悲しみの中で。 | 公美子の音楽紀行

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コンサート活動の様子や、日常をポツポツと。

雨ばかりの日々で、スーパーに行くのも億劫な毎日です。


そろそろ、冷蔵庫の中が寂しくなってきたので、飢え死にしない為にも明日は買い出しに行かないと・・・・・・。


日曜日にスーパーが閉まる習慣。



日曜日はそれはそれは、静かなハノーヴァ。


3年住んでも、日曜日にドイツ人が何をして過ごしているのか、未だに不明です・・・・・・?


散歩はもう寒すぎだし・・・・・・日曜大工かな・・・・・・・・。家のメンテナンスかな・・・・・。



くみちびのハノーヴァ通信。

昨日の朝、友人から一本の電話があり


「知人の方が亡くなったので、明日のお葬式で一緒に演奏して欲しい」との事。




今まで、友人達の結婚式、パーティー、教会、野外イベントなど、様々な機会に演奏させて頂いてきましたが、お葬式で演奏するのは初めて。(そもそもこちらでお葬式に参列するのも初めてですし)




悲しみの中で演奏する、という事に、最初は少し戸惑ってしまいましたが、故人の方が大好きだった曲を一音一音、心を込めて演奏させて頂きました。


演奏が終わった後、その方の奥様に


「主人が大好きだった曲を、最後に聴かせてあげられて良かった。ありがとう」


という言葉をかけて頂き、音楽は悲しみの中でも力になり得るんだ、とこちらも、胸が震える思いでした。



初めて、こちらのお葬式に参列してみて。



宗教の事は、詳しく語る事が難しいので断定的には言う事が出来ませんが、こちらの「死」は神様に召されるという意味で、「ただただ悲しい」とは少し違う。



その様な印象も受けました。





ただその中でも、その方のお孫さんも参列していて、その子は式が始まる前からずっと泣いてしまっていて、きっとその子にとって、初めて向き合う「死」という事だったのでしょうか。


その子の中で、必死におじいちゃんの「死」を受け止めようとしいている姿に、私の祖父が亡くなった時の事を思い出しました。




祖父が亡くなったのは一昨年なのですが、その時はドイツにいて、お葬式に出る事も出来なく、なかなか「祖父が亡くなった」という実感がもてなかったのですが、後日、お墓参りに行った時に、「おじいちゃんはもういないんだ」と心と、頭で理解しました。



「悲しい」というより、心に大きな穴があいた様な感じ・・・・・・。



きっとこれから先は、自分の大切な方を見送る瞬間、という事が増えてくるかもしれませんが、その日が来るまで、自分の大好きな人達と、毎日を大切に生きていきたいです。



くみちびのハノーヴァ通信。