ボーン・コレクター
ここ数日、第二次世界大戦前のヒットラーが支配するドイツを舞台にした
ジェフリー・ディーヴァーの“獣たちの庭園”を通勤の友にしているが、
ジェフリー・ディーヴァーといえば、「ボーン・コレクター」を
忘れることが出来ない。
1998年に出版されたこの作品、
捜査中の事故で、首の上と左手人差し指しか動かすことができない
科学捜査官リンカーン・ライムと、彼が見込んだニューヨーク市警察の
アメリア・ドヒナー巡査が紆余曲折の結果、一体となって
凶悪な時間を解決する物語。
映画「ミリオンダラー・ベイビー」では、
試合中の事故で全身不随となり、ボクシング人生を断たれた、
肉体=心のヒラリー・スワンク演じるマギーは、
本人の希望通りの最後を迎えたが、
人の介助なしには生きられなく、安楽死を願うリンカーン・ライムは、
その卓越した“頭脳”を生かし、
殺人鬼逮捕という自分に与えられた使命を、
若い野生児ではあるがタフなアメリアの肉体を通して
達成させた。
当初、リンカーン・ライムと距離をとっていた
若く自由に生きるアメリア。
その心を動かしたのは、頑固ではあるが、
幾多の難事件を解決してきた自分の捜査ノウハウを
徹底して教え込むリンカーン・ライムの情熱。
ジェフリー・ディーバーが48歳の時に上梓された
「ボーン・コレクター」は、ミステリー作家の宝庫
米国でも、職人技のストーリー展開を特徴とする
ジェフリー・ディーバーの代表作。
1998年のペーパーバック
来週からクールビズの6月
デブラ・ウィンガーを探して
2002年制作のこの映画、
以前から題名が気になっていたが、
期待していた以上に面白い作品だった。
“相手の事を考えて演技、行動する”
自分の行動・言葉の前提として相手の心・行動を考える。
心静かで穏やかな時は簡単な事の様ではあるが、
忙しさに翻弄される日々の中では、経験、訓練、自信、余裕を
持ち続けられる“人格”が達成できること。
本作で特筆すべきは、
今なお女優として存在感を示していたデブラ・ウィンガーは勿論、
生まれた時から職業としての女優が運命づけられ、
数々の修羅場をくぐり抜けてきたジェーン・フォンダが話す言葉の
躍動感。
2003年のフランソワ・オゾン監督のフランス映画スイミング・プールで
リュディヴィーヌ・サニエと共演し、健在ぶりを見せてくれた
シャーロット・ランプリングの存在感も見事であった。
34人の女優とのインタビューを通して、女優の心を探す本作。
女優としての生き様が、演技では無く(女優なので、自身を
演じている部分はあると思うが)台本無しの本人の表情、言葉
として観客に伝わる本作のストリーは観客自身の手に委ねられている。
シティ・オブ・ゴッド
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ
第35代大統領が推し進める「飢餓ゼロ計画」の
「ボルサ・ファミリア」により、
富裕層がプール付きの豪邸に住む丘の麓で
貧困の極みにあったリオデジャネイロのファベーラ(貧民街)は
秩序が復活し、家族の生活に活気が出てきたとの
ドキュメントを見たのは今年。
この「ボルサ・ファミリア」は家族手当として
月収が約\2,400~4,800以下(子供の年齢に異なる)
の家庭に\2,400/月、さらに子供一人あたり約\720/月を
支給する制度であり、十分ではないにしても、
ファベーラでふつうの“家族”生活がおくれる
時代となってきている。
2002年に製作されたブラジル映画「シティ・オブ・ゴッド」は
アフリカから奴隷として連れてこられ、政府にも見捨てられた人々が
自分たちで作り上げた街ファベーラで生きる、
愛情を知らない若者達の物語だった。
治安を守るべき警察組織からも保護を得る事が出来ず、
子供達によるドラッグの売買、殺人が日常茶飯時の
「神」にも見放された、あるいは「神」が試練を与えている街
ファベーラ。
マニラを流れるパシッグ川の河口近くにも
東洋一といわれるスラム街トッドがある。
潮の匂いが漂うこの地域ではバラックが軒を並べ、
屋外で戯れる沢山の子供がいるが、
「シティ・オブ・ゴッド」と違うのは、
フィリピン人が天性として持っている明るさが
“家族”に残っていること。
この映画では家族と食卓を囲む場面は一切無かったが、
貧困が原因で家庭が崩壊し、家族の愛、学校での集団生活を
知らない子供が未だに多くいるこの世界、
全ての国民が家族と一緒に食卓を囲み、
無事に過ごせた今日を語る事ができる環境を
整備する指導者を国民が選ぶ事のできる
世界が真に豊かな世界か。



