広宣流布の「生命の勲章」は永遠 | 創価三代の誉れ

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創価三代の師弟の歴史的スピーチ等を紹介

第8回本部幹部会で紹介された、名誉会長の指針





「SGI総会」の意義を込めた「世界広布新時代第8回本部幹部会」(8日、巣鴨の東京戸田記念講堂)の席上、「第23回本部幹部会」(1998年6月)での池田名誉会長のスピーチが紹介された。栄光の11・18「創価学会創立記念日」に、躍進と勝利を期する友の指針として掲載する。

一、弘安元年(1278年)の7月3日のことである。日蓮大聖人は一人の婦人の門下の質問に答えて、丁重なご返事を出されている。
 病気の夫を看病しながら、真剣に仏法を求め、行じていた婦人であった。
 今で言えば、学会の婦人部である。
 大聖人は、まず、婦人に対して、「仏法について質問してきた」こと自体を、最大に讃嘆しておられる。
 どこまでも耳を傾ける。言い分は何でも受けとめる。これが御本仏の大きな慈愛であり、大きな心であられた。
 学会もまた、何でも語り合える雰囲気を大切にしていきたい。
 そうでないと伸びないし、発展は続かない。
 上から下への命令だけでは、官僚主義である。
 組織は硬直し、人間まで硬直させてしまう。そんなことは絶対にあってはならない。
 学会は人間の世界である。魂の世界である。慈悲の世界である。
 あくまでも人と人の団結と触発の世界である。だから強い。
 これを大切にすれば、学会は永遠に発展できる。
 大聖人は、法華経の「六難九易(六つの難しいことと九つの易しいこと)」の法門を引かれて、こう仰せである。
 「三千大千世界(宇宙)を、まりのように蹴りあげる人よりも(中略)末法の今日このごろ、法華経の一句一偈の意義でも尋ねて質問する人は、まれであり貴重です」(御書1402ページ、通解)
 この宇宙をサッカーのボールのごとく蹴りあげる奇跡よりも、妙法を真面目に求めていくことは、もっとむずかしいのである。
 いわんや、皆さんのように、妙法を広宣流布していくことが、どれほど尊貴なことか。
皆さまを、御本仏日蓮大聖人が讃歎しておられるのである。

 一、ともあれ今日まで、日本中、そして世界にまで広宣流布を成し遂げてきたのは皆さま方である。
 大聖人後の七百年、また仏法三千年の歴史で、だれ人もできなかった世界広宣流布を実現したのは、わが創価学会である。
 この大偉業をしたのは、有名人でもなければ、学者や博士でもない。
 すべて無名の庶民がやったのである。なかんずく毎日毎日、けなげに戦ってこられた婦人部の信心の力である。大功徳がないわけがない。
 だれが何と言おうと、この生命の勲章と功徳は金剛不壊であり、不滅である。永遠に崩れない。
 学会だけが仏意仏勅の陣列である。
 「学会に勝るものなし」との確信で進みましょう!

 一、学会活動に邁進している人は、いかなる試練もすべて、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」と転じていくことができる。
 どんなに「いやだな」と思うことがあっても、すべて希望と福運の方向へ、永遠なる幸福の方向へと、回転させていくことができる。
 有名な日寛上人の言葉に、次のようにある。
 「祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来たらざるなく、理として顕われざるなきなり」(観心本尊抄文段)
こう断言なされている。
 では、時として、祈りが叶わないように見えるのは、なぜなのか。
 それは、より祈りが深くなるように、また、より強い人間、より深い人生になるように、そして、より深き福運を、がっちりとつけるように、との御仏智なのである。
 何でも、ちょっと祈って、すぐ叶ったのでは、人間は堕落してしまう。これでは立派な人生が築けるわけがない。
 本当に深き祈りも、死にものぐるいの努力もなくして、簡単に祈りが叶ってしまえば、人間を堕落させるだけである。それでは偉大な人間をつくる仏法ではなく、人間を破壊する仏法になってしまう。
 要するに、その人が本当に幸福になり、立派になるための祈りであれば、必ず叶う。すぐには結果が現われない場合でも、長い目で見れば、絶対に叶っていくのである。

 一、正しい、偉大なる人生という目的に向かって、健康で、常に希望に燃えて、進んでまいりましょう!
忍耐強く、朗らかに、友と仲良く、本当の同志愛で、この人生を堂々と、悔いなく飾っていきましょう!
 私も一生懸命、題目を送ります。
 大切な皆さま方のご健康と、ご活躍を祈っております。どうか、お元気で!



大事な指導です。

プリントアウトしてデスクの前の壁に貼り出しました。

婦人部万歳!!

壮年の幹部は心して!!