好きを語れる自分
最近の私は、週に一度、美術館巡りをしています。 美大受験を決意した娘に、くっついて出かけている私です。 「絵は下手くそだけど、美術館に行きたい。。。」 そんな、心の声に従って。 現在娘は、2つの学校に通っています。 通常の高等学校と、絵の学校の2つです。 とろころが、高校の学校の先生と絵の学校の先生。 あまりにも違いすぎます! 一言でいえば、絵の学校の先生の素晴らしの一言につきます。 高等学校の先生は、子供が夢を語る前に「こうあうべき」「こうしましょう」 と、校則ばかり押し付けてくる。 口では、いい先生ぶっているけど、行動が全然逆。 心の声と、行動が一致していません。 子供は、それを見破ります。 だから、高校の先生のいうことには、全く耳を貸しません。 一方、絵の学校の先生は 「自分の好きを、見つけなさい。」 「絵を描くことは、人生の生き方につながる。」 「もっと多くを見て、多くを感じなさい。」 「絵を描くことより、絵を描かない時間がもっと大事。」などなど。 親の私まで、教育し直されます(笑)。 絵の学校の先生は、娘の心に寄り添います。 そして、そんな先生を、娘は尊敬し耳を傾けます。 私は、娘がこの学校に巡り合って、本当に良かったと思います。 同じ先生なのに、なぜこうも言うことが違うのか。 立場や環境が違うから? 私は、この違いこそ、 今、日本に一番必要なことを語っていると思います。 それは、教師自身が「自分の好きを」知っているかどうか。 「自分の好き」を生きているかどうか。 教師が、心の声と行動を一致して生きているかどうか。 自分の好きを知っている人間は、子供にもそうであって欲しいと願います。 好きを生きる人生こそ、人生で一番のギフトだと知っているのです。 自分の好きを知らずに大人になった人間は、 子供の人生に条件をつけ、世の中の2極論を押し付けます。 「こうあるべき」 「こうするべき」 「こっちが正しい、こっちは間違っている」 「人として、こうあるべき」などなど。 今までの、日本はそれでも良かったかもしれません。 生まれてから死ぬまで、本当の自由を奪われ続けてきた日本。 でも、これからは違います。 自立して、自分の足で立っていかなくてはならない時代。 それでいて、自由で好きなように生きれる時代が幕を開けたのです。 今、幼児教室で働いている私ですが、小学校受験も担当しています。 ここでの、私の願いは「子供が自分の好き」を見つける手伝いをしたい。 私は子供達にいつも聞きます。 「〇〇君は、何色が好き? なんの動物が好き? 食べ物はなにが好き?」 たくさん質問します。 そして必ずセットで聞くことは 「どうして?」 この自分の頭で考える癖が大事だと思います。 正解などないのです。 大切なのは、自分がそれを選んでいるという体感。 人は選んでいる実感で、生きている体感をします。 最近は、子供に「なぜ、マスクをしているの?」聞きます。 ほとんどの子が、「したくない」と言います。 私の教室の子供達はほぼ全員、マスクを取って授業をします。 思考を止めて生きている現在の日本。 この日本を作っていく若い世代に、 自分の人生は自分で選択できる! 自分の好きを生きていい! このことを伝えていける大人でありたい。 そのためにも、私達大人が、自分の好きを知り、 それを生きている大人として存在したいものですね。