神々と男たち
コーランを生活の規範とするアルジェリア。
アルジェリアの僻地に建てられた修道院では、
旧宗主国であるフランス政府からキリスト教布教を目的に
派遣されたフランス人修道士達が地域の人の生活に密着し、
深い信頼関係を築いて信徒としての生活を送っていた。
時代は1996年、過激化する武装イスラム集団と政府軍の対立は
この修道院そして地域の人々に大きな影を投げかけてくる。
「わたしは言う、「あなたがたは神だ、あなたがたは皆
いと高き者の子だ。
しかし、あなたがたは人のように死に、
もろもろの君のひとりのように倒れるであろう」」
詩編82からの上記の言葉から始まる「神々と男たちは」、
神に仕えるフランス人修道士達が
生か死の選択に迫られた時の修道士として
そして人間としての心の葛藤を描いている。
戦禍で怪我を負った子供と靴が破れたままの母、ストレスで体調を崩した
人達が連日訪れる、草木も生えない不毛の大地に建てられた修道院。
政府からも地元警察からも帰国を勧められる修道士達
修道士のつぶやき「私たちは枝にとまった鳥にすぎない」に対し、
地元の人は「鳥は私たちで、あなた方が枝。 枝がなくなれば、
私たちは
どうすればいいの」と訴える。
時は丁度クリスマス、クリスマスを祝い、それまで空だった場所に
幼子イエス・キリストの人形が置かれ、覚悟を決めた修道士達は
キリストの血であるとっておきの赤ワインをあけてお祝いをする。
この晩餐の場面、背後にはラジカセからの「白鳥の湖」が流され、
アップで強調された深い感情が込められた修道士達の表情が
次々と写し出される映像に深い感動を覚えた。
「野の花は光を追って動くことはない、
神は花の在る場所で受粉して下さる。」
作品紹介で流された、自身がキリスト教徒である曾野綾子の次の言葉が
この作品での修道士の心の一端を表現していると言えよう。
「命の危険を知りつつ、
使命につくことほど
生の実感に満たされるものもない」
けあらし アクティング・ラボ無限
昨日の朝は雨だった東京地方。
殆ど無風状態の今朝、多摩川川面が白い水蒸気で
被われる「蒸気霧」いわゆる“けあらし”が見られた。
東南方向からの朝日が川面を照らすと徐々に消え、
何事もなかったかのようにいつもの多摩川の姿に戻っていくけあらしは
風のない穏やかな冬の日の出前後の僅かな時間に見られる
冬の大自然のスペクタクル。
昨晩、俳優としての研鑽を積んでいる井上善晴君の舞台を観に
世田谷区野沢のアトリエ無限で行われていた
アクティングラボ・無限のシェイクスピアシリーズ第7弾
「フェイク から騒ぎ」に行ってきた。
フェイクとうたわれているようにシェイクスピアの原作を劇団を率いる
新藤栄作が自由に脚色、演出した本作、
前回同様、若手俳優が自由に今の自分の持てる力を発揮した、
言葉の遊びが随所に盛り込まれた楽しめるコメディーとして
仕上げられていた。
「から騒ぎ」はその根底に人間の嫉妬と野望が渦巻く、
喜劇であり、主人公の異母弟である邪心に満ちたドン・ジョンの
家来ボラチオとして念願の悪役に懸命に挑んでいた井上君。
井上君をはじめ顔なじみのキャストの皆様が次はどのような役を
演じてくれるのか、次回も楽しみである。









