不思議な話 | 親と子の訓読家庭教会

親と子の訓読家庭教会

後天時代に於ける子女教育を考える

今回、シアトルの聖和式の準備を実質二日半ですると言う、私にしてみれば非常事態が起こりました。12日の午後に顕進様を空港にお迎えに行った時点で、準備出来ていたのは前日に決まった式の会場だけでした。早速空港で、顕進様に簡単に会場の状況報告をして、それで良しと言う答えをもらってホットすると、今度は顕進様が、清平で起こった事を直接話して下さいました。


それは10分余りの話でしたが、私はその時始めて、シアトルで御父様の聖和式をする事の摂理的重要性を少し悟った様な気がしました。それと同時に、顕進様の御父様に対する深い愛情をひしひしと感じて胸が痛くなり、何とかこの聖和式を成功させたいという強い決意が沸いて来ました。


その後直ぐに花屋に直行して、具体的な準備を始めるというドタバタでしたが、色々な人に助けてもらいながら、最後は自分の家内や子供達をも総動員しながら、無事に式を行う事が出来ました。しかしながらその準備をしている最中の三日間は、通訳機の件、花輪のリボンの件、そして横断幕の件と「もう、どうしようもない」と思った場面が、最低三回はありました。


それでも15日の朝、式が始まる30分程前にやっと全ての準備が何とか終わって、会場の後ろから式場内を見回して、私は唖然としました。何故ならば、御写真の大きさも、横断幕の長さも、献花のお花の量も何も分からないまま準備し、更にホテルにある物だけで一時的に集めて作ったバックカーテンとステージと祭壇であるにもかかわらず、全ての物がこれ以上ないというバランスで釣り合い良く並べられ、荘厳に輝いているのです。


私がその時強く感じたのは、我々が内的な責任分担を勝利すれば、既に神は外的な用意して待っているという事でした。そしてその時の内的勝利はチームワークの勝利だったと思います。韓国から来た人、日本から来た人、ニューヨークから来た人と、ほんの数人のグループでしたが、皆心を一つとして自主的に働いている顕進様のスタッフをこの時ほど誇りに思えた事はありませんでした。


聖和式が終わり、次の日の顕進様の訓読会も無事終わり、かたずけをして、子供達と反省会をして夜寝床についた時は、四日間の睡眠不足のせいでかなり疲れていました。しかしながら、次の日の早朝、決意して近くの海岸に行き一人で訓読をしました。私は深く反省したり、新しく再出発する時には、時々早朝に海を見ながら訓読したり祈祷したりします。海から挙がってくる朝日をみながら、新しい一日を出発するのは最高です。


今回は釣り竿を持って行って、糸を垂れながら、お父様を慕って訓読祈祷をしていました。何故ならば、ニューヨークにいるときに二、三回御父様の一行と一緒に(船は違いますが)ストライプシーバスを釣りに行くチャンスがあったのにの、何故かいけなかったのです。私は「御父様と一緒にバス釣りにいきたかったな~」等という様な、たわいもない人間的な事も考えながら訓読祈祷をしていました。


6時になって訓読祈祷を予定どうり終えた後、そろそろ家内と子供達を起こして訓読会をさせないといけないと思い、家に電話をすると、家でも皆チャンと起きて始めるところでした。そして家内と話をしている最中に、突然ずっと立ててあった二本のつり竿にほぼ同時に何かが掛かりました。


この時期のシアトルはシルバーサーモンが良く釣れます。しかし挙げてみてビックリ、それは大小(45cm、30cm)のとても綺麗なブラックシーバスではないですか。シーバスはニューヨーク近海では良く釣れますが、シアトルで釣れるとは知りませんでした。回りに直ぐ5~6人の釣り人が集まってきて「この港でシーバスを釣った人は見た事がないな~」とか「なんて綺麗な魚なんでしょう」とか言っていました。


その時私は、自分がお父様と一緒にバス釣りをしたと感じました。さらに大小のバスはお父様と顕進様が今回の聖和式を通じて完全に一つとなって泳いでいかれる事の証拠の様にも見えました。そして大事な事は、この出来事が起きたのは、私と私の家族が訓読をしている間に起ったという事です。


これを通して感じた事は、訓読家庭教会を続けていく事は、単に神様と御父様と顕進様の願いであるだけでなく、私達祝福中心家庭が、これからの新しい天の運勢を具体的に相続しいくことが出来る重要な道ではないかという事です。