〇〇ボク だったかな?
寒くなってきたのに 頑張って咲いてくれました。
○○ボクも 近くのホームセンターで 処分品として並べてありました。
でも こんなに大きく育ちました。
私が 初めて 料理らしい料理をしたのは 小学4年生だったと思います。
なぜか このことは 鮮明に覚えています。
我が家は 母としっかり者の姉が よく台所にたっていました。
お蔭で 私は何を手伝いすることもなく・・・
夏休みの ある日 私より10歳上の 熊本市内にいた 従兄弟のE兄さんが ひょっこりやってきました。
そして 「昼飯!」
父も母も姉もいない日
私は どうしよう!
冷蔵庫を覗いて たぶん 物凄く考えたんだと思います。
かなり 長い時間かかったと思います。
でも E兄さんは 辛抱強く待ってくれました。
出来ました。
ピーマンと豚肉の味噌炒め
E兄さんは 「美味しかよ! S子 上手ねー」
嬉しかったですね。
物凄く
よほど 印象が強かったんでしょう。
鮮明に覚えています。
それでも 暢気者の私は ここから 料理を作って喜ぶということもありませんでした。
でもでも この後 これまた 鮮明に覚えていることが ありました。
私は 母の作る のっペい汁が 大好きでした。
鶏肉 牛蒡 里芋 こんにゃく 人参 干しいたけ を濃いだしで煮た 醤油味の汁ものです。
ある日 母と私は 母の姉にあたる伯母の家に行きました。
そこで 私の大好きなのっぺい汁が出てきました。
少し 醤油の色が濃いなーと思いました。
そして 一口 私は 愕然
何!この のっぺい汁
私は たぶん 母を泣きそうな顔をして 見たと思います。
これまで 口にしたことのない味
母も 同様に感じたのでしょう。
伯母さんが やってきて
「ちょっと 辛かったかなー」
{違う違う おばちゃん おいしくなかよ}
と 口にはしませんでしたが とにかく 他のものと一緒に 一生懸命食べました。
幼かった私も 感じたんです。
作る人の味付けで 同じ料理でこんなに違うのか!
ただ 伯母の名誉のために
鍋で ゆっくり時間かけて 炒って作ってくれる あられは 絶品でした。
この 二つの出来事は なぜか 忘れることのできないものです。
今 こうしている 自分を考えた時
E兄さん 伯母ちゃん 母に有難うです。
もうすぐ12月 友達Mさんが作ってくれた サンタさんです。
みんな かわいいけど 殊に私は 緑サンタが好きです。
もう 20年くらい前のMさんの作品です。
ピアノの上に並べました。