基礎代謝の高い、ふとらない健康な体になろう

 

わたしはずっとふとることに対して恐怖を感じで生きてきました。

小学校のころからぽっちゃりの体型だったこともあって、

いつも「痩せたいな」と思って生きてきました。

 

三月生まれのこともあり、みんなについてゆくのがやっとで、自己肯定感もとても低く、自分自身が好きではありませんでした。

 

中学生のころより、ダイエットをしては痩せ、我慢できずに食べてしまい、すぐリバウンドしては、又、ふとる、を何度も繰り返していました。

 

保健師として銀行に就職した2年目の私の制服のサイズは13号、体重は70キロでした。

ちなみに身長は157センチです。

 

「保健師なのに太っているなんて、何とかしてやせたい。」

 

たまたま、ストレスで食べられなり体重が少し減ったのをいいことに、もっと食べる量を減らし、異常に運動して体をいじめました。

 

すると体重はするすると減りました。初めはそれがうれしくて、今までの自分ではないような気がしました。そんな喜びは一瞬のもので、恐ろしい食欲が襲い、気がつくと食べ物のことしか考えられない、そしていつもいらいら・とげとげしている状態になっていました。

 

食べてしまって悲しくて吐いたことも何度もありました。

 

主食(穀物)は食べずに低カロリーな豆腐や野菜・海藻を中心に食べ、それでも増えてゆく体重に涙したものでした。

 

体は夏でも寒いくらいの冷え性で、生理もなくなり、便秘に不眠症。

不具合な体に鞭打って運動する毎日。

 

それなのに体重は減らないどころか維持することさえ難しい。

心が晴れるのは体重が維持できたときだけ、増えた日は一日うつで自分がいやで、太る不安に付きまとわれ、いらいらする心。

 

不安を解消するために走る。

わたしはそんな自分がますます嫌いになりました。

どうしてこんなわたしになってしまったのか?

 

私に転機が訪れる長女の出産後のうつでした。

たまたま、過食が重なり生理が戻ったときに長女を妊娠しました。

 

母になる喜びで一杯でした。しかしいざ育児をしてみると、まったく自分の思い描いていたものと違い、苦しみの連続でした。

 

育児のストレスで過食しては吐くを何度も繰り返してゆくうちに、私は育児ノイローゼで寝たきりになっていました。

主人に連れられて、心療内科に行きました。

そこで医師から治るためには、『仕事に戻ること』だと告げられました。

はじめ、私は保健師に戻るつもりで、アルバイトで時々保健師として仕事に行くようになりました。しかし『何かが違う』わたしのしたいことと何かが違うと感じていました。本当にしたいこと。それは「パン教室を開くこと」に目標を見出し活動を始めることが、暗いトンネルから抜け出す糸口になってゆきました。

 

元気に働くためにも、食べなくてはと、栄養学の知識でカロリー計算をしながら、穀物と油ものは控えめに食べていました。

 

しかし過食に振り回され、心も体もボロボロでした。

 

いつも私の隣でごはんを食べている主人は、たっぷり穀物を食べて、とてもスリムです。

私の母も毎食2膳ごはんを食べています。しかし体重は43キロ(身長153cmくらい)です。

栄養学・カロリーではない、なにか別の法則があるのだと思うようになりました。

おそるおそる、わたしもごはんを食べるようになり、意外と体重が増えないことに驚きを感じました。

こうして、少しずつ食べる量を増やしてゆくうちに、過食は減り、心も安定してゆきました。

たどり着いた食べ方は、もともと日本人の食べてきた割合に近いものでした。

 

 

食べ方の考え方

https://ameblo.jp/kumiko3230/entry-12392943837.html?frm=theme

 

献立例

https://ameblo.jp/kumiko3230/entry-12392536221.html

 

 

 

今でも私はふとることは決して好きでは有りません。

健康で元気な体と優しい心はほしい。

でもあまりふとりたくないなあと思っています。

でも今は、この食べ方さえしていれば大丈夫だという心から信頼できる食事があります。

その安心感は本当に大きいものです。

たとえ外食が重なったり海外旅行に行って現地のものを食べても、又普段の食事に戻せば元の体重に戻れる。だったら大丈夫と安心できます。

大きな心の平安を私は手に入れています。

 

健康情報が氾濫する現代ですが、祖先が食べ続けてきて、太っている人のいなかった日本人の食事。それが昔ながらの和食であり、世界遺産の和食。

それを食べ続けることで、みなさんも太らない体を手に入れることが出来ることと思います。