竹生島 宝厳寺 開創1300年記念
辯才天堂 本尊秘仏御開扉
令和6年5月18日(土)~27日(月)
開扉時間:9時~16時
5月18日(土)オーミマリン彦根港9時発の1便で竹生島へ
おとな往復で3,200円です
当日は赤備え船『直政』で竹生島へ
江戸時代に近江国(現在の滋賀県)彦根藩を治めた井伊家は、幕末の大老・井伊直弼を輩出するなど徳川幕府における譜代大名の中でも筆頭格とされていました。
戦の際に井伊家は赤色の甲冑(かっちゅう)を身にまとっており、勇猛果敢なその姿は『井伊の赤備え』として他の武将から大変恐れられました。
また、初代藩主・井伊直政は2017年のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公である井伊直虎に育てられたとされています。
これらにあやかり、オーミマリンでは従来の『第5わかあゆ』を大幅にリニューアルし『赤備え船~直政~』として運航することになりました。
家紋と旗印
船体には、○印の中に橘を描いた井伊家の家紋である『彦根橘』や旗印として使われていた『井桁』をあしらっています。
9:40に竹生島へ着きました
入島料は600円です
瑞祥水(ずいしょうすい)
この「瑞祥水」は御本尊大弁才天様の御託宣により平成十四年十一月に掘られた霊泉です。
折りしも、昭和六十二年頃よりの川鵜の異常繁殖によって緑樹は枯れ、山崖は崩れ、全島にわたって大きな被害を受けています。
これによって山の保水能力が下がり、湧水が枯れ果て参詣の皆様・寺内関係者の飲料水はもとより環境衛生の確保も困難という事態になっていました。
そんな折、夢枕にて、ここに井戸を掘れとの御本尊様よりのお告げの声がありました。
しかし、このような湖中の小島での井戸工事は前例が無く、また通常の井戸の観点より考えれば水が出る可能性は低いといわれています。
更に一枚岩盤の島なので、その工事さえも困難が予測されるという悪条件での工事でしたが、約1年の工期をかけ井戸を掘ったところ、深さ230メートル(湖底下約 130m)より御本尊様の御託宣どおり清浄水が出ました。
五重石塔(重要文化財)
五層の仏塔。地・水・火・風・空の五大をかたどったものといわれています。
高さ247cm。石材は滋賀郡の山中から採れる小松石です。 初重塔身には四仏が彫られています。初重以上の屋根はその上層軸部と一石彫成となり、上に相輪あげたての形式は鎌倉中期の石塔の特徴を示しています。
本堂(弁才天堂)
本尊の大弁才天は、江ノ島・宮島と並ぶ「日本三弁才天」の一つで、その中で最も古くに建立された弁才天です。そのため、当山のみ「大」の字をつけ、大弁才天と称します。
この本尊は、開山時(七二四年)聖武天皇の勅命を受け、僧行基が開眼したものです。内陣の壁画は、荒井寛方画伯によるもので正面の壁画を「諸天神の図」、側面を「飛天の図」と呼びます。
納経所にて拝受できる御朱印は、「大弁才天御朱印」(大弁天さまの御朱印)と
「西国三十三所観音霊場 第三十番札所御朱印」(千手千眼観世音菩薩の御朱印)の二種類があります。
御朱印を待っていたのですでに10時20分です
40分も経っています
これから辯才天堂・本尊秘仏の行列に並びます
はたして間に合うのか
辯才天堂を特別拝観された方に限定で刺繍御朱印を授与しています
切り絵御朱印を購入してきました
特別拝観料は1,000円で腕輪念珠と身代り御守がいただけます
「左腕にはめて、家に帰るまで外さないでね~」と言われます。
下のポストカードはオーミマリンさんのアンケートにこたえるといただけます
2種類あるのでお好きなほうをどうぞ
拝観から出てきて10時38分
あと20分ほどですべて終えないと
弁才天は七福神の一人として民衆の信仰を集めてきました。人の穢れを払い「富貴・名誉・福寿」「愛嬌縁結びの徳」「子孫」を恵む神です。また「音楽・智恵・財物」の神として吉祥天とともに広く信仰された女神ですが、もともとはインド古代信仰の水を司る神「サラスヴァティー神」で、それが仏教における守護神として取り入れられたのです。
インドでは「水」には汚れを洗い流す力があるというところから、人々の清き心(菩提心)を守る神として信仰を集め、修行者の守り神として祭られるようになりました。修行を助けるからこそ、芸道、商堂の守り神になったと言われています。
錦の袋(1,500円)と土鈴 浄土の鳥・舎利(1,000円)と
竹生嶋香(800円)を購入しました
ロウソクとお線香のセットは150円です
三重塔
三重の塔は本来、お釈迦様の遺灰を納めた仏舎利塔を形どったものです。平成12年5月、当寺では江戸時代初期に焼失したと言われている「三重塔」を、約350年ぶりに復元いたしました。
この塔は、古来の工法に基づいて建築されています。四本柱に32体の天部の神々を描き、また、四方の壁には真言宗の八人の高祖を配しています。
各柱や長押にはうんげん彩色や牡丹唐草紋様が描かれています。 これらの装飾は、昔ながらに岩絵の具を膠水で溶いて描いているため、耐久性に欠け剥落もしやすく、新しい色合いにて見ていただけるのもこの新築時しかないものであります。
また、この塔も以上の条件により普段は内部公開できないものであります。
もちの木
この木は、1602年(慶長7年)、豊臣秀頼の命を受け、普請奉行の片桐且元が観音堂、唐門、渡廊下を移築したときに、記念にお手植えされたものです。
片桐且元は豊臣秀頼の後見役です。
賎ヶ岳合戦で七本槍の一人として名をあげ、秀吉のもとで検地・作業奉行として活躍されました。
その移築時の時代背景としまして、秀吉公亡き後に家康公により豊臣色を薄める政策がとられ、その一連の流れのなかで、豊国廟の縮小を余儀なくされました秀頼公は、その遺構を残すべく片桐且元に移築の命を与えたのであります。そのご縁で当寺にお手植えの木が残されております。
10時45分です
あと15分
唐門(国宝)
『唐門』とは、唐破風をもつ門という意味です。
この『唐門』は、秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた『極楽門』を豊臣秀頼の命により片桐且元を普請奉行として移築されたものです。移築の際、土地の条件から観音堂に接して建てられています。桧皮葺、建物全体を総黒漆塗りとした上に金鍍金の飾金具が散りばめられ、虹梁中央の蟇股の周囲には鳳凰や松・兎・牡丹の彫刻を、二枚の大きな桟唐戸や壁には牡丹唐草の彫刻を極彩色塗りとして飾っています。豪華絢爛と言われた桃山様式の『唐門』の代表的遺構です。
文献としては、醍醐寺座主三宝院義演による日記『義演准后日記』に、大坂城の極楽橋が豊国神社に移築された旨の記述があり、また、豊国廟社僧の梵舜が『舜旧記』 にて、豊国極楽門を竹生島に寄進したとの記述を残しています。この二つの文献の記述により、大坂城の極楽橋が竹生島宝厳寺に移築されたことは間違いないでしょう。
さらに平成18年、オーストリアにあるエッゲンベルグ城にて『大坂城図屏風』が発見されました。その絵中には『極楽門』の前身であったと伝えられている大坂城の本丸北方に架けられていた『極楽橋』の姿が描かれており、その絵図から判断して、『唐門』こそが、秀吉が建てた幻の大坂城の唯一の遺構であろうと昨今注目を集めています。
観音堂(重要文化財)
千手千眼観世音菩薩を納めた観音堂があります。西国三十三所の第三十番の札所で、重要文化財に指定されております。 このお堂は傾城地に建てられた掛造りで、皆様がお参りされておられる仏間は2階にあたります。天井裏にも昔の絵天井の名残が見て取れると思います。
舟廊下(重要文化財)
千手千眼観世音菩薩を納めた観音堂から都久夫須麻神社に続く渡廊・舟廊下。 舟廊下は朝鮮出兵のおりに秀吉公のご座船として作られた日本丸の船櫓(ふなやぐら)を利用して作られたところから、その名がついています。 これも唐門、お御堂と同時期に桃山様式で作られたものです。
10時50分
あと10分でフェリーが出ていきます
都久夫須麻神社
今から450年前、豊臣秀吉が寄進しました伏見桃山城の勅使殿を移転したもので、
国宝となっています。 本殿内部は桃山時代を代表する、優雅できらびやかな装飾が施されています。
天井画は60枚で狩野永徳光信の作。 黒漆塗りの桂長押には金蒔絵(高台寺蒔絵)が施され 要所には精巧な金の金具がうたれています。
※現在、内陣の拝観は中止しています。
龍神拝所
拝殿にはびわ湖に面し、突き出した所に竜神拝所があります。
竹生島の中で一番の絶景となっています。
ここでは土器(かわらけ)に願い事を書き、湖面に突き出た宮崎鳥居へと投げるかわらけ投げをお楽しみ頂けます。 また、投げたかわらけが鳥居をくぐれば、願い事が成就するとも言われています。
こちらでピンバッジ(700円)を購入しました
かわらけ投げをしたかったけど
11時まであと5分を切ったので断念しました
おみくじと都久夫須麻神社の御朱印を購入して
フェリー乗り場までダッシュで駆け下りました
11時に3分前でしたセーフです
11時40分に彦根港まで帰ってきました
お疲れさま~
オーミマリンのアンケートでもらえるポストカード(2種類のうちの1枚)
帰り道の車の中から空を見上げていたら
雲が・・・
お見送りしてくれてるような
気のせい?
えっ
16年前の竹生島です
まさか前回から16年も経っていたなんて・・・