維新もいろいろ | 気力・体力・原子力 そして 政治経済

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 (旧有閑爺いのブログ)

 私のような年代の者にとって、島倉千代子さんという方は大変になじみ深い人です。彼女がもう晩年と言ってもよいころに歌った歌に「人生いろいろ」という歌があります。

 因みに彼女の最も知られた歌はデビュー曲の「この世の花」です。「赤く咲く花、青い花」という出だしだけで私は当時の日本のことが思い浮かびます。「この世の花」から「人生いろいろ」に変じて来たのが昭和という時代であったと言えます。

 

 

 

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 で本日の主題は「人生いろいろ」ではなく「維新もいろいろ」です。

 

 維新ということで、「ある種の成功」を収めたのが「明治維新」です。なぜ「ある種の成功」なのかというと「明治維新」の中に日本の自爆装置が組み込まれ、それが作動したという意味で、「限定的な成功」と言わざるを得ないからです。

 

 明治維新は起こるかも知れなかった外国の侵略を阻止するという意味では成功を収めました。この成功結果は未来永劫持ち続けようと思えばできたかもしれないことなのです。しかし現実は非情でありまして、成功結果を保持することが出来ず70数年前に日本は米国の征服を受けてしまったのです。避けようと思えば避けられたにもかかわらずです。

 

 つまり米国による日本の征服は、明治維新が仕掛けた自爆装置が作動したため生じたことである、と考えるべきなのです。言い換えると『国民が「外国の侵略を阻止する」という民族として最も大切であるはずのことを、「ないがしろ」にする』ということが明治維新が仕掛けた自爆装置なのです。

 

 明治維新はいわば「グレートリセット論」を具現化したものですので、アンシャンレジームを否定する必要があり、そのことは徹底的に行われたのです。その結果、徳川時代のことは味噌も糞も一緒に全て捨て去られたわけです。

 但し、グレートリセットが、成功するには大きな条件があります。

 それはグレートリセットの実行者が同時に完璧な創造者であらねばならない事です。グレートリセットはまずすべての破壊から始まります。破壊すれば、その上に新しいものを創造しなくてはなりません。

 つまり、グレートリセットに真に必要なことは、新たな創造なのです。

 

 『維新ということで、「ある種の成功」を収めたのが「明治維新」です。』と述べましたが、「ある種の成功」と言えるのは、明治という時代が実に多くのものを創造したからです。

 もっとも根幹を言うと、言葉です。「老中」「奉行」「与力」などは全く使われなくなりましたし、「政府」「病院」「社会」などと言う、いわば英単語と1対1の対応を持つ言葉が使われるようになりました。

 でも、すべての創造に成功したわけではないと私は思っています。いくつかの傷(瑕疵)が目に見えない形で包含されていたのです。

 

 もうお分かりになったと思いますが、すべてを断絶した上で新しいことを積み上げるわけですから、その時は見えなかった小さな瑕疵が「新しく積み上げたこと」全てを覆すことにつながる恐れがあるのです。

 現に、明治維新後100年もたたないうちに米国に征服されるということが起きました。

 「明治維新」が「ある種の成功」と言わざるを得ないのが、この「米国の征服」です。つまりそれが創造における小さな瑕疵の結果であり、その小さな瑕疵が明治維新の自爆装置だったのです。

 

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 明治維新の小さな瑕疵つまり自爆装置が「昭和維新」という形で現れたと私は思っています。

 この「昭和維新」ということを歌った歌が「昭和維新の歌」です。この歌は本来「青年日本の歌」という題なのですが、右翼が街宣車で「昭和維新の歌」として大音響で流していますので、以外に耳慣れしている歌だと思います。

 

 

 この歌の歌詞は最近の人にはなじみのない言葉が数多くあり解説しないと理解できないと思います。

 しかし、一昨年の末に下図に示す記事で、この歌の意味を当時の社会情勢と比べながら解説しておりますので、読み返していただきたいと思います。

 「昭和維新の歌」も実のところ、主張していることは「グレートリセット」です。今あるレジームを否定して新たなる建設を主張しています。しかし「昭和維新」には重大な欠陥があって「新たなる建設」の具体像が無いのです。「明治維新」には「外国の侵略を阻止する」という大きな目標があり、その具体像として「殖産興業富国強兵」があったのです。

 

 この具体像のないまま、「東亜新秩序の建設」という曖昧な旗印で、グレートリセットを行ったのが「大東亜戦争」だと私は思っています。

 建設計画(創造の具体像)は皆無のまま破壊に着手してしまったのです。「昭和維新」の創造の第一歩はワシントンで米国大統領に降伏の署名をさせることのはずです。

 がしかし、東条英機というバカ大将はその計画すら起案していませんでした。「昭和維新」の無残さはこのことに尽きると思います。

 

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 それにも懲りず、平成の御世になって「維新」を唱えるバカ集団が表れました。

 色々と曲折があり、現在は「日本維新の会」となっていますが、維新の根底は「グレートリセット」つまり「アンシャンレジームの破壊」ですので、創造能力がない以上、彼らにたとえわずかであっても権力を与えてはなりません。

 第一、「日本維新の会」が「維新」の真の意味を理解しているとは到底思えないし、日本を破壊することすら上手にできるか怪しいと思います。

 日本を破壊する作業は、現在のところ自民党の最も得意とするところで、安倍晋三の「岩盤ドリル」が随所で猛威を振るっています。

 「日本維新の会」は、破壊作業は自民党に下請けに出し、己らは創造作業に専念するとでもいうのでしょうか? こんなことは「ブラックジョーク」以外の何物でもないことは説明の要すらないと思います。

 

 一方、令和になってから「れいわ新撰組」という政党が議席を取るに至りました。「新選組」という組織は、アンシャンレジーム(旧体制=幕藩体制)を守るための組織です。

 だとすると、本来守るべき体制が明らかである必要があるのです。維新は全て壊すことが前提であり、自民党は破壊の実作業を確実に推進しているのですから、守ること(保守)さえ明らかにすれば、自民・公明・維新に対する明確な対立軸になります。

 

 つまり問題となるのは「れいわ新選組」を推す人たちは、自身が守るべきものを明らかにしているのかです。

 例えばアンシャンレジームを「高度成長期の体制」とするなら、「消費税無税」「財政投融資復活」等即刻採用可能な政策や、外資や外国人労働者の封じ込みを視野に入れた政策も打ち出すことが出来ます。

 守るべきものが明らかになれば、政策はおのずと定まります。そうした流れになるなら山本太郎にも期待が持てるのですが。