里山と熊鈴と私(植村直己冒険館へ) | 里山と熊鈴と私

里山と熊鈴と私

朝寝坊と山を愛するあなたへ。日帰り、午後のゆるゆる登山。

 冒険家、植村直己氏の著作は、ほとんど全て読破した。勢いあまって、奥さんが書いた本まで読んでしまった。

 

 チョモランマ、グランド・ジョラス北壁、デナリ、アコンカグア、北極圏1万2000キロ、グリーンランド単独行などなど。

 

 あの一見、派手に見える偉業の裏には、劣等感と謙虚なこころ、用心深さ、あらゆる生命への慈しみがあったことが、数々の著作から感じ取ることができる。

 

 「…自信のない劣った自分を埋め合わせしてくれるもの、それは山登りしかなかった。…そのようにして私は、世間の人が「冒険」と呼ぶ行為しかできない人間になった。私は登山や冒険旅行にすがって生きてきたのだ。」(『北極圏グリーンランド単独行』(文春文庫)p208)

 

 『北極圏1万2千キロ』(文春文庫→ヤマケイ文庫)の、かわいがっていた子犬が命を落とすエピソード。

 

  「極北のきびしい自然は、そのような私のわずかな甘えさえ許さなかった」(P264)

 

 このくだりには、ジーンと来たなあ。

 

 20代の頃、サンダクプー(3,636m)へのトレッキングのついでに、ダージリンのヒマラヤ登山学校を訪れたのだけど。

 

 壁に飾られた並み居る世界的な登山家の写真の中に、植村氏を見つけ、同じ日本人として、誇らしく感じたのを思い出す。

 

 兵庫県に、植村氏を顕彰した記念館があると知って以来、ずっと気になっていた。今日、ついに、ついに、行く。

 

 14:21、山陰本線JR江原駅着。予想通り、あまりにも素朴な駅。

 ここから、植村直己冒険館へは神鍋高原行バスに乗るみたいだけど、出発は30分後。

 もしかしたら、歩いて行った方が速いのでは、と、ふと思ったりもしたけれど、思いとどまる。とどまってよかった。結果的に、気楽に歩ける距離ではなかったのである。

 

 14:50、バスに乗り込む。このバスが面白くて、「次は○○前」ってアナウンスの音声が、おそらく地元の小学生が吹き込んだものを使用している。可愛らしくて良いのだが、若干たどたどしく、車内外の騒音も相まって、バス停の名前がなかなか聴き取れないのであった。

 

 20分弱で、冒険館前。運賃は200円だった。誰も、降りる人はいない。

 田んぼと、ほどよいこんもりした山の緑しか目に入らない、のどかな場所。

 植村氏も、少年時代、こうした里山を駆け巡ったりしてたのだろうか?

 本格的な登山は、大学進学以降に始めたそうだけど。

 

 いつしか、雲は晴れ、心地よい日差しを浴びつつ歩く。

 

 ちょっと坂を登れば入り口。

 建物の脇の、この並木道も美しい。

 建物はコンクリ打ち放しで、半地下になっている。

 細い通路を通って館内に向かう。この狭さは、クレバスをイメージしたものとのこと。

 中に入る。お客さんは、年配の3人連れのみ。

 

 と、いかにも爽やかなスポーツマンタイプのオトウサンが受付にいらして、最初に見てもらう映像が今、始まったばかりだという。

 

 次の上映時間まで、先に展示を見せてもらうことにする。

 パネル展示されている廊下を進み、展示室へ。

 わあ、「本物」である。

 極地や高山で使用した、植村氏の道具類が陳列されている。

 植村氏と親交があった、ラインホルト・メスナー氏から贈られたピッケルが飾ってあった。

 

 植村氏の直筆であろう、「オーロラⅡ」の表示。

 アザラシの皮で作った防寒着。

 青いヤッケやセーターは、著作に掲載された写真で見たことがあるような気がする。

 

 第一三共ヘルスケアの「ミネビタール」や、ミッキーマウス柄のマグカップなんかもあった。

 

 ニコンF2 ウエムラスペシャル。グリーンランド・北極点で使用したもの。レンズのリムがボコボコに歪んでいて、極地の厳しさが偲ばれる。

 「背負ってみましょう」ってコーナーがあって、実際、植村氏が登山時にしょった重量のリュックが用意されている。

 25kgとのこと。どーれどれ。

 

 よいしょ。

 

 わあ、腰にズーン、と来る。

 しょえなくはないが、これで山登りは、常人では不可能。

 

 解説員のオバサマによると、このリュックは上の方に重いものを入れちゃっているので、入れ方を工夫すればもっと軽く感じるようになる、とのこと。おそらくこの方もアルピニストなのだろう。語りに何とも言えない実感がこもっていたから。

 

 もっとも、25kgというのは、かなり後年、装備を見直したあとの重量だそうで、その昔、植村氏は50kgは背負っていたそうだ。それはそれは、びっくりである。

 

 係の人に呼ばれて、シアタールームに。

 真っ暗なシアタールームに小生一人。16分ほどで、植村氏の業績、人となりがうまくまとめられている。

 再び展示室へ。犬ぞり体験できる部屋がある。犬ぞりは、思ったより幅が狭く、すぐコロン!って横にコケそうな気がするのだが。

 テントの中にも入ってみる。ジャストサイズでじつに快適である。思ったより「敷布団」が薄くて、よくこれで極寒な冒険を耐えられたなあ、と思う。

 

 先に進み、一度屋外に出る。ボルダリングの壁なんかがあって、親子で遊びに来るのも良い場所である。

 その先の部屋には、マッキンリーでの遭難の様子、捜索の様子なんかが展示されている。公子夫人のあまりにも有名な、記者会見での言葉、

「いつも冒険とは生きて帰ることと偉そうに言っていたのに、ちょっとだらしないんじゃないのって言ってやりたい気持ちです」

の映像も見ることができた。感動。

 

 スタッフとの最後の2月13日の交信記録「2万、2万、2万フィート」や、最後に残されてた2月6日の日記が展示されていて、何とも言えない感動を覚える。

 あのころ。植村氏の遭難のニュース、そして日本中がザワザワしたあの感じは、今でもなんとなく思い出すことができる。当時、まだ子供だった自分にも十分に衝撃的だった。おそらくこんな人は、もう、二度と現れないだろう。

 

 植村氏が集めた世界各地の民芸品や、路傍の花を集めた押し花などの展示。

 そして、夥しいまでの手紙。

 

 蔵書には、山関係の本の他、夏目漱石、川端康成、五木寛之、志賀直哉など文学作品も多い。

 心理学者宮城音弥の「性格」や、「新しい手紙文」なんかもあって、興味深い。

 

 出口付近に「さわってみよう!」コーナーがあって、アザラシの皮でできたムチがあった。

 著作に、ムチの操作に慣れるまでは、よく手元が狂って額に打ち付けた、とあったことを思い出す。これ、かなりゴワゴワしてて、もろ額にぶつかったら、さぞかし痛かっただろう。

 

 売店で、冒険館のオリジナルTシャツが売られていた。植村氏の性格を反映してか、あまりにも地味な柄だったのが印象的。

 

 外に出る。強い日差しだが、風が心地よく、快適である。

 鳥が、鳴いている。ほかには、何も聞こえない。しずかだ。

 植村氏の記念館が、雑踏の中とかじゃなく、こういう、しずかで美しい自然の中にあって、本当に良かった。

 

 16:02、さっきのバス停からバスに乗る。車両も運転手さんも、行きと同じだった。

 終始、無言であったことも。

 ついに宿願を果たすことができた。

 ようやくたどり着いた植村直己冒険館は、予想をはるかに超え、見ごたえのある展示内容であった。ぜひ、著作なり、ウィキペディア(笑)で植村氏の人生を予習してから訪れることをお勧めします。

 

 できたらいつか、もう一度、尋ねてみたい。

(2019.6.9)