模型による城郭の復元

模型による城郭の復元

紙を使い、往時の城をできる限り正確に再現しようと思っています。
主に建築を主体とした城郭模型の制作記です。

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2021年に制作した法勝寺八角九重塔の模型につきまして、京都市平安京創生館に展示されることになりました。

 

-企画展- 京都市平安京創生館 (kyoto-inet.or.jp)

 

京都市平安京創生館での展示の様子です。

 

会期は、2022年7月6日から2022年12月28日です。

場所は、円町駅近くの京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)1階にある京都市平安京創生館です。

 

 

「阿弥陀堂の京(みやこ)─九体阿弥陀堂をめぐって─」という企画展と合わせて展示する運びとなりました。

 

様々な方とのご縁があり、展示する機会をいただくことができました。

この場を借りて御礼申し上げます。

 

昨年に制作した法勝寺八角九重塔の模型です。

 

平安京創生館には、常設展示で1/100の法勝寺八角九重塔の模型があります。

発掘調査が行われる前に設計されたもので、総檜皮葺きのすらりとした塔です。

法勝寺八角九重塔の模型としては最も有名なものだと思います。

 

今回展示することになった自分の模型は瓦葺きの新しい復元案のものです。

そのため、今回の展示では、同じ展示空間に檜皮葺きの復元案と瓦葺きの復元案の模型が2つ並ぶことになりました。

同じ塔に対する復元案の違いを立体的に比較していただくことができれば幸いです。

 

 

年末まで展示されておりますので、よろしければご覧いただけるとありがたいです。

法勝寺八角九重塔の模型です。

 

縮尺は1/150です。

心柱と相輪の先の部分以外はすべて紙で作りました。

 

平安時代の後期に建てられた建物です。

 

制作にあたっては以下のものを参考にしました。

冨島義幸、「法勝寺八角九重塔の復元について」(『京都市内遺跡発掘調査報告 平成22年度』、京都市文化市民局、2011年、194-209頁)

 

 

全体像です。

 

 

裳階です。

 

 

上層部です。

 

 

 

中間層です。

 

 

北面です。

 

 

上三重です。

 

二重目です。

 

初重組物です。

 

模型全体です。 55cmほどの高さです。

以上、法勝寺八角九重塔模型の写真でした。

瓦の彩色です。

平瓦に濃いめの色を塗った後に、丸瓦に明るい色をのせています。

棟は、側面に見える熨斗瓦のところを平瓦と同じ色として、上の雁振瓦や鬼瓦のところを丸瓦と同じ色にしています。

瓦の色は、黒と白を混ぜたものに黄色や茶色などを加えることで温かみのある色にしています。

 

 

丸瓦は、調合した丸瓦の基本色をのせた後に、若干暗めの色や、若干温かみをもたせた色などを無作為に入れて色むらが出るようにしています。

ただし、はっきりとした色むらがでると汚くなるので、近くに寄るとわかるという程度にしています。

軒瓦の部分には、軒丸瓦の瓦当を点々と描き入れました。

実際には軒丸瓦と軒平瓦の瓦当はそれほど色が変わらないのですが、模型表現として軒丸瓦の瓦当を強調するために色を入れました。

 

 

相輪も金色に塗りました。

全体の雰囲気を考慮して、若干深めの金にしました。

 

今回の塗装では、瓦の色むら以外、汚し塗装は一切しませんでした。

よくいわれるように、汚し塗装をすると文字通り汚くなります。実際の建物に汚れがついている以上、現実的な模型にするためならば、汚し塗装をすることは効果的だとは思います。しかし、一歩間違えると、ただ汚いだけの模型になりかねません。

 

この模型では、汚し塗装をすることで模型の格調の高さが失われてしまうように感じたので、しないことにしました。

 

題材自体が形態的にも歴史的にも夢幻のような建物ですので、現実感な模型というよりは、一定の抽象性を持ったものにしたいと考えました。

 

 

 

土台です。

正方形平面の中心配置です。大きさは一尺二寸四方です。

 

 

階段まわりの詳細です。

地面には砂を撒いています。

 

 

 

松の木を作りました。

法勝寺については、平安京創生館模型の草木が一本もない姿があまりにも強烈なのですが、実際には緑豊かな伽藍であったと考えています。

例えば、法勝寺金堂を描いたともいわれる鷹司本『年中行事絵巻』の御願寺金堂の図像(注1)には、建物のすぐ脇に木が数本植わっている様子をみることができます。

そのほかにも、法勝寺には蓮の花や桜の木が植わっていたことがわかっているようです(注2)。

ましてや、八角九重塔は池の中島に作られているため、ある意味で庭園の中に建っているようなものです。

したがって、塔周辺にもある程度木が植わっていただろうと思います。そうした雰囲気を再現するために、模型にも植えてみようと思いました。

 

樹種は無難に松の木としました。

 

電源コードから針金の束を取り出して、それをよじることで幹を作りました。

葉は鉄道模型用のものを使いました。

 

 

二本作って配置してみたところです。

手前の木が高さ15mくらい、奥の木が高さ10mくらいを想定しています。

 

 

と、松の木を作ってみるまでは良かったのですが、配置してみるとどうも塔と調和しないように感じました。

そこで、結局のところ、松は植えないことにしました。

 

 

 

次に、残っていた裳階の縁板の色も塗りました。

色を塗り重ねると、カッターで入れていた板の筋が埋まってしまったので、乾燥後に針で描き起こしました。

 

最後に、裳階から九重まで、塗り残しやはみ出しなどの確認・修正を行いました。

 

これで色塗りは終了です。

 

 

すべての部材を並べてみたところです。

 

これらを重ねて接着することで完成です。

 

 

 

参考文献

注1 次の文献に掲載されている図を参考にしました。 冨島義幸、「法勝寺八角九重塔の復元について」(『京都市内遺跡発掘調査報告 平成22年度』、京都市文化市民局、2011年、194-209頁)

注2 飛田範夫、『日本庭園の植栽史』、京都大学学術出版会、2004年、93頁

まずは下塗りをします。

 

瓦の下塗りです。

 

 

 

壁面などの下塗りです。

興福寺五重塔や東寺五重塔のような、濃い色合いの木の素地のイメージです。

 

 

下塗りが終了したところです。

 

 

次に、壁面や組物、垂木などの彩色を行います。

 

 法勝寺八角九重塔は発掘調査で赤色顔料が付着した瓦が出土したそうです。その赤色顔料を分析した結果として、丹土ベンガラという顔料と同種のものが使用されていたことがわかったそうです(注1)。

 

 ここで、平等院鳳凰堂の平成修理の報告書(注2)によると、平等院鳳凰堂の扉以外の部材については、平安時代後期の大修復の際に丹土ベンガラが塗られたことがわかっているようです。その後の中世の修理でも主に丹土ベンガラが使用されていたようです。そのため、平成修理においては想定される色に近い色を塗ったといいます。したがって、色合いについては、平等院鳳凰堂平成修理において用いられている色合いを参考にしました。

報告書には、修復の際に使用された赤色顔料の見本が付属していたので、その見本を参考にして色を決めました。

 

 

色を決めて裳階の一面に試し塗りをしたところです。

茶色とも赤ともとれるような色になりました。

 

裳階と初重が終わったところです。

 

窓の緑や木口の黄土の色を塗りました。

 

 

裏側から見るとこのようになります。

 

初重の組物の彩色をしたところです。

 

この段階ですでに初重と裳階は接着しているので、初重組物の彩色は厄介でした。

彩色をするためには、①筆が届く、②目が届く、③光が届くの3点が必要です。

筆が届いても見えなかったり、角度を変えれば影になってしまったりと、3つの要素を常に成り立たせながら彩色をすることは一苦労でした。

 

初重の全体です。

中心には心柱を通すための穴を開けているので、それに棒を差し込んで手がかりとしています。

 

 

二重です。

 

三重です。

 

 

四重五重です。

 

 

 

ここで、彩色の手順について説明します。

 

まずは下塗りの段階です。前述したように、壁面を全て焦茶色に塗ります。これは九重の写真です。

 

 

白を入れるとこのようになります。以下、八重の写真です。

何度も塗り重ねています。

垂木と丸桁の間の隙間は絵の具で埋まってしまうところがあるので、乾燥させた後に針で削ることで隙間を復元しています。

 

 

垂木の下面に赤を入れます。木負、茅負にも赤を入れます。

 

面相筆で垂木の側面にも赤を入れます。

 

台輪以下の壁面の彩色です。面相筆で塗り分けます。

 

組物の出ているところと、通し肘木などの色をつけたところです。

 

壁付肘木と軒天井、支輪の色をつけたところです。

壁付の組物は斗繰の曲線なども意識して描きこみました。

一部、筆が届かないところがありますが、よくいわれるように筆が届かないところは目が届かないところなので、筆が届く範囲で色を付けています。

 

 

裏甲などの彩色をして、木口に黄土を入れたところです。

風鐸は金色としています。

建築によっては様々なところに黄土を塗りますが、今回の模型では垂木・隅木・尾垂木・丸桁・裏甲・縁板・高欄の木口に黄土を塗ることにしました。

 

 

下塗りから上の写真の状態に至るまで、初めは14時間くらいかかりましたが、慣れると12時間や10時間くらいでできるようになりました。初重と裳階は別としても、二重より九重までこの作業が8回も繰り返されることになるので、造形を行うときと同じくらい大変な作業でした。

 

その後、高欄や縁の色も塗りました。

 

すべての重が終わったところです。

全体写真です。

 

細部です。

 

上三重です。

 

以上です。

 

 

参考文献

注1 北野信彦、「法勝寺八角九重塔跡出土軒平瓦に付着した赤色顔料」(『京都市内遺跡発掘調査報告 平成22年度』、京都市文化市民局、2011年、210-214頁)

注2 平等院 編集・発行、『国宝平等院鳳凰堂平成修理報告書』、2019年

相輪です。

 

下の覆鉢と受花のところは、円形に切り出した厚紙を重ねることで作っています。重ねたものを水で溶いた木工用ボンドをしみこませて固めた上で、最終的には紙やすりなどで整えて、きれいな円形にしています。

 

九輪のところは、画用紙を短冊形に切ったものを丸めています。紙を二重に重ねることで、形状保持を試みています。紙と紙の間には、心柱と接続するためのY字型の材の端を挟み込んでいます。Y字型の材も紙で作っています。

 

水煙は、図面から画用紙に文様を転写して、カッターで切り出しています。

 

水煙より上は、さすがに紙では心もとないので、針金で芯を作っています。ただ、そのままだと金属の質感が出てしまうので、紙を巻き付けて周囲の雰囲気と合わせています。

 

龍車と宝珠は粘土です。

 

この模型はほぼすべてを紙で作っていますが、心柱と相輪の先だけは紙でない素材を使っています。

 

細かいところは醍醐寺五重塔の相輪を参考にしています。

水煙の向きは塔によっていろいろあるようです。醍醐寺五重塔は壁面に対して45度の角度で斜めにしています。今回の模型では醍醐寺五重塔にならって正面より45度の角度に振ることにしました。

 

 

基壇、階段、雨落溝です。

檀上積基壇です。

発掘調査では雨落溝や基壇地覆石などは出土しなかったようです。

ただ、現地周辺には基壇石材と推測されている石材が散在しています。

 

現地の石材の様子も参考にしながら基壇や階段を作りました。

 

 

風鐸です。風鐸とは隅木先に吊るす小さな鐘のようなものです。

風鐸を取り付けるにあたって、隅木の材の高さが低いように感じたので、すべてつぎ足すことにしました。

その上で隅木先に風鐸を吊るしました。

 

風鐸は、外身の部分を1mm厚の厚紙で釣り鐘型になるように切り出した後、その下側に丸刀で画用紙を扇形に切り出したものを貼り付けています。

 

 

これで、すべての造形ができました。

 

次は彩色です。

六重までは1つずつ作っていましたが、次第に先が見えてきたので、七重からはまとめて作ることにしました。

 

七・八・九重の壁、軒天井、支輪を作ったところです。

 

垂木を作ったところです。

この段階でようやく軒の線が出そろいました。

 

上から見ると化粧の野地板が見えています。

 

組物を作りました。

 

屋根下地です。野小屋の分だけ厚紙を重ねています。

 

瓦を葺きました。

 

高欄を作りました。

 

上から見たところです。

 

これで、九重までができました。

前回、二重の制作の様子について述べました。

今回は三重から六重までの制作の様子について記します。

 

上の重も二重と全く同じ作業の繰り返しです。

以下、写真を中心にして説明します。

 

まずは三重からです。

 

三重の縁・壁・軒天井・支輪・垂木ができたところです。

軒反りについては、支輪までは直線として、地垂木、飛檐垂木と重なるにつれて徐々に反りをつけています。

 

 

組物を作っている最中の写真です。

カッターナイフで斗を突き刺してピンセット代わりにしています。

木工用ボンドで貼り付けています。

 

写真のように上下逆さに置いて、上部の斗や肘木から積み重ねています。

斗と肘木が組み終わった後に尾垂木を取り付けています。

 

 

組物ができたところです。

組物を作るだけでおよそ8時間くらいかかります。

 

 

瓦を葺いて高欄を作ったところです。

化粧の野地板の上に、野小屋の分だけの厚紙、野地板兼裏甲、平瓦の画用紙などを重ね、丸瓦の画用紙を貼り付けています。上重の廻縁を作った後に棟を作ります。鬼瓦も16個作ります。

 

 

三重ができました。

 

 

断面図にするとこのようになります。

 

数字は使用した紙の厚さか部材の断面寸法です。

単位はすべてミリメートルです。

 

 

 

四重です。

 

四重の壁・軒天井・支輪・垂木まで作った様子です。

 

裳階を合わせると5つの屋根が重なるので、下から見ると五重塔のように見えます。

 

組物を作ったところです。

 

屋根を作ったところです。

 

このあたりは、まだまだ先が見えず、果てしない山を登っているかのようでした。

 

 

五重です。

 

五重の壁・軒天井・支輪まで作ったところです。

 

垂木ができたところです。

 

今まで積み重ねてきた屋根の重なりを見ることで、気持ちの後押しをしています。

 

組物ができたところです。

 

屋根と高欄ができたところです。

 

これで五重ができました。

 

裏甲の出などを調節することで、各重の軒の線が上に向かって一直線に連なるようにしています。

 

 

六重です。

 

六重の垂木までできたところです。

六重から上は、三間の壁面のうち、脇の間の間斗束を省略します。

 

 

組物を作ったところです。

 

屋根と高欄を作ったところです。

これで六重目ができました。

六重目まで終わると、ようやく先が見えてきたという気がしました。

 

続きます。

法勝寺八角九重塔です。

前回は裳階と初重について書きました。

今回は二重について記します。

 

縁と壁面を作ったところです。

基本的には初重と同じ作業です。

 

 

軒天井、支輪、垂木を作ったところです。

 

 

三手先組物を作ったところです。

 

下から見るとこのようになります。

尾垂木が突き出ていることがわかります。

真ん中の穴は心柱の穴です。

 

 

裏甲を作っています。

裏甲で屋根の軒反りが定まります。

軒反りは若干きつめに作っています。

 

瓦を葺いたところです。

 

高欄です。

高欄の地覆と平桁の間のところは、平等院鳳凰堂の中堂の高欄のように、数本の水平材を入れることを想定しています。しかし、模型ではその構造通りに再現することが難しかったので、省略して、一枚板のようにしました。

基本的には0.5mm厚の厚紙を細く切り出して組み合わせています。

木工用ボンドを水で薄めたものを染み込ませることで強度を持たせています。

 

これで二重ができました。

法勝寺八角九重塔を作っています。

 

前回、芯を作ったところまで書きました。

今回は、裳階と初重の制作について記します。

 

裳階(もこし)とは、建物本体の構造とは別に作られた差し掛け屋根のようなものです。

この模型では、平等院鳳凰堂の中堂のように裳階を吹き放しとしています。

 

 初めに裳階の縁を作りました。

 縁は八角形の厚紙を何枚か重ねることで作りました。外側に向かって微妙に傾斜しているので、厚紙を斜めに削ったものを2枚の厚紙で挟むことで、傾斜を作り出しています。縁の部分には板の幅に合わせてカッターで筋を入れました。

 

 次は初重壁面を作ります。壁面となる厚紙を所定の大きさに切りだして、窓の穴を開けます。窓の周囲は内側に向かって傾斜するように角を落とします。そして、普通紙に両面テープを貼って細く切ったものを窓周囲に貼り付けることで、窓枠を作ります。最後に、芯となる本体に貼り付けます。

 

 窓の縦格子については、普通紙に両面テープを貼って細く切ったものを、短冊形の紙に平行に貼り付けて作ります。この短冊形の紙を切り出して本体に接着することで連子窓としています。

 

 さらに、0.5mm、1mm、2mmと様々な厚さの紙を切り出して組み合わせることで柱や長押を作ります。部材の交差部では、勝ち負けを意識して作ります。円柱は2mm厚の厚紙を台形断面の細長い角材状に切り出して、角を落とすことで半円にしています。

 細部の構造は醍醐寺五重塔を参考にしました。

 

初重の壁ができた様子です。

普通紙と0.5mm厚の厚紙は白色の紙ですが、1mm、2mm厚の厚紙は灰色の紙を使っているので、柱の部分が灰色になっています。

 

 

裳階の柱と小壁ができた様子です。

1mm厚の厚紙で作った小壁の部分に、普通紙などで壁付の肘木や斗を貼り付けて作っています。

組物は出組です。壁付の通肘木の上部は中途半端な高さになるので、柱上は実肘木と斗の組み合わせとして、中備は短い間斗束としました。

裳階の柱は角柱が基本です。この塔は八角形の塔なので、裳階の柱は八角柱です。2mm厚の厚紙を方形断面に切り出して、角を大きく落として八角柱としています。

 

 

裳階の地垂木の部分です。

1mm厚の厚紙で作った野地板に、1mm厚の厚紙を切り出して作った垂木を貼り付けています。

全て貼り付けた後に、木工用ボンドを水で薄めたものを全体に塗布することで固めています。

乾燥した後に余分なところを切り落としています。

 

飛檐垂木を作っているところです。

地垂木の外側に野地板を取り付けて、短い垂木を貼り付けます。

 

 

瓦を葺いたところです。

化粧の野地板の上に野小屋の分だけ厚紙を重ね、その上に瓦下地と裏甲を兼ねた厚紙を貼ります。

裏甲とは、垂木の先にある茅負からさらに外側に向かって突き出した板状の材のことです。

下地の上に平瓦となる画用紙を重ね、丸瓦を貼り付けています。

最終的に木工用ボンドを水で薄めたものを全体にしみこませた上で、余分なところを切り落としています。

 

 

裳階上の壁と、初重の軒天井、支輪、地垂木を作ったところです。

壁付の組物は三斗と間斗束が2段に重なる形式です。

 

通肘木は、普通紙に両面テープを貼って細く切り出したものを貼り付けています。

壁付の肘木と斗は、画用紙を切り出したものを貼り付けています。肘木は、下側の辺が緩い弧を描くように角を斜めに切り落としています。斗についても、斗繰の分だけ下側の角を斜めに切り落としています。

 

軒天井、支輪は、ともに普通紙に両面テープを貼って細く切ったものを切り出して貼り付けています。支輪の曲面は、2mm厚の厚紙を丸く削ることで作っています。

 

この後、飛檐垂木を作りました。

 

三手先組物です。

標準的な形式です。

1mm厚の厚紙で斗、肘木、尾垂木を作っています。

本来ならば肘木と斗のかみ合いや斗繰などがあるのですが、ここでは省略しています。

 

1mm厚の厚紙からそのまま斗を切り出すと、厚紙の性質から、重なり合った紙片が分離することがあります。それを回避するため、1mm厚の厚紙を細く切り出した際に、木工用ボンドを水で薄めたものをしみこませて固めています。

 

厚紙を細く切り出すところはカッターで行いますが、その後の細かい切り出しは小さな鑿(のみ)のような道具を使い、上からの圧力で切断しています。

 

 

隅の三手先です。

隅は通常の建物とは違って鈍角になるので、特殊な形式の組物になっています。

隅の斗は本来なら五角形なのですが、省略して四角形にしています。

 

初重組物ができたところです。

 

 

裳階の組物や繋梁を作ったところです。

出桁と、裳階中間にも桁を入れます。

それぞれの桁には、それを支えるための三斗を組みます。

出組の三斗の肘木には側柱からの繋虹梁が組み合っているので、肘木に繋虹梁先端の突出部分を作っています。

裳階中間の桁は、繋虹梁の上に蟇股を置き、三斗と実肘木で支えます。

 

初重の屋根と隅棟を作ったところです。

化粧の野地板の上に野小屋の分だけ厚紙を重ね、瓦下地と裏甲を兼ねた厚紙を貼り付け、瓦を葺いています。

隅棟は1mm厚の厚紙で作っています。先に向けて反り上がるように紙片を噛ませています。鬼瓦と鳥衾は0.5mm厚の厚紙を切り出して作ります。稚児棟も同じように作っています。

 

 

裳階と初重ができました。

 

続きます。

法勝寺八角九重塔の制作過程です。

制作の背景、図面の用意、芯の制作について述べます。

 

 

制作の背景

 

 法勝寺八角九重塔は、京都市平安京創生館に模型が展示されています。その模型では、檜皮葺の姿で復元されています。しかし、平安京創生館の模型が制作された後の研究の進展や発掘調査の成果などから、少なくともある時期は瓦葺きであり、模型とは異なった姿であったことがわかっています。この瓦葺きの姿の塔は復元CGが作成されていますが、模型は見たことがありません。そこで、法勝寺八角九重塔について知るうちに、瓦葺きの重厚な姿を立体として見てみたいと思うようになりました。

 

 実際に作る覚悟を決めるまで時間がかかりました。もちろん、悩んでいる時点で結論は出ているも同然なのですが、なかなか決心がつきませんでした。なぜならば、想定される作業量があまりにも多すぎたからです。

 法勝寺八角九重塔は、文字通り八角形で九重の塔ですので、8×9=72となって、壁面が72面あることがわかります。その上、初重には建物本体とは区別される裳階の屋根が加わるので、屋根は全部で10つ重なります。ところが、四角形の五重塔では、4×5=20となって、壁面が20面あることになります。ですから、単純に考えると、72/20=3.6となって、五重塔の模型を3つと半分だけ作ることとほとんど変わらない作業量をこなす必要があることがわかります。三重塔で考えると、壁面が12面あるので、三重塔を6つ作ることとほぼ変わらない作業量だとわかります。

 

 しかし、やはり、今は失われてしまった巨大な塔を見てみたいという思いがあり、最終的に作ることに決めました。

 

 

図面の用意

 

 模型を作るためには図面が必要です。法勝寺八角九重塔は、冨島義幸先生が復元考証をされており、それに基づいて復元図が作成されています。今回の模型も、冨島先生の復元考証を参考にした上で、提示されている図面に従って作ることにしました。

 図面は以下の論考を参考にしました。

冨島義幸、「法勝寺八角九重塔の復元について」(『京都市内遺跡発掘調査報告 平成22年度』、京都市文化市民局、2011年、194-209頁)

 基本的には図面に従って作りましたが、各階の逓減率と細部意匠などに多少の変更を加えることにしました。逓減率については、自分にとって自然と思えるような形状となるように、各階高さや組物の大きさの調節を行いました。また、細部意匠については、裳階出組の壁面組物の変更や、上層における脇の間の間斗束の省略を行いました。

 何をもって自然な意匠とみなすかについては、あくまでも主観的なものなので、人によっては異なった意見を持たれる方もいると思います。今回は、自分が個人的に作る模型ですので、自分にとって違和感がないものとしました。

 

 上記の論考に掲載されている図面をスキャンしてデータ化した上で、wordファイル上に貼り付けて縮尺を合わせました。縮尺は1/100、1/150、1/200など、様々な値を検討しました。細部まで作りこめる大きさにしたいという思いがある一方で、大きすぎると置き場に困るという問題があります。それぞれの優先度や割合を考慮して、最終的に1/150にすることになりました。画面上で縮尺を合わせ、断面図、立面図、平面図を印刷しました。実際に図面を使用する際には、断面図を基に組み立てを行い、立面図をその補助として用います。今回は正八角形という単純な平面形状だったので、結果として平面図はほとんど使いませんでした。

 

 掲載されている図面は通常の建築を示した図面なので、縮尺を合わせて印刷した後、模型として組み立てるために必要な情報を描き加えます。使用する紙の厚みを考慮して、印刷した断面図に模型の構造の断面図を描き入れます。ただ、自分がわかればよいというもので、全て正確に描くわけではありません。この段階で、模型をどのような構造にするのかが決まります。

 

 

芯の制作

 

 図面ができて、方向性が定まると、早速作り始めます。まずは、心柱から作りました。今回の模型では、心柱に直径8mmのヒノキ丸棒を用いて、基壇下から水煙の先まで貫き通すことにしました。これは、すべてを貫通する材を一本通しておかないと、構造的に弱くなると考えたからです。相輪の部分は上に向かってだんだんと細くなっていくので、鉛筆で均等になるように補助線を引いた上で、カッターで削って、紙やすりで整えました。

 

 次に、模型の芯となる箱を作ります。図面から数値を読み取って、厚紙に八角形の形状を写します。八角形は「正対する辺の距離」と「1辺の長さ」の比が(1+√2):1なので、電卓で計算しながら、厚紙に展開図を作図します。すべての展開図を作図し終わると、切り出して、それぞれを接着することで、9つの八角形の箱を作ります。接着にあたっては、のりしろをつけることもありますが、紙の厚みだけで接着することもあります。八角形の箱には、心柱が通るように、あらかじめ穴を開けています。箱の中には縦横に仕切りを入れることで、へこんだり曲がったりしないようにしておきます。

 

八角形の箱を9つ積み上げて、心柱を通した時の状態です。

上に向かうにつれて、段々と小さくなることがわかります。

初重には裳階がとりつくので、その分だけ特に高くなっています。

 

続きます。