命 は 誰のもの? | ぽこあぽこ。。のんびり歩こう♪

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子育ち・場づくり・ココロの話

我が子の不登校から気づいたコト  今ここにある幸せ


8月も あと少しで終わる。。

そういえば、もうすぐ 父の誕生日だ。


私の父は、とても心配性で 几帳面、
根は優しいけど  短気で、
人の気持ちばかり気にする、
…かなり 面倒臭い人ですニヤニヤ


昔は、そんな口うるさい父が イヤでイヤで、
反抗して、離れたくて、
とにかく家から出たくて。。


高校卒業後は、自宅から通えない大学へ進学しました。

それでも  卒業後は また家に戻り、
結局、結婚まで 家で 口うるさい両親と
暮らしていました。


うるさい… と思いながらも、父を 本気で 突き放すことができず、離れられずにいた理由は。。


両親の 痛みが わかっていたから。
こんなに 心配性に なってしまった理由を知っていたからです。








私には  一つ年上の 兄がいました。


田舎で 昔のしきたりを大切にする家系だったので、何かと「跡取りだから」と 言われ
兄は 両親から大切にされていました。




その兄が、亡くなったのは、小3の春。

下校途中、増水した川での 事故でした。



私は 今でも あの日のことを
昨日のことのように 思い出せます。

途中まで 一緒に帰っていた兄の姿も
時間の流れも
その後の 両親の姿も。。


9歳… 次男と同じ歳です。
今、次男が 同じことになったら…なんて
想像もしたくない。



毎日、一緒に過ごす両親の 
悲しみが わかりすぎて、つらくて。。

いっそ、兄じゃなく 自分が 死んだ方が 良かったんじゃないか…と 思った。

ずっと 考えていたその思いを 
兄の死から 数年後、
叔母の前で ぽろっとこぼしたら

すごい剣幕で 叱られました。

「我が子の 命に 差があるわけないでしょう!」

と。

フッ…と 気持ちが 軽くなった。
今なら、それが わかる。
我が子の命に 差があるはずがない。






年月が経てば
辛い出来事を  思い出として受け止め
笑いながら 話せるようになった人もいる。
その方が 故人も 喜ぶから…と。



でも
両親が 兄のことを そんな風に話す姿は
一度も 見たことがありません。


何十年経っても 
笑って話す…なんて できない。


両親も  私も 
まるで 記憶を封印したように
過ごしているけれど

家族を失った 悲しみは  ずっと 消えない。



私は 両親を
もう  絶対に 悲しませたくない。


死んでしまいたいほど 辛い時も  
両親の 顔が 浮かんだ。


悲しませるわけには いかない。



私の 「命」は    私だけのものではない。






「命」は   周りの人のもの  

だと思う。



「生き方」は  自分のもの。

どう生きようが 自分で 決めればいい。



でも 「命」は

生んでくれた 親は もちろん

周りにいる 大切な 人達のもの。



消えて 悲しむのは 
自分よりも、周りの人。





今、そばにいる人を 悲しませたくないから

この 「命」を 大切に したい。




みんな きっと
生きてるだけで
誰かの 支えになっている。




私が 大切にしたい 人達にも

この思いが 伝われば

きっと 「命」を 大切にしてくれるはず。




どれほど 大切な 存在か
しっかり 言葉で 態度で
伝えていきたい。




自分の 「命」を 大切に することは

周りの人を 大切にすることに   

繋がっていると思う。





















だからね。。



どんなに  ワガママでも  うるさくても…

暴力的でも     病弱でも…

不登校でも    なんでも…





生きてくれてるだけで   私の 支えなんだよ。