美術の社会性⑤〜美術は贅沢品ではなくて、人の感性を照らすもの | HSP2.0・育成者、支援者、サポート者のための〜非認知能力アップ実現のためのポリヴェーガル理論理解

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敏感、繊細、感受性の高いHSP(highly sensitive person)が、生まれ持った感性と強みを仕事に活かして生きていくことをサポート。
日本で最初にHSPとポリヴェーガル理論を結びつけ、生きづらさは自律神経系のケアで解消できることを説いている。

皆川公美子です。


「美術の社会性⑤」~美術は贅沢品ではなく、人の感性を照らすもの  



美術の社会性①~その原初には感じるというモードがある。

美術の社会性②~美術を語るという文化についての考察

美術の社会性③~美術は商業的に成功すべきか。「お金」というものに対するブロック文化

美術の社会性④~作家になにを求めるか。おにぎりとエネルギー


↑ 今までのシリーズ連載はこちらです。

 

太古の昔から、人は神に祈りを捧げてきました。

自分の力の及ばない何かに向けて、壁画を描くことや、踊りを奉納することで、祈りにかえてきました。

そこにはいつも、アートがありました。

 

人の精神の動き、それを形に残すという行為。

それはきっとある特別な作家のものではなくて、誰もがやっているエネルギーの循環であっただろうと思われます。

 

現代においては、制作工程が複雑化していたり、専門的な知識が必要であったりする場面も多く、

基本的には美術を制作する人と鑑賞する側に分かれているような現状があります。

その図式は美術を売る人と買う人という図式も作りました。

絵画によっては60億円などという(マーク・ロスコ)、とても桁の想像がつかない額でオークションの落札が行われる作品もあり、それでなくても美術の作品を気楽に買うという習慣のない日本では、それは贅沢品である、という常識があります。

その常識の背景には「衣食住が足りてはじめて、手を出せる、基本的に生活には必要のないもの」という概念があるのだと思います。

 

 

 

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確かに、人が飢えていて、目の前におにぎりと絵画があったら、多分おにぎりに手を伸ばすのが、人間というものでしょう。

精神活動云々の前に、まずは心臓が止まらないということが大事だろう

まさに!
肉体あってこその、精神活動だと思えますし、
肉体がないと、五感という言葉も意味を持ちません。

けれど、そういう生きるか死ぬか究極の二択でなく、
生きていける状態がある、精神状態での話だとしたら・・・

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人間には、生きていくために感性というものが必要です。

人生の選択に迷った時、なんとなくこっちを選んだほうがいいと思う、というインスピレーション。

この儲け話はなにか「匂うな・・」という危機回避の直感、

目の前の人がそう言わなくても、今日は体調が悪いんだろうなとか、笑顔でいても「帰りたいんだろうな」という察知能力・・・

時には論理的な思考よりも精度が高いことがあるのは、誰しも人生を生きるなかで経験済みでしょう。感じ取るものごとは、ときに、センサーの役割をし、人を導きます。

それは原始の時代においては

「こっちの洞穴に入ったらやばそうな気がする

そういうことにも使われていた感覚だということは
想像に難くありません。

それは人が「美しい」と思う。
「おもしろい」と感じる、
そのこととベクトルが違うだけで根本的には同じことではないかと
私は思っています。

 

人生や仕事の重大な局面では直感で選択する、と発言している世界のトップ経営者が多いのもうなづけます。

アート・美術は、そういう人間の感じる力を、体現しているものです。

芸術品を購入しなくても心臓は止まらないかもしれないのですが、

もの感じるセンサーである感性を失ったら、人は危機管理の能力を失い、

道を選ぶ能力を失って、生命維持に困難をきたすのではないだろうかと、

私は感じています。


では、ロボットは同じことができるのでしょうか?
ロボットがする情報処理は感性ではないと言い切れるのでしょうか。


という話を先日している人がいました。

脳科学の分析が進んで、
情報処理は、今まで生きてきたなかで起こったことをインプットして
起こりうる危険をリスクを予測し、
ということをロボットやらせることができるようになってきた。

インスピレーション、とか直観というような
いわゆる情報処理の分野でないこと、
それについて、できない、と断言することができるほど
私にはそちらの専門知識がありませんが、

少なくとも、
無駄を愛し、
心地よさと幸せを感じることのできること、

そこまでロボットの性能は守備範囲を広げるべきかもしれません。


感受性という人間の力を

私は過小評価しないで生きていきたい