【姉の話】

テーマ:
病院から戻った数日後に、姉はひとり暮らしの部屋でひっそりと死んだ。
近くに携帯電話はあったが、助けを求めることも出来ないまま急に息絶えたようだ。

動かなくなった姉の傍らで、携帯電話だけが一定の間隔で光を放っていた。


姉の携帯電話を光らせていたのは、姉から連絡がないことを心配するあの男からのたくさんのメイルだった。

「姉が亡くなりました」
この一文と自分は弟である旨を添えて、姉の携帯電話からメイルを送った。
そんなに心配するのならばなぜ様子を見に来なかったのか書いてやるつもりだったが、その一文で精いっぱいだった。


私はその男に一度会ったことがある。姉の入院先の病院でだ。
オフィスから駆け付けたという高級スーツを身にまとった男。
自分とは別な世界の人間のようだ。身に着けているものや見舞いに持ってきた花束から、かなり裕福な人物であることが容易に想像できた。
姉は彼から金銭的に助けてもらっているという。姉は言いにくそうに言葉を濁したが、妻子があるようだ。

長患いの体の弱い女を囲う男。
その関係性と思考が私にはまったく理解できなかったが、自分には負担が大きすぎる姉の医療費を面倒見てくれることは情けない話だが助かったし、第一、そんな関係でも、姉は幸せなのだ。
数か月前に久しぶりに会ったとき、明るく元気な印象で何か良いことがあったのだろうかと思っていたが、その理由が分かった。

姉は幸薄い暮らしをしていると思っていた。
結婚とともに潜んでいた持病が発症し、それが原因で離婚した。そのあとは貧しくさみしい暮らしをしているものと思っていたのだ。


姉の死を知らせるメイルを送った数時間後、迷惑でなければ会ってお話を伺いたいという返信を受け、翌日、姉の遺品を手に会いに行った。

私が手渡した姉の遺品を胸にあて、男は泣いた。
彼は、何か姉が生きた証のようなものを残してやりたいと言った。

姉は幸せだった。






AD

【木下さん】

テーマ:
「芙蓉さんって、素敵なお名前ですね」

私の担当する窓口にやってきた女性に、一連の手続きが終わったところで話しかけた。
最終段階の処理に3分ほどかかるので、その間に話しかけたのだ。

「そんなことありません。自分では好きではないんです」
彼女は苦笑いした。

「むしろ。嫌いなんです」
彼女は左手で右ひじのあたりをギュッとつかみうつむいた。
その華奢な身体はいっそう細く弱々しくみえた。

「そうなんですか?漢字も美しいし、優雅だなと思ったんですけれど・・・」
私は少し微笑みを浮かべながら言った。

「この名前、同じなんです。小説に出てくる名前と」
彼女は私の方に向きなおして言った。
「ご存じないですか?江戸川乱歩の・・・」

「すみません、本はあまり読まなくて」
そう言って私は軽く頭を下げた。
思わず出てしまった笑みを隠すためだ。

華奢な彼女が内部から蟲に喰い荒らされぶよぶよに膨らむのを妄想していた。

蟲。

本当はよく知っている。
飽くことなく読んでいる。

私は柾木愛造となってぶよぶよに腐敗した木下芙蓉に添い寝する妄想を幾度となく繰り返してきた。

目の前にいるその人は蟲に喰われたらどんなふうになるんだろう。
私はあふれ出る笑いを押し殺すのに難儀した。

「どんなお話なんですか?」
私の意地の悪い質問に彼女は困惑した表情を見せた。

私はますます妄想がひろがるばかりで、何か踏み入ってはいけない世界に入ってしまいそうな自分を感じていた。






AD

【マジョリプペ】

テーマ:
「僕は未練がましい男でね」

その人はうっすら笑みを浮かべて言った。

インタヴュ前の打ち合わせが終わり、では本番でよろしくお願いしますと言った私に、その人はそんなことをつぶやいた。
恋愛観などの質問もしますがつつがなく答えてくれれば結構ですという私の発言が引き金になったのだろうか。

「いつも遠い日の思い出に浸っているんだよ」

「そんなに思われる人は幸せですね」
私は返答に困り、それこそつつがないようなことを言ってみた。

「そう思っていてくれればいいんですがね」

そこで私が、では本番よろしくですと席を離れればよかったのだが、元来の好奇心旺盛な気質がそうさせなかった。
「何かあったんですか。良かったら聞かせてください」

しまった、と思った。今日はつつがないインタヴュを録ればいいのだ。
「あ、すみません。プライヴァシィに立ち入るようなことを言って。本番前にお声かけいたします」
私は立ち上がり軽く頭を下げ退室しようとした。

「いいんですよ。僕から言い出したのだから。是非、聞いてください」
私に再び椅子に腰かけるようジェスチャで示し、私が座るか座らないかのうちに話し始めた。

こんな話だ。


僕はこれが最後なんじゃないかと思うほどの大恋愛をしました。
仕事も手につかなくなりそうなくらいで、仕事が終わると一目散に帰宅していました。
僕たちはいつも一緒でした。永遠にこのまま一緒にいられると思っていました。
だけど、幸せな日々はいつまでも続きませんでした。

彼女は壊れてしまったんですよ。
僕の思いが強すぎたのかと悩んで、僕はどうにか元通りにしようと試みました。
相談できそうなところを調べては駆けつけてすがりつきました。
しかしながら、僕の望みはかなわず、彼女が元に戻ることはありませんでした。
とても深刻なダメージを負っていたんです。

僕たちの幸せな日々は終わってしまったけれど、今でも毎日思っているよ。
壊れてしまったって、簡単にゴミに出すようなわけにはいかないですから。
僕はね、いつも持ち歩いているんですよ。
彼女の思い出といつも一緒です。
彼女の…。


そういって、その人はブリーフケースから布の包みを取り出し、そっと広げた。

細く美しい手だ。

シリコン製だった。






AD

【さくらでらんらん】

テーマ:

わたしのおばさんは、30才をすぎたのにどくしんです。でもとっても優しくてわたしは大すきです。まきんちゃんとよんでいます。

おばさんはおじいちゃんとおばあちゃんとすんでいます。わたしは学校の帰りにときどきおばさんとあそびにおじいちゃんとおばあちゃんのおうちに行きます。

おばさんはくまがすきで、おばさんのおへやにはくまのぬいぐるみや本がいっぱいあります。わたしはときどきかしてってたのみますが、もって帰っちゃダメだよとしつこく言われます。ちょっとケチだなと思います。でもわたしはおばさんが大すきです。


でも今はもうおばさんとあそべません。おばさんはこのあいだひどいケガをしてびょういんにいます。おばさんは口にホースみたいなものをつけて、ずーっとねていてぜんぜんおきません。

おばさんが入いんしてから、おとうさんとおかあさんもどこかに行ってしまいました。だからわたしはおじいちゃんとおばあちゃんのおうちでくらしています。おばさんがいないあいだ、おばさんのおへやがわたしのおへやになるのかと思ったけれど、おばあちゃんがまきんちゃんが帰ってきたらつかうからダメだと言いました。おばあちゃんもケチだなと思いましたが、わたしはおばあちゃんが大すきです。


このあいだ、おばさんのお見まいに行ったとき、しんせきの人もいて、わたしのおとうさんのことをはなしていました。おとうさんはさくらんしたって言っていました。さくらんしたってなんだろうとわたしはかんがえました。そしたらひらめきました。

さくらでらんらんということだと思います。春になってさくらがいっぱい咲いています。それでらんらんとうれしい気もちになったんだと思います。

なぜかというと、おとうさんは魚つりがすきで、よくため池に行きます。そのため池のまわりにはいっぱいさくらが咲いています。それでらんらんと楽しくなってもっと魚をつるためにもっと遠いため池までいったのかもしれないなと思います。

でもわたしをおいて行ってしまうなんておとうさんはケチだなあと思いました。でもわたしはおとうさんが大すきです。


おかあさんはどこにいるのかわたしはしりません。おかあさんはおうちにいるかもしれないからけいさつがさがしてくれているんだよとおじいちゃんが言っていました。わたしもおうちに行っておかあさんがいるか見に行きたいといいましたがダメだといわれました。おじいちゃんもケチだなと思いました。でもわたしはおじいちゃんが大すきです。

でもこのあいだ、こっそりおうちに帰ってみました。大きなきかいで庭をほっていました。けいさつの人にみつかって、ここにきちゃいけないよと言われました。けいさつの人はケチだなと思いました。けいさつの人はきらいになりました。おかあさんをさがすとか言ってにわをほってばかりです。


おとうさんもおかあさんもおばさんもいなくてさみしいけど、おじいちゃんとおばあちゃんがなんでもかってくれます。だからやっぱりおじいちゃんとおばあちゃんはケチじゃないです。おじいちゃんとおばあちゃんが大すきです。

わたしはほしいものがたくさんふえてうれしいです。こういううれしい気もちをさくらでらんらんっていうのかなぁ。






【彼の仕事】

テーマ:


「ハーイ!ダイジョウブ?ナンカ困ッテル?ガイドスルヨー」
彼は仕事熱心。2人で出かけていても観光客を見つけると声をかける。


先日は街の中心地にある大きなバザールで東洋人と思われる中年女性の2人組に声をかけた。その女性達は本を広げて、その本を上下左右に回したりしながら自分自身をも前後左右にまわっていた。
彼が声をかけると一瞬驚いた表情を見せたものの、すぐに安堵の表情を浮かべ本を指差す。


格好がよくて若々しい外国人が、その旅行客の言葉で陽気に話しかけてくるもんだから、たいていの女性は嬉しそうに話を始める。
彼は熱心なだけでなく優秀なガイドらしい。
異国での親切と楽しいおしゃべりに気を良くして彼にたっぷりお礼をくれるのだろう。毎日たくさんのお金を持って帰ってくる。


それにしても、旅行客というものは気前がいいなぁといつも感心する。
銀行の封筒に入ったままの札束や、高級ブランドの財布ごと大金をもらってくる。カメラや小型音楽プレイヤなどをもらってくることもある。
品物の場合、大抵は売ってお金に換えるけれど、時々そのままプレゼントしてくれることもある。この間は自分では買えないほどの高級ブランドの素敵なスカーフと手袋をわたしにくれた。


3分ばかり本を見ながら中年女性2人組と話して彼は戻ってきた。2人の女性は嬉しそうに手を振りながら、メインストリートの方へ軽い足取りで歩いていった。
少し歩いて細い路地に差し掛かったときに、彼は先ほどの中年女性からもらったという時計とブレスレットを見せてくれた。好きならあげるよと言ってくれたけれど、時計もブレスレットも前にもらったから、お金に換えたほうがいいと言ってあげた。でも本当は全面に色のついた宝石をあしらったデザインが下品で欲しくなかった。



今日は大仕事になりそうだと言って、なにかの大規模なコンベンションに彼は出かけていった。
彼は時々そういうイベント会場でも案内係などをする。この間は医療関係の見本市のようなものに出かけ、いままでにないほどの収入を得た。医者はやっぱり金持ちなんだねと2人でお祝いした。


ふと思い出したけれど、さっき上に住むおじさんが出かけるところに出会った。「今日はイベント会場の警備だよ」とだるそうに言いながら自転車にまたがった。
おじさんの話によると、このところイベント会場でも警備員の数が増やされているらしい。聞けばスリ被害が増えているという。彼と同じところだろうか。心配だ。被害に遭わないといいけれど。

おじさんは、街角でもスリの被害が多いから観光客じゃなくても地元の人も気をつけたほうがいいとアドバイスしてくれた。そんな被害にあったことがなく治安がいい街だと思っていたけれど、まったく物騒な話だ。


おじさんは来週もイベント会場の警備をすると言っていた。
最新セキュリティや警備ロボットなどのシンポジウムだそうだ。警察関係者も注目のイベントらしいから、きっと安全だ。
彼に教えてあげよう。