられた。
 学会もまた、何でも語り合える雰囲気を大切にしていきたい。
 そうでないと伸びないし、発展は続かない。
 上から下への命令だけでは、官僚主義である。
 組織は硬直し、人間まで硬直させてしまう。そんなことは絶対にあってはならない。
 学会は人間の世界である。魂の世界である。慈悲の世界である。
 あくまでも人と人の団結と触発の世界である。だから強い。
 これを大切にすれば、学会は永遠に発展できる。
 大聖人は、法華経の「六難九易(六つの難しいことと九つの易しいこと)」の法門を引かれて、こう仰せである。
 「三千大千世界(宇宙)を、まりのように蹴りあげる人よりも(中略)末法の今日このごろ、法華経の一句一偈の意義でも尋ねて質問する人は、まれであり貴重です」(御書1402ページ、通解)
 この宇宙をサッカーのボールのごとく蹴りあげる奇跡よりも、妙法を真面目に求めていくことは、もっとむずかしいのである。
 いわんや、皆さんのように、妙法を広宣流布していくことが、どれほど尊貴なことか。
皆さまを、御本仏日蓮大聖人が讃歎しておられるのである。

 一、ともあれ今日まで、日本中、そして世界にまで広宣流布を成し遂げてきたのは皆さま方である。
 大聖人後の七百年、また仏法三千年の歴史で、だれ人もできなかった世界広宣流布を実現したのは、わが創価学会である。
 この大偉業をしたのは、有名人でもなければ、学者や博士でもない。
 すべて無名の庶民がやったのである。なかんずく毎日毎日、けなげに戦ってこられた婦人部の信心の力である。大功徳がないわけがない。
 だれが何と言おうと、この生命の勲章と功徳は金剛不壊であり、不滅である。永遠に崩れない。
 学会だけが仏意仏勅の陣列である。
 「学会に勝るものなし」との確信で進みましょう!

 一、学会活動に邁進している人は、いかなる試練もすべて、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」と転じていくことができる。
 どんなに「いやだな」と思うことがあっても、すべて希望と福運の方向へ、永遠なる幸福の方向へと、回転させていくことができる。
 有名な日寛上人の言葉に、次のようにある。
 「祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来たらざるなく、理として顕われざるなきなり」(観心本尊抄文段)
こう断言なされている。
 では、時として、祈りが叶わないように見えるのは、なぜなのか。
 それは、より祈りが深くなるように、また、より強い人間、より深い人生になるように、そして、より深き福運を、がっちりとつけるように、との御仏智なのである。
 何でも、ちょっと祈って、すぐ叶ったのでは、人間は堕落してしまう。これでは立派な人生が築けるわけがない。
 本当に深き祈りも、死にものぐるいの努力もなくして、簡単に祈りが叶ってしまえば、人間を堕落させるだけである。それでは偉大な人間をつくる仏法ではなく、人間を破壊する仏法になってしまう。
 要するに、その人が本当に幸福になり、立派になるための祈りであれば、必ず叶う。すぐには結果が現われない場合でも、長い目で見れば、絶対に叶っていくのである。

 一、正しい、偉大なる人生という目的に向かって、健康で、常に希望に燃えて、進んでまいりましょう!
忍耐強く、朗らかに、友と仲良く、本当の同志愛で、この人生を堂々と、悔いなく飾っていきましょう!
 私も一生懸命、題目を送ります。
 大切な皆さま方のご健康と、ご活躍を祈っております。どうか、お元気で!



大事な指導です。

プリントアウトしてデスクの前の壁に貼り出しました。

婦人部万歳!!

壮年の幹部は心して!!



聖教新聞 社説 より転載させていただきました。


スマホ利用者が増加 身近に潜む危険・犯罪に注意』


ビジネスパーソンには、今や必携アイテムともいえるスマートフォン(スマホ=多機能携帯電話)。その利用が今、幅広い世代に広がりつつある。
 最近では、使いやすさを売りにした「簡単スマホ」や、大手電話会社のスマホに比べて月々の費用が半額程度で済む「格安スマホ」が、次々と登場。シニア層への普及も著しい。
 先月発表された調査データによると、シニア層(60歳以上)のスマホ所持率は27・6%。昨年に比べ、4・4ポイント増だという(MMD研究所調べ)。
 スマホをはじめとする新しい技術の登場によって、仕事でも日々の生活でも、その利便性はますます高まっている。時代が進むにつれ、便利になることは自然な流れであり、好ましいことではあろう。が、その一方、身近になったネット環境などには、危険・トラブルが潜んでいることも忘れてはならない。
 近年、スマホ利用に伴うトラブルは増えている。個人情報の漏えいも、その一つだ。例えば、スマホで無料アプリをダウンロードしたところ、個人情報や位置情報が外部に流出したというケースが確認されている。スマホを標的とするウイルスも確認されており、パソコンと同様の安全対策が必要だ。
 警視庁は、①ウイルス対策ソフトを導入し、常に最新のソフトに更新する②外部に漏れると困るようなデータは保存しない――など、利用者への注意を喚起している。
 40~60代のスマホ利用者でいえば、セキュリティー被害への認知度は80・3%と高いものの、その対策を講じている人の割合は「3人に1人」だという(KDDIの調査)。情報が流出すれば、職場や周囲の人々にも被害が及びかねない。その点も肝に銘じたい。
 ほかに、ワンクリックで詐欺サイトに誘導され、高額の料金を請求されるケースも近年、問題視されている。ネット上の犯罪の手口は巧妙・多様化しているのが現状だ。
 当然のことだが、「盗難・紛失」にも気を付けたい。持ち運びが便利なスマホは盗難・紛失の恐れも高く、そこから情報流出につながる場合もある。
 効率や利便性が高いほど、その裏に潜む危険を忘れがちだ。日々の勤行・唱題を根本に「事故・トラブルは断じて起こさない」との姿勢を保ちつつ、日頃の「危機管理」にいっそう努めたい。折々の知恵を発揮しながら、絶対無事故で、本年の総仕上げを飾ろう。