この「好き」の対象は「人」ではなく「物事」だ。この年代になって恋愛とかその手のことにお盛んになるのがダメという訳ではないが、比率的には後者の方に該当する環境の人の方が断然多いだろう。
この言葉が、いまの私の心に刺さりこんできたのは、いま考えると不思議なことではないような気がする。これは某アニメの中での言葉なのだが、この言葉を聞いた時に心が揺さぶられる感覚を覚えた。別に見たくて見ていたアニメではない。ただの “惰性” で流していたアニメで思いもよらない影響を受けてしまったことは、ある意味で偶発的な出会いがしら事故みたいなものだと思うが、この話しにおいては、ポジティブな事故だと思っている。
自転車ロードレースに夢中になっていた5年程前から、物理的にやりたいことができない状況に陥ったコロナ禍を経て、精神的にやりたいことをしたいと思えなくなったプライべートとビジネス両方の急激な環境変化に至るこの数年で、夢中になること・好きなことがなくなってしまっていた。対象がなくなるだけではなく、その思考までもがほぼゼロ近くまで落ち込んでいた。正直言うと、その変化には気づいていたが、それを元に戻す気力すらどこかに置き忘れたままになっていて、どうにかしたくてもどうにもできず、モヤモヤした時間だけが過ぎていた。
ここ1年で精神面に関してはありがたいことに回復傾向にある。そこに上乗せする形で、数年続いたそんな鬱屈した日々から脱却するチャンスを貰った気がする。この期間中にも、何とかしなければ…と思ったことは何度かあったが、結局は “思っただけ” で終わった。今回は、その時の感じとは違う、何かもっとパワーがある感じがするのだ。
アニメからそういうモノを与えて貰えるとは思ってもみなかったので、些か困惑気味であるというのが本音だ。だがこの際、そんなことは言ってられない。この機を逃すことなく、このチャンスを有効に生かす事だけに集中していこうと決めた。その為には、行動あるのみだ。やっと “本心” から行動しようと思えるところまでたどり着いたのだから、これを生かさない手はない。
こう思わせてくれたのも、一昨日の “偶然” があったからこそだ。つまるところ、世の中どこに何が潜んでいるか分からないということだ、良いことでも悪いことでも。そんな “良い偶然” を拾っていけるかどうかは自分次第。そんな意識を今後も持っていけるように、意識して過ごしていきたい。