前回の投稿から、だいぶ空いてしまいました。
昨年6月に、私の一番の親友でもあった母が他界して、それまでの日々も、それ以降の日々も感情含めて忙しくて書けませんでした。
でも、そろそろまた書いてみようと思います。
今回は長文になってしまいそうなので、ゆっくり分けて書いていきたいと思います。
母は私を生む前はお店で歌をうたったり、ハワイアンダンスを踊ったりの仕事をしていたそうです。
自然が大好きだった母は、その間で当時飼っていたワンちゃん海や山へ出かけ、釣りをしたり、キャンプをしたりしていたそうです。
そんな中、おそらくお店でギターリストそしてボーカリスト?として出会った父と恋に落ちたそうです。
ですが、母は未婚のまま、私を生みました。
とっても悪い言い方をしてしまえば、父は結婚していたので不倫の関係になり、その間で出来たのが私だったのです。
母は子供は望んでいなかったそうで、当初生む気がなかったそうです。
父にそれを伝えたら、猛反対してきたらしく(どの口が言っているのかw)、話し合いの末、生むことになったそうです。
母いわく、生んでからは世界が変わり、子供の成長が楽しくて、生きがいになり人生が変わったと言っていました。
それは私も子供ながら感じていて、留守番が多くて寂しくて不安な時間が多かったけど、いつだって母は抱きしめてくれたし、私の話を聞いて遊んでくれたし、休みの日はいろいろなところに連れて行ってくれて、一緒に沢山遊んでくれたから、私はいつも満たされていました。
ちょっと話は戻って、家に男の人、つまりお父さんがいたという記憶は、とっても薄い状態で残っています。
ある日、私がたぶん2歳か3歳くらいの時に、お父さんは事故で亡くなったと聞かされました。
私が小学生に上がってから、父の親友だったと名乗る、音楽好きでお酒好きな陽気なおじさん(山崎さん)が現れ、一緒にご飯を食べたり、車に乗せてドライブに連れていってもらったり、家に来たりする時間が始まりました。
私は母と二人で過ごす時間が多かった分、重度の人見知りで、特に大人は苦手でした。
ピアノの先生や塾の先生の前でも、声を自分から発するのが出来ないくらい(先生は私の扱いめっちゃ大変だったと思う)。
あの感覚は今でも不思議なのだけど、声が出なくなるのです。
ピアノの先生が覚えやすいように、課題曲に歌詞を付けて歌いながら練習させようとするのですが、びっくりするくらい声にならないのです(笑)。だから頑なに歌わなかったし、コミュニケーションも取らなかった子供でした。
私と関わる大人たちからしたら、可愛くなかったんだろうな(笑)。
でも、陽気な父の親友と名乗るおじさんの山崎さんと一緒に居るときは心地よくて、「このおじさんがお父さんだったらいいのにな。」とか「あれ?なんかお母さんと仲良しだな。昔、付き合っていたのかな。」なんて思うことも、子供ながら思ったことがありました。
そして、ある日、3人でお風呂に入る時がありました。
今、考えると、そしてきっと一般的に聞くと「いや、おかしいだろ。なんでやねん。」なのですが、この3人の人間関係からすると違和感がないことだったのです。
そして、お風呂から上がったときに母が、山崎さんの体をふきながら、ちびまる子ちゃんの“おどるポンポコリン”の替え歌で「おどるち〇ぽこりん♪」と言いながら体をふいていて、山崎さんもまんざらでもない嬉しそうな顔をしていて、それが、昨日のことのように脳裏に焼き付いています(笑)。
私は、さきほど記載した通り、人との関りが苦手で(大人も同級生も)、メンタルも体もとても弱くて保育園~高校生まで休みがちで、母には相当心配をかけました。そんな中、唯一好きで頑張ろうと思えたことがピアノ、ダンス、歌でした。
ダンスに関しては、一人で電車に乗って慣れない場所に行くなんてありえないことだったけど、それをしてでもやりたいと母を説得して通わせてもらいました。
つづく。




















