本日のテーマ

【心とは何か?】

 

心とは何か?
心とはどこにあるのか?

 

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日頃から、なにげなく“心”について話すことがあります。
 子どもたちへの心の教育が必要だ…
 あの人は心の豊かな人だ…
 優しい心を持ちたい…

 

心とは…
精神。知・情・意などのそれぞれのはたらき。
(旺文社国語辞典より)

 

わたしは、心をこのようなものと考えます。

「物事を捉える、考える、発想することの一番基を掌る“感じる思いの存在”」
この感じると思いが、

 何をどう感じ…

 何をどう思うか…

によって、人の行動に表れてくるのだと思うのです。

 

人は、心のあり方で思考し、それが行動に表れるのでしょう。
わたしは、人の心を三つ分類して見るときがあります。
①歪んだ心
②正常な心
③豊かな心

 

同じことを捉えるのでも心のあり方で大分違ってくるでしょう。
例えば、困っている人が目の前に居たら…
①心が歪んでいる人は……自分には関係ない
②心が正常な人は…………可哀そうで気の毒な人
③心が豊かな人……………自分にできることをやってあげたい

 

これは極端な例で、もちろんそれぞれの立場や状況もあると思いますが、このような行動に表れるのではないかと思います。

 

イギリスの謎の哲学者といわれた“ジェームズ・アレン”の著書『原因と結果の法則』は一世紀もの間ロングセラーになっています。

この“ジェームズ・アレン”の言葉をご紹介しましょう。


「思いが行動に表れ、そして環境をつくるのです。即ち心で思っていることが人生となり、『自分の心のあり方と同様な人や物』を寄せ付けてくるのです」

 

また、このようにも述べています。
「人間は自分の思いの主人です。よって人間は、自分の人格の製作者であり、環境の設計者なのです」

 

心の思いは、その人の人格をつくり、人生を創造するのですね。

わたしは、こう考えます。
 

「心を育むのは自分自身、すべて自分が原泉である」

 

 

本日のテーマ

【どう捉えるか】

 

 

起こってしまった出来事を、どのように対応するかについて、以前ブログ『突然起こったことは驚いても間に合わない』で触れました。

 

今回は、起こってしまった不幸の捉え方のお話です。
わたしは、不幸な出来事を前向きに捉えることを心がけてきました。

 

中国の昔話に、起こった出来事の捉え方について「人間万事塞翁が馬」(にんげんばんじさいおうがうま)という話があります。

 

「昔むかし、中国で国境の塞のほとりに老人が住んでいました。ある日老人の飼っている馬が、胡の国の方へ逃げていってしまいました。近所の人々がなぐさめたところ、老人は「これが福につながらないともかぎらない」とほほ笑んだのです。数か月がすぎました。ある日、逃げた馬が胡の国の名馬をつれて帰ってきました。近所の人々がお祝いにかけつけると、老人は「これは、不幸になることだってあるのです」と言って微笑みました。案の定、老人の息子が名馬に乗っているうちに落馬して、太ももを骨折して足が不自由になってしまいました。人々が同情して見舞いに行くと、老人はまた微笑んで、「これは幸せにならないとはかぎらない」と言いました。一年が経過しました。胡の国が攻めてきて、若い男性は兵隊としてかり出され、10人のうち9人までが戦死してしましいました。ところが足が不自由になった息子は、兵隊になることを免除されて九死に一生を得ることができました」

 

 

人は仕事や生活で順調に行っているときはとかく油断してしまいます。
その油断の先に失敗や問題事が起きたりします。
また、不調のときは落ち込んでしまいます。
でも、この話のように逆に発想すると、先々のことへの最善の対策になるのではないでしょうか。
まさしく、“どう捉えるか”です!
良いことが起こった時、悪いことが起こった時、どう捉えるかはあなたのセンス(判断)です。

 

■フリードリヒ・フォン・シラー(18世紀の思想家)の言葉…
「人は幸運の時には偉大に見えるかも知れないが、真に向上するのは不運の時である」

 

 

本日のテーマ

【酒席での失敗】

 

 

お酒を飲み過ぎた次の日に、後悔することが度々ありました。
その度に思うのです。

飲み過ぎに注意をしなければいけない……と。

 

わたしもそうですが、友人や知人に失敗談を聞いてみると、
 記憶をなくす
 上司へ説教
 愚痴不平不満をぶちまけた
 はしゃぎ過ぎた
 失言の連発
 二日酔い
等々があり、きりがないようです。

 

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わたしも若いころには大胆に酔っぱらい大きな恥もかいてきましたが、だんだん酒の怖さを分かってくるようになると自分の飲み方を考えるようになりました。

そして4年前にお酒を断つことができ、今では飲んでいません。

 

昔の武士の時代は、酒席での失敗が命取りになることもありました。

そこで武士道のバイブル『葉隠』では、酒席の心得が記されています。
(聞書第一・二三)
「酒の席はおごそかでなければならない。よく観察してみると、たいていの人は、ただむやみに飲んでいるだけのようだ。酒というものは、終わりをきれいにしめくくってこそ酒である。このことに気がつかないと、品位を欠いて卑(いや)しく見えるものだ。人の心がけは酒に表れる。酒の席は公の場であることを自覚しなければならない。」

 

(聞書第一・六八)
「大酒を飲んで失敗した人は数知れない。ひじょうに残念なことである。まずは自分の適量というものを知って、それ以上は飲まないよう気をつけたいものだ。そうしていても、時として度を過すこともある。酒の席ではよくよく気を抜かぬようにし、思いがけないできごとが起こってもきちんと対処できるように配慮しておきたい。」

 

能力がある人でも酒で立場を崩してしまうこともあります。
当時、この『葉隠』の教訓から自分流の飲み方を考えました。
 1、お酒の量を減らす。
 2、飲む時間を長くしない。
 3、三次会には極力遠慮する。

 

 

■シャルル・ピエール・ボードレール(19世紀フランスの詩人)の言葉…
「酒は人間そのものに外ならぬ」

 

 

参考文献:「へたな人生論より葉隠」本田有明 河出書房新社