本日のテーマ

【知っていれば踏み止まった】

 

 

年頃の子どもを持つ親は、男子女子の違いがあっても、あれこれ気をもむことがあります。(もうセックスに関心を持っているだろうか…)

思春期の子どもには、反抗期や性の問題に親は悩まされることもいっぱいあります。

 

特にこの時期に注意しなければないのは犯罪です。
暴力・麻薬・買春…
特に女子の場合、性的な犯罪が目立つようになります。

援助交際、買春です。
この延長線に麻薬に手を出すこともあります。
犯罪を防ぐには子どもたちに犯罪の怖さを教えることが必要です。

 

これはある女子高生の実話です。
異性と遊ぶことを覚え、もっと遊びたい、もっと友だちにまけないブランド品が欲しいと欲望が高まってきます。クラスで援助交際の体験者も出はじめます。一人、二人、そしてブランド品を買った自慢話。すると周りの雰囲気も変化してきます。みんなやっているのだから一回くらいだったら大丈夫と、その道に踏み込んでしまうのです。
A子は、はじめて援助交際を体験しました。
相手はサラリーマン風の男でした。

 

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トラブルもなくその日は終わりました。
しかし、後日、大変な問題がA子を襲うことになります。
サラリーマン風の男ですが、じつはヤクザだったのです。
ホテルで隠しビデオを撮られ、それをネタに脅迫され、売春を強要され、麻薬中毒者にされられてしまったのです。
たった一度の行為だったのですが……。

 

後で、悔やんでも悔やみきれないことです。

A子は、いけないと分かっていたのですが、大丈夫だと思い込んでいました。

A子は、怖さを知っていなかったのです。

 

もし、このとき、A子が援助交際は危険な犯罪の入り口であることを知っていたとしたらどうだったでしょう?
きっと“踏み止まった”はずです!

 

わたしたち大人が、子どもたちを犯罪から守るためにも、犯罪の怖さ教えていく責任があると強く感じました。

これに限ったことではありませんが、知ることにより未然に防げることがあるはずです。
幸せな人生にするために、知ることがたくさんあるようです。

 

■ロバート・ブラウニング(19世紀イギリスの詩人)言葉…
「無知は無罪にあらず有罪である」

 

わたしはこう考えます。
「知ることで、道を間違えない正しい判断ができます」

 

 

本日のテーマ

【わたしは“今日一日の成功者”を目指す】

 

 

成功するために、自分の理想を描き、それを目指して努力することは大切なことです。

大きな目標をかかげるのも大事ですが、肝心なのはその目標に近づくために毎日努力を続けることです。

しかし、この“続ける”ことが一番難しいのです……。

 

その難しさですが、ものは考えようとも言えます。

例えば、パソコンが出来ない人が、一年後に“パソコンの達人になる”という目標を立てたとしましょう。
でも、いきなり達人になることはできませんし、目標に到達するまでは様々な技術をマスターする必要があります。

最初から全てできる訳ではありませんから、大切なのは目標に到達することではなく、目標に近づくために毎日続けられる習慣をどのようにイメージしてつくるかです。

 

自著でも書きましたが、わたしが本を書けるようになったのは、パソコンを覚えたからです。
わたしはアナログタイプの人間でパソコンは苦手でした。
ところが、ある時からパソコンを覚える必要性を強く感じてはじめることにしました。
最初は何からはじめてよいか分かりませんでした。
そこで、パソコンに詳しい友人に聞きました。
すると「ブラインドタッチ」からはじめることを勧められたのです。
(ブラインドタッチ:画面を見ながらキーボードを見ないで入力するやり方)

そこでパソコンを操作するよりもブラインドタッチに全力を注ぎました。

そして、自分で決めたことは、

「いついつまでにブラインドタッチをマスターする」という目標ではなく、

「毎日続けること毎日やり続けること」を目標にしました。

 

それは、たった一日の目標を達成していくことでした。
目標は、“毎朝15分早く起きて練習をする!”
このことに集中して、一日が達成できる成功者を目指しました。
先のことは考えていません。今日一日です。

 

すると、毎日目標を達成することにより、達成感を感じられるようになったのです。

それは、少し大げさかもしれませんが成功者の喜びと満足が得られたのです。

その達成感も手伝い、毎日やることが楽しくなってきました。

 

その後、たった一日の成功者ですが、それを味わいたくて毎日苦にならず続けられようになりました。
もし、このとき一年後に目標を達成しようと思っていたら重荷になったかもしれません。

気がつくと約一年でパソコンを自分のイメージ通りできるまでになっていました。

小さいことができるようになると、次のステップに進めることができて、自然と目標に近づくのです。

 

禁煙する、ダイエットする、英会話を覚える、体を鍛える等、様々な目標を達成するため、たった一日の成功者になってみてはいかがでしょう……。

 

わたしは、この経験からこう考えるようになりました。
「小さい目標でも達成して成功者になる習慣は長続きする」

 

 

■デール・カーネギーの言葉…
「人生とは今日一日のことである」

 

 

本日のテーマ

【見返りを求めない心】

 

 

今までの出会いの中で、親切にしてくれた人がいました。
その後、

「今度は、あなたがわたしに何をしてくれるの?」

と見返りを求められ、そのとたんにガッカリして人間不信になってしまったことがありました。

 

見返りという訳ではありせんが、私たちは生活の中で、よく“求める”ことをします。
家族でもそうですね。
日頃、奥さんが食事の支度をしていると、それが当たり前になり、やってくれて当然という感覚になってしまいます。

いつしか、やってもらわないと不満を感じたり、自分が求める気持になっていきます。

 

求める気持ちは、相手が期待通りにしてくれなければ不満を感じたり、こちらがやってあげたことに相手が応えてくれなければガッカリしたり、相手を批判する気持ちになったり、ときには恨むことすらあります。

例えば、

 人に親切にしたのにお礼を言われなかった…
 やってあげたのに何もしてくれない…
 自分は夫だから妻がやって当たり前…
 自分は役職が上だから部下がやって当たり前…
 お金を払っているのだからサービスされてあたり前…
 自分は高齢者だから席を譲ってもらい当然…

 

こう言い換えることもできます

 家族だから…
 目上だから…
 権利があるから…

 

すべて、見返りを求める心がつくりだした不満の感情です。

 

スーツを着た男性と文字の加工写真

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わたしは、あるとき気づきました。
自分は、時として「見返りを求める」ことがある。
自分の期待していた通りにならなければ、相手を責めてしまうこと。
それは、相手の反応によって、自分の心が影響を受けてしまっていることでした。

自分自身の精神が“みみっちく”なってしまっていたのです。

 

もし、「見返りを求める」ことをしなくなったらどうでしょう?

 求めなければ、相手に期待しない…
 求めなければ、腹を立てない…
 求めなければ、批判しない…
 求めなければ、相手を恨まない…

 

求めなければ、相手がどうであれ、自分の心は動揺しません。

武士道には、見返りを求めない一方通行的な精神があります。
あくまでも世のため人のために自分が一方的にするのであり、その見返りを求めることを恥としていました。
武士は志を持ち、事を成すために日頃より穏やかな心を維持することを重んじていました。
そのため見返りなどを求めなかったのでしょう。

 

見返りを求めない、“優しさ”や“行動”ができる人こそが立派な人だと思います。

人生は、死ぬまでの貴重な時間を生きています。
その時間を“穏やかに過ごしたい”ものです。
いかに穏やかな時間をつくるかが幸せのカギになるのかもしれません。
それは、見返りを求めないことが穏やかな時間をつくる一つの役割に思えます。

 

わたしはこう考えます。
「見返りを求めないことは、自分自身を見つめることにつながる」

 

 

■アルトゥール ショーペンハウアー(18世紀ドイツの哲学者)の言葉…
「すべての人間は、他人の中に鏡を持っている」